難攻不落の名城イメージ、それが小田原城、後北条氏が作り上げた総構えの恐るべき規模。
そんな小田原城をじっくり見る機会を得ることができたから、たくさんの写真と共に記事にしよう。
桜がまばらに咲いていた4月1日、夜桜ライトアップされた小田原城天守閣前は怪しい雰囲気に。
治世の平城って印象を受ける小田原城、それは江戸時代以降に改修された部分だからと聞くね。
この記事の下にある大堀切のある山城が、北条氏康時代の小田原城。
ライトアップされた桜が美しかった、まだ桜満開前の春。
スローシャッターにして、スマホライトを動かして、不思議な馬出門にしてみた。
決して落城させられない小田原城のおどろおどろしさが、紫色に溢れる。
夜の銅門は美しさが際立ちますね、そして門が閉じられていたら、誰も先に進めるものか。。
桜並木のあたり、満開には遠いが春の夜の風情でした。
常盤木門の足元がライトアップ、権威を示すような門構え。
隅櫓と水堀、30秒スローシャッターで撮影。
住吉橋の綺麗な佇まい、美城ですね小田原城は。
馬出門付近からオフィスビルの灯りを玉ボケにして。
日中の隅櫓と天守閣、日本の美のひとつ。
小田原城の夜景撮影ができた喜び、この日のことをずっと忘れない。
あの豊臣秀吉軍が直接攻城を躊躇した、往時の小田原城を感じてみたい。
その名残りが残されている小峯御鐘ノ台大堀切東堀、つまりは小田原城の大堀切だ。
今でも深さは最大12m、傾斜は50度はある大堀切、どんな多軍勢でも攻め切れない。
北条氏政の頃は最大14-15m、傾斜は60度ほどあったと言われるね。
僕もこの土壁を駆け上がってみようとしたさ、でも登りきれずに落下する姿しかイメージできなくてギブアップ。
この東堀が最大値としても、これに準ずる堀切を周囲9kmに渡って作り上げた北条氏だと?
西堀にも行ってみた、より時間の経過で廃れた感があり、しかしどんでもない罠だったことが伝わる。
西堀の先は畑に変わっていた、平地だと思っていた小田原城跡は平地ではない、この辺りは確かに山城だったのね。
中堀切から、西堀へと歩き戻ってみると、やはりこの大堀切の深さにびっくりする。
当時の小田原城は残っていないけど、この大堀切の遺構で感じることができる北条氏流の築城技術。
石垣山城、もうひとつの小田原城ストーリーはこの山中に。
事後に盛られた英雄譚かもしれないけど、豊臣秀吉軍が一夜で築いたこの石垣山城が、
小田原城に籠城する北条軍の士気を決定的に落としたと。
確かにものすごい石垣の数、大きな石が今も積み重なっていて、一体どうやってこの山中まで持ってきたのか。
まぁ相当な歳月をかけて事前に築城された石垣山城なのだが、吹き込まれた一夜城伝説がなんだか眩しすぎて。
石垣山城の井戸跡と石垣越しに見えるのは小田原の海辺、当時の小田原城はずっと左にあるから見えない。
野面積みの石垣がその力を誇示しているのね、荒々しくて、整然としていて、粗野で堅実で。
流石の小田原城も、こんな頭上に大軍の敵を迎えたら、内部崩壊も逃れられない、力攻めには耐えられたとしても。
綺麗な二の丸跡、公園化されているのね、400年前は戦略的に造られた戦いの要が。
心落ち着かさせてくれるのは咲いていた桜、今は平和で綺麗なもので。
小田原城の戦いをめぐる一連の遺構に触れた日、後北条氏なのか豊臣秀吉なのか、僕が感じたものは。