⭐️普通の写真 写真(お城)

小田原城の夜桜写真、天守閣ライトアップ、土塁空堀の総構え

難攻不落の名城イメージ、それが小田原城、後北条氏が作り上げた総構えの恐るべき規模。

そんな小田原城をじっくり見る機会を得ることができたから、たくさんの写真と共に記事にしよう。

小田原ライトアップ桜写真

桜がまばらに咲いていた4月1日、夜桜ライトアップされた小田原城天守閣前は怪しい雰囲気に。

小田原ライトアップ桜写真

治世の平城って印象を受ける小田原城、それは江戸時代以降に改修された部分だからと聞くね。

この記事の下にある大堀切のある山城が、北条氏康時代の小田原城。

ライトアップされた桜が美しかった、まだ桜満開前の春。

小田原ライトアップ桜写真

スローシャッターにして、スマホライトを動かして、不思議な馬出門にしてみた。

小田原ライトアップ桜写真

決して落城させられない小田原城のおどろおどろしさが、紫色に溢れる。

夜の銅門は美しさが際立ちますね、そして門が閉じられていたら、誰も先に進めるものか。。

桜並木のあたり、満開には遠いが春の夜の風情でした。

小田原ライトアップ桜写真

常盤木門の足元がライトアップ、権威を示すような門構え。

隅櫓と水堀、30秒スローシャッターで撮影。

住吉橋の綺麗な佇まい、美城ですね小田原城は。

馬出門付近からオフィスビルの灯りを玉ボケにして。

日中の隅櫓と天守閣、日本の美のひとつ。

小田原城の夜景撮影ができた喜び、この日のことをずっと忘れない。

あの豊臣秀吉軍が直接攻城を躊躇した、往時の小田原城を感じてみたい。

その名残りが残されている小峯御鐘ノ台大堀切東堀、つまりは小田原城の大堀切だ。

小峯御鐘ノ台大堀切

今でも深さは最大12m、傾斜は50度はある大堀切、どんな多軍勢でも攻め切れない。

北条氏政の頃は最大14-15m、傾斜は60度ほどあったと言われるね。

僕もこの土壁を駆け上がってみようとしたさ、でも登りきれずに落下する姿しかイメージできなくてギブアップ。

この東堀が最大値としても、これに準ずる堀切を周囲9kmに渡って作り上げた北条氏だと?

小峯御鐘ノ台大堀切

西堀にも行ってみた、より時間の経過で廃れた感があり、しかしどんでもない罠だったことが伝わる。

西堀の先は畑に変わっていた、平地だと思っていた小田原城跡は平地ではない、この辺りは確かに山城だったのね。

小峯御鐘ノ台大堀切

中堀切から、西堀へと歩き戻ってみると、やはりこの大堀切の深さにびっくりする。

当時の小田原城は残っていないけど、この大堀切の遺構で感じることができる北条氏流の築城技術。

石垣山城、もうひとつの小田原城ストーリーはこの山中に。

事後に盛られた英雄譚かもしれないけど、豊臣秀吉軍が一夜で築いたこの石垣山城が、

小田原城に籠城する北条軍の士気を決定的に落としたと。

石垣山一夜城

確かにものすごい石垣の数、大きな石が今も積み重なっていて、一体どうやってこの山中まで持ってきたのか。

まぁ相当な歳月をかけて事前に築城された石垣山城なのだが、吹き込まれた一夜城伝説がなんだか眩しすぎて。

石垣山一夜城

石垣山城の井戸跡と石垣越しに見えるのは小田原の海辺、当時の小田原城はずっと左にあるから見えない。

野面積みの石垣がその力を誇示しているのね、荒々しくて、整然としていて、粗野で堅実で。

流石の小田原城も、こんな頭上に大軍の敵を迎えたら、内部崩壊も逃れられない、力攻めには耐えられたとしても。

綺麗な二の丸跡、公園化されているのね、400年前は戦略的に造られた戦いの要が。

心落ち着かさせてくれるのは咲いていた桜、今は平和で綺麗なもので。

石垣山一夜城

小田原城の戦いをめぐる一連の遺構に触れた日、後北条氏なのか豊臣秀吉なのか、僕が感じたものは。




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