⭐️普通の写真 写真(お城)

小谷城跡の写真・浅井長政の日本五大山城、姉川古戦場跡

姉川の戦いで破れ、織田信長の大軍に目の前の虎御前山へ迫られても、小谷城はどうして3年間も持ち堪えることができたのだろう。

日本五大山城に名が上がる小谷城だから? いや、そんな単純な話ではないはず。

何事も自分の目で見ることね、と興味そそられるがまま、近江国・浅井家の居城であった小谷城(おだにじょう)へと向かってみる。

小谷城跡の写真

(本丸前の石垣)

小谷城から南10kmにある横山城を、織田家は姉川の戦いの直後に攻略した。

そして2年後には、織田信長が数万人を率いて小谷城の目の前1.5kmの虎御前山へ布陣している。

一般的に相手の3倍の兵力があれば、力攻めで落城させられるというが、

5,000人以下だっただろう浅井家に対して、織田信長は序盤には力攻めをしていない。

それは越前の朝倉義景の軍勢をおびき寄せるエサだったのかもしれないが、

どこかで小谷城の堅守ぶりに損害を嫌ってのことかもしれないね。

小谷城跡の写真

(本丸前の大広間跡、山上なのに85mもの平地を確保している)

小谷城がすぐに落ちなかったのは、支城である山本山城や焼尾砦との地形を活かした一帯防衛の賜物。

小谷城跡の写真

(本丸跡、流石に今は何もない)

実際に、山本山城を調略で落とした1ヶ月後には小谷城は落城した。

小谷城本体本丸の堅固というより、峰続きの山々を利用した山城・小谷城を上手に使った浅井家の知恵の力か。

小谷城跡の写真

とすれば小谷城の立地条件は気になるな、山上からはどんな景色になるのか。

ネタばらしですが、上の写真が桜馬場付近からの眺め。

中央右上が山本山城のあった場所、中央右下が織田信長が着陣した虎御前山。

琵琶湖の中に見えるのが竹生島、昔から信仰の対象。

小谷城跡の写真

ここからは順を追って書いてみよう。

「小谷城跡ガイド館 浅井三代の里」の横にある細い車道から、番所跡までは車で上がることができる。

小谷城跡の写真

番所跡から本丸方向へは登山道を使って上がっていく。

小谷城跡の写真

絵図で見ると出丸の連続だな、大掛かりな山城を築き上げたものだ。

小谷城跡の写真

クマの発見情報があるという本物の山道だ、観光気分だけではなく、ご注意あれ。

小谷城跡の写真

御馬屋前の馬洗池、石垣があるだけでお城っぽさを感じてしまう。

小谷城跡の写真

桜馬場付近からの眺めの一角、横山城が見えて、その手前に姉川が流れている。

どちらも完全に視界の範疇なのだ。

それなのに小谷城が生き残っていたのは大したもの。

小谷城跡の写真

上がほぼ肉眼の画角で撮った写真、琵琶湖のある近江の景色は美しい。

小谷城跡の写真

絵ほど手間がかけられたものは何も残っていないが、地形は残っている。

小谷城跡の写真

黒金門(鉄の門)があった跡、こんな地形なら大軍で攻める意味はない。

前面で戦うことができるのはせいぜい数十名。

本丸の裏にある大堀切は形を留めている。

小谷城跡の写真

(小谷城跡ガイド館 浅井三代の里にある兜モチーフ)

全般的には、山城ならではの知恵を駆使した堅城だと思った。

そして、こんな守りの鬼みたいな地形でも本格的に攻められたら数日で落城している。

まさに生死のやりとりね、歴史ロマンも感じたが、戦国時代の恐ろしさを感じた小谷城跡への訪問となった。

姉川古戦場の写真

旧・野村橋(老朽化により通行止め)から見た姉川一帯の写真。

姉川古戦場の写真

織田信長・徳川家康の連合軍と、浅井長政・朝倉義景(の代理の朝倉景健)の連合軍が激突し、数千人におよぶ死傷者が出たと聞く古戦場跡。

姉川古戦場の写真

上の写真の説明があるのみで、あとは姉川一帯を見渡して終わり。

戦国時代好きでなければ、あまり行く価値のない場所ではある。

姉川を挟んで双方が平地ということは大軍同士の正面衝突になる。

まさに決戦、やってはいけない戦い方だ、歴史ロマン<壮絶な殺し合いへの恐怖。

布陣図通りだとしたら、思いっきり正面衝突だから双方に甚大な被害。

互い、三河や越前から援軍を引っ張ってきた手前、この時この場で勝敗を決さないといけないのは分かるが、それにしても恐ろしい戦いだ。

姉川を吹く風に、僕は思わず手を合わせて先人たちへの供養を捧げた。

長浜黒壁スクエア・大通寺の写真、滋賀観光の一眼レフ撮影スポット

長浜黒壁スクエア・大通寺の写真

長浜という城下町が素敵だという噂を聞き、ドライブしてみる。

羽柴秀吉の出世城、秀吉が初めて賜った自分の城がこの長浜。

長浜黒壁スクエア・大通寺の写真

日本の美を醸し出している古い町並み・黒壁スクウェア。

郡上八幡で感じた時のような雰囲気を感じた、ちょっと電線が多過ぎだけど。

長浜黒壁スクエア・大通寺の写真

秀吉が商業を自由解放した名残で、長浜では明治に舶来文化が他所以上に取り込まれた。

だから長浜では文明開化の匂いがする。

ガラス文化が栄え、黒壁スクウェア周辺にはガラス工房が並んでいる。

写真に値する、それは素敵な町並み。

お腹が空いていたので、「ちり麺亭」で近江牛丼・鴨肉丼・ちり麺をいただく。

お隣の「分福茶屋」で「つぶら餅」を食べれば、もう滋賀を満喫。

今日は着物のお祭りがあって、着物の女性がたくさん歩いていた。

着こなしていた方は少なかったが、それも日本の美なんだろう。

あちこちにある日本の美を愛でながら、大通寺まで歩いてみる。

長浜黒壁スクエア・大通寺の写真

驚くぐらいに大きなお寺、踊り廊下が素晴らしいし、大広間の奥の襖絵は素敵。

賑わう城下町に相応しい立派な大通寺、いいや、納得いたしました。

なべかま本舗でレンコンとラッキョウのお漬け物を買い、黒壁スクウェアを後に。

車で長浜城近くに停め、歩いて行くと立派なお城ですよ。

琵琶湖に近すぎて攻められたい放題だろ、って突っ込みたくなったけど、

観光用のお城としては琵琶湖Viewとして美しい。

長浜黒壁スクエア・大通寺の写真

本丸跡の案内もあったから、本当にこんな場所にお城が建っていたのか。

琵琶湖という大海に姿を誇示したかったのでしょうね。

湖を渡る船から見る長浜城って、秀吉の時代には名誉の象徴だったとか。

素敵な場所でした、長浜・黒壁の町並み。

彦根と並ぶ美しさは、安土桃山時代の香りと明治文化を調和させて、格調ある町に。

訪れて良かった、滋賀の日本の美、長浜の古い町並み。


向源寺の十一面観音菩薩立像の写真

向源寺の十一面観音菩薩立像の写真

仏像に逢いに行こう思った。それも国宝級の、とびっきりありがたい仏像に。

滋賀県の名刹・向源寺には国宝・十一面観音菩薩立像という高名な仏像がある。

向源寺の十一面観音菩薩立像の写真

琵琶湖の北東、高月町にその向源寺はあって、静かな町の中に佇むお寺。

境内は地元の子供たちの格好の遊び場になっている。

向源寺の十一面観音菩薩立像の写真

十一面観音菩薩立像が住んでいる渡岸寺観音堂に入るときに、ちょっとびっくりした。

だって、千二百年前のクラシカルな仏像がいるのに、自動開閉ドア。

向源寺の国宝・十一面観音菩薩立像と、見る者の間には何の仕切りもない。

ガラスで囲われているわけでもなく、手を伸ばせば手が届く。

向源寺の十一面観音菩薩立像の写真

ずっと眺めていて、私はたどり着いたよ。私の解釈、私の理解。

十一面観音菩薩立像の捻った腰、前に出る瞬間を体現した足の動き、その感覚が人を魅せるキー。

まぁ詳しくは、十一面観音菩薩立像をあなた自身の目で見て、感じ取ってみてよ。


伊吹山ドライブウェイ山頂の写真

伊吹山ドライブウェイ山頂の写真

紅葉もゼロですが、伊吹山ドライブウェイに行ってきました。

ど有名なドライブウェイと聞いていたから、いい写真でも撮れるかな、と思って。

白川郷の白川スーパー林道で燃えるような紅葉を見たが、そのぐらい鮮やかな紅葉?

伊吹山ドライブウェイ山頂の写真

山頂の駐車場からは厳しい登り道、高山植物の宝庫、でも写真は美しいものではない。

やっぱり登山は車じゃなくて、自分の足で歩かないとね。

山頂からは滋賀の琵琶湖が見えたり、このあたりの全景を見渡すことができる場所。

確かに、紅葉の名所になるのでしょうね。

伊吹山ドライブウェイ山頂の写真

関が原鍾乳洞で鍾乳石を一眼レフで取ろうと意気込んだが、それらしい場面なし。

伊吹山ドライブウェイ山頂の写真

秋は近い、岐阜や京都で燃えるような紅葉の写真を撮るのが楽しみだ。




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