特徴ある山城。
土塁と内堀・外堀が大規模で、そして二の曲輪の中馬出(三日月堀)が残っていて、足を運んだあなたをびっくりさせる。
諏訪原城、惜しく感じるのは写真では迫力が伝えきれないこと、結局は肉眼で見ないと雰囲気は分からない。

駐車場から外堀沿いを歩いて、この中馬出(三日月堀)が視界に入った時、僕は心の中で唸った!
悪魔の所業なのだ、↓のシーンがイメージできて、この堀を降って登ろうとする愚か者はいないと思うが、攻め手に取っては悪夢。

南北にある門を通らなくては、丸馬出へ歩み寄れるわけもない。
その途中での砲撃・斉射でどれだけの被害が出るのか。
丸馬出への細い道を歩いていたら、外堀の向こうの二の曲輪からも狙撃される、もう逃げられない仕掛け。

誰がこんな悪魔の術を唱えたの?武田流築城術の馬場美濃守信春?それを徳川家が更に進化(深化)させた。

夏草に覆われて見えなくなっている地獄の堀底。

これほど大規模で、鮮明で、地獄なのに天国っぽく今を生きている堀を僕は知らない。

大井川を渡って駿河国から遠江国へ入り、東海道を歩いて丘を越えようとしたら、この堅城が立ち塞がる。
もう絶望だよね、諏訪原城の存在は本当に悪魔の所業。

守る側としては必死だっただろうな、敵の一番嫌なところに陣取って防ごうとする、生死のやりとりよ。

外堀から二の曲輪へは土橋を歩いて。

手前の狙撃兵たちが、この土橋の向こうの二の曲輪から土橋方向を狙っている、それは狙いやすい死地。

内堀も規模大きく、諏訪原城は本当に土塁や堀が綺麗に残っている山城。

本曲輪は何もない、その裏は絶壁で誰も登ってこれない。
後ろ堅固、と言われる地形に恵まれた山城。

全体像はこうらしい、攻めたくない、守りたくもない、共に死地にある。

そんな諏訪原城も今は新録美しき。

今は美林、往時は死地、その差は残酷。

丸馬出は大きいのが2つ、それから小さいのも複数ある。

緑に覆われている、戦時は血に覆われていたのかな。

お花は咲く、慰霊なのかな、猛々しい先人たちへのはなむけ。

想像してはいけない悪夢の攻防戦、生きることがずっと難しかった時代。

東海道を歩き、旧東海道菊川坂の石畳へと進む、ここを通るにも諏訪原城の目の前を通過する。

紫陽花が咲き始めの季節でした、死地を出た後に出会うお花は一層美しく感じれて。

周りには茶畑、緑がいとも美しき。

山肌を歩くより、土の道を歩くより、石畳の方がまだ歩きやすかったのだろう当時は。
今はスニーカーでも歩きにくいゴツゴツの石畳。

そんなにメジャーな城ではないと思うけど、この諏訪原城は地形と縄張りが天才というか悪魔というか、もう怖い。

今の平和を愛そうという気持ちになった諏訪原城跡でした。
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