世にも珍しいお城、円形の水堀が三重にもなっていて、水城というか浮城というか、
沼地/湿地帯の中心にあったお城、田んぼの中で田中城と名付けられたのでしょうか。
静岡県藤枝市にある田中城は、駿河国の西端の拠点。
駿府城から徳川家康が趣味の鷹狩りで遊びに来て、この田中城で鯛の天ぷら食べる→お腹壊したのが死因、という説がある。
昔の水堀跡は用水路になっていて、その一帯がとても美しい。本丸櫓の隣ね。
大軍が移動しにくい沼地帯にある田中城、ぬかるみに足を取られる上に、念入りな三重堀に阻まれる堅城。
平城だから戦国時代には容易に攻め滅ぼされるだろう、と思ったけど防衛力が高い、武蔵国の忍城に近い。
移築された本丸櫓、これが今の田中城のシンボル。だって本丸跡は学校の中にあって、平地だからもう現代の生活の中に溶け込んだ。
三日月馬出曲輪が地形だけ残っていた、武田氏の築城技術を垣間見ることができる。
残っていた土塁、円を描くように今も道路と水路があって、そこを歩くと田中城の丸さを感じる。
平城なのに守備が固い、実際の地形を目で見なくては分からない田中城。
攻めたくない田中城、今はただ平穏の中で水路に鯉が緩やかに泳いでいました。