主人公・ジャルヴェーズは普通の女。
「端正な輪郭の顔だち」とはあるが、あとは特別な能力もなく洗濯女として生計を立てる平凡な女で、
若くして子供を産み、男は女たらしや飲んだくれたちで、
子供も『居酒屋』の作中では取り立てて何か美点があるわけでもない。
生活は苦しいが、それが当たり前のようだ。
ジャルヴェーズの生涯はそういうフランスの民衆のにおいがしみついた日常の中にあったのである。
ただこれは小説であるから、いくらゾラが自分が生きた社会の悲惨さを歌いあげて
詩にしてしまったとしても、ジャルヴェーズの一生はやや劇的に描かれている。
普通の女であるが、彼女の周囲で起こる出来事は、物語に溢れているのだ。
例えばブリキ職人・クーポーが求婚の際に見せた潔癖過ぎる姿勢や、
隣人グージェが500フランという大金を洗濯屋開業のために用立ててくれたことや、
そのグージェに好意を持たれる場面、前の情夫・ランチエが舞い戻ってきて夫と三人の奇妙な生活を送るところ、
最後の偶然でもグージェに出くわす箇所など、やや劇的な場面が多過ぎる感があるが、
これは小説という舞台であるから平凡以上の出来事を描くのは当然であるし、
なによりジャルヴェーズの一連の生活環境を追ってゆくと、
こういったことが起きても不自然ではないと思わされるような混乱の生活であるから、
これは著者の手腕が見事であると納得できる。
ジャルヴェーズの生涯を追ってゆくと痛みばかりが目に入る。
右足にびっこを引き、14で子供を産まされてからランチエとの生活では
故郷からパリに出てきたときのわずか二ヶ月以外にろくな幸せすらなく毎日の食事にさえ困り、
挙句の果てにはランチエは二人の子供を残したまま、他所の女と逃げてしまう。
次の男・クーポーとの出会いでようやく幸せな暮らしを前にし、
「わたしはね、高望みをする女じゃないの」と自ら言った言葉がクーポーとの地道な生活で叶ったと思ったら、
クーポーの屋根からの墜落とランチエの再出現を契機に堕落の方向へ急加速してゆく。
それから結末に向けて彼女を取り巻く環境はますます悪化してゆく。
クーポーは人が変わったかのように飲んだくれて働かなくなり、
ランチエが家に居候してはジャルヴェーズと関係を持つようになり、その姿をみて娘のナナも淫蕩な少女に育ち家を出てしまう。
遂には金が全く無くなり、物乞いの真似までする。
クーポーはアルコールまみれで死に、ジャルヴェーズも誰にも見取られないまま死んでしまうのである。
これがゾラの言う「生きた教訓」であり、「道徳的な作品」だとすればなんと残酷で、なんと救いのない小説であることか!
ただし、このジャルヴェーズの人生は絶望だけで描かれているのでもない。
ビジャールの娘・ラリーの、死に際にまで家族の夕食を心配する哀れな姿、
そして物乞いをするジャルヴェーズが偶然出くわしたグージェが堕落したはずのジャルヴェーズを見ても愛を告白し、
そしてジャルヴェーズもそのグージェに対してだけには人間らしい躊躇をする。
この二つのシーンが唯一この作中で人間に希望が見える箇所なのである。
ゾラはこの惨状をありのままにさらけ出した作品においても、人間の希望を見捨てたわけではないのだ。
「民衆についての真実の書」とゾラが言い切ったこの『居酒屋』にわずかな希望が刻まれているということは、
ゾラは民衆にいくばくかの希望を抱いていたということである。
民衆を蔑視し、その存在を拒否していたことではないと感じる。
ジャルヴェーズという女主人公の生き様を見ると彼女の堕落は彼女自身のせいでもあるが、
環境というか、当時のフランスの労働者階級が強いられていた過酷な労働と劣悪な生活環境によるものであった。
それ故に、自然主義文学者であるゾラは「真実の作品」と言い放った。
彼女の人生を目を逸らさずに見つめなおすことが大事なのだと思う。
当時の読者層を思えば、ジャルヴェーズのような階層が本を読むとは想像できない。
当然、裕福層がこの『居酒屋』を読んだのであろうし、そこに描かれた凄まじいリアリティは強烈な印象を残したに違いない。
裕福層にとってはタブーに踏み込まれたような感じであったのだろうし、
現実を富の元に理想化せず、醜いものがありのまま描かれているのだ。
ジャルヴェーズの人生を通してわたしは真っ先に人間の絶望を見る。
その奥にその環境を作り上げてしまった社会の罪を見る。
それから、その醜い人間の生き様にあっても人の心が全部は失われることはないというゾラのメッセージを読み取る。
こういった作品であるが故に発表当時のゾラに対する誹謗中傷を想像するのに難しくないが、
長い歳月を経てこのジャルヴェーズという主人公の生き様が当時の民衆像であると、
現在では社会に受け入れられているということが容易に想像でき、
『居酒屋』の文学的価値が現代でこそ明確になっているのを感じているよ。
悲しい、でも人間そのものの姿に目を背けずに書いた作品だね。