個性の強い山中城、「土だけ、石を使わずの山城」「ワッフルみたいな障子堀」「富士山の見えるお城」。
どんなお城なのか、その後北条氏ゆかりの山中城がずっと気になっていた。
そのワッフル障子堀を自分の目で見た時、自分が兵卒になった気分で進軍ルートを想像する。
するとダメだ、現代の障子堀でも歩いて登っている間に、敵方の狙撃兵に撃たれてしまう。
戦国時代では土はもっと剥き出しで、堀は深く、滑りやすく、甲冑は重いだろうから、もうこんなの乗り越えるのは無理。
死地の畝堀の向こうに、一本の木が爽やかに立っている。
山中城の象徴的な景色、美しさの奥に見え隠れする当時の死地。
それにしても城跡の様子がかなり残されていてありがたい。
山中城跡は随分広いのね、東海道の左右に分かれて、まさに三島宿から箱根、ひいては小田原城の支城。
当時は滑りやすい関東ローム層の赤土、木はもちろん芝生もない粘土の斜面を歩いて登れるはずがない。
日本百名城のひとつ、山中城。その個性と防御力には驚きのひとこと。
でも豊臣氏の小田原城攻めの際に、山中城は落城している、兵力差15倍で攻められては堪らないだろう。
箱根峠の近く、森林豊かな山深くにまさかの山中城。
富士山の眺望がある山城、それなのに観光用に築城されていない、命のやりとりを富士山の前で。
箱根だって現代は爽やかな観光地、当時は箱根八里は天下の険、移動の敵地。
この日は雲で富士山の体部分が見えなかったが、ワッフル障子堀から富士山のお姿がはっきり見える。
整備された日本庭園でも見ている感じ、でもこれは戦国山城。
真っ直ぐに整えられた土塁の上を歩いた、なんとも贅沢な瞬間だった。
紅葉の季節、風に揺られて飛ぶ葉がちらほら。
少し離れると旧東海道の石畳が、ここを歩いた僕は時代の趨勢を噛み締めながらでした。
山中城址を訪れられたこと、お城ファンとしては涎が出る様な楽しい時間でした。