ヴィルヘルム・ヴントの生理学的・実験心理学は自然科学

心理学はどの学問から派生していったものであろうか。

そもそも人間の心の中を研究するという、いわば明確な答えのない学問である心理学は文学的でもあり、

しかし今日では科学として認識されているが、そこにたどり着くまでの経緯をまとめてみる。

心理学は哲学にその源を発する。

話は17-19世紀に「理性主義」と「経験主義」という哲学思想の対立があったことにさかのぼる。

理性主義とは、人間には生まれ持った「理性」があるからこそ

外界を認識できるという考え方で、先天的なものを優先し、後天的な感覚や経験を軽視する傾向にあった。

一方の経験主義は、自身の感覚経験を通して観念が得られるとした。

ロックは「過去に一度も嗅いだことのない臭いを考えてごらん」と言い、

経験しないと分からないものがあることを世の中に問いかけた。

ロックの経験主義では白紙状態で生まれる人間は、生きてゆく過程で経験が重なり外的感覚と内的反省が結合して

観念が連合されてゆくことによって知識形成されるとした。

デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と説いて、それまでの価値を押し付けられる神学的な世界把握から、

自己の精神こそが物事を考える主体であるいう近代哲学の扉を開き、思考の主体を他者から自分へと転換させた。

バークリーやヒュームはロックの経験主義を突き詰めて、

懐疑主義によって外的な事物の存在自体を疑うことから論理を再構築した。

彼が強調したすべての知覚協応は、全部経験による資格と運動の協応であり、

確信できるものは経験に裏付けされた自分自身の感覚や印象だけであって、

客観的に見て観念として認識できるもの、知覚される確かなものだけを認めるという唯心論を作り出した。

このように様々な理論が哲学の分野で議論されていたが、

これらはあくまでまだ哲学的思考の範疇であって、実験科学としての心理学と呼ぶことができるまでには至っていない。

一方で、心理学の誕生には生理学も深く影響した。

ダーウィンの「種の起源」により心理学は哲学から次第に独立してゆく。

食糧獲得のためにより有利な形状に生物は自らを自然選択し、

突然変異によって生存闘争してゆくとしたダーウィンの説を受けて、ロマニーズは比較心理学を形成した。

この「種の起源」の論理で言えば人間と他の動物の間に大きな知的能力の差がないとロマニーズは説き、

進化論の視点を動物と人間の両方の心に共通するとしたが、モーガンがその行き過ぎた理論に制止をかけ、

人と動物の知能には類似点はあるものの決して同一ではないとした。

こうして哲学や生理学が発展してゆくにつれ次第に心理学に近い学問が生まれてゆく。

その中で問題視されたのが一個人の内部現象である心的過程をどのように数値化して理論にすればいいのかという点であった。

哲学者のカントは、心理学では実験ができないとして、自然科学として心理学は成り立たないことを主張した。

しかしフェヒナーは心と身体の因果関係を、数値を通して関係付けることを発見し、

感覚の大きさは刺激の大きさの絶対値に比例せず、

刺激の大きさの対数に比例するという関係式を導き、精神物理学を見出した。

このフェヒナーの理論は、外的な刺激を身体に与えることで、その時に生じる感覚の変化をはかることで、

身体と心の関係を調べることができるというものである。

その際に与える物理的刺激は刺激の強さと感覚の大きさを踏まえて測る、というヴェーバー・フェヒナーの法則を提唱している。

これによってカントの説は覆され、心理学は数値化できる、

すなわち科学として成立するということが認められるようになった。

ヴントは長年に渡って心理学は自然科学であるという彼の信念を持ち続けたが、この礎を築いてくれたのはフェヒナーであろう。

フェヒナーが外的要因と心的要因を結ぼうとする架け橋を発見したのは、

ヴントがその考え方を持つにあたって不可欠なことであったのだ。

これらの様々な分野の近世思想が高まっていたからこそ、

ヴントは精神科学としての心理学を導入させることに成功したと言える。

科学は形式科学と経験科学に二分されるが、

物理学同様に数値化できる経験科学としてヴントは心理学を認識した。

自然科学と精神科学とでは、間接的に何かを観察する自然科学ではなく、直接的に観察を行う精神科学へと心理学を区別した。

生理学を応用し、外部から刺激を与えてその内部にどのような反応が現れるかをヴントは研究している。

生理学の分野はこの逆の発想であり、外部からの刺激に対して外部にどのような反応がでるかを研究するが、

ヴントの生理学的心理学では特に内部の反応時間について研究を組み立てた。

実験心理学と呼ばれるヴントの理論はこうした研究から生まれたものである。

こうした実験心理学ではあくまで正常な成人を対象として結果を出すのだが、

それとは別のものもヴントは手がけている。

民族心理学、または文化心理学と呼ばれるものであり、

例えば子供であるとか、動物であるとか、一般的な被研究対象者ではないものの研究である。

民族間や社会環境の違いで異なる世界観があるとしたフンボルトの説を継承して、ヴントは研究を深めていったのだ。

このように哲学や生理学を取り込むことで、ヴントは精神科学としての心理学を成立させるに至ったのである。

ヴントが1879年に大学内に心理学実験室を建てたことが契機となり、

人の心の問題は宗教観や古い時代の信念から脱却し、ようやく科学として認められていったのだ。

ヴント自身が生存しているうちはなかなか世間から評価されることはなかったが、

彼は多くの弟子たちを指導したし、ヨーロッパのみならずアメリカの留学生に対しても哲学的見解を教え、

広く世界に心理学という新しい学問を定着させるように努めた結果として心理学が成立したことを忘れてはならない。

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