マンモスホットスプリングス・テラスマウンテン観光、見習い芸術家の冒険4話

8月26日(月)

  夏とはいえ、標高2,091mの高地となると朝晩はかなり冷える。8月も下旬になれば夏らしからぬ温度だ。温度計を覗くと、水銀が10℃付近にしか集まっていない。日中との落差があり過ぎる。昨日の朝と比べると、なんと不機嫌な朝だろう。だから今朝はちょっと寝袋に甘えてみた。寝袋の中の温もりは天国だ。この感じは近頃大好物になったアレに似ているな。あの「保証」という甘い言葉だ。

  いや、見習い冒険家である僕が甘えるのなんてほんの数秒だけさ。すぐに寝袋から身体を引っこ抜いて、テント入口のジッパーを開く。辺りに立ち込めている朝の厳粛な空気に大きく伸びをすれば、眠気は覚め、「保証」などという堕落の意識は吹き飛んでいる。あぁ、今朝も身体のたぎりが激しいよ。頭の回転もすぐに追いついてきた。朝から自分の内部にやたらと急き立てられる。僕はもう今日の冒険を始めたい気分になっている。

まずは洗面所へ顔を洗いに行くことにした。朝もやがキャンプ場の森の中に漂っている。心地良い朝の散歩で、一歩一歩が軽快に地面を叩く。このキャンプ場には何百人のゲストがいるはずなのだが、人気を全く感じさせない静けさだ。車のエンジン音はもちろん、人間の生活音が何も聞こえない。かすかに聞こえる遠くの連続音は何だろう?あぁ、あれはマディソン川の流れだな。散らばるように聞こえてくる高音のアドリブは何だ?あぁ、これは鳥たちがさえずる音か。

  蛇口から出る水の冷たいこと!思い切って顔面を冷やすと、益々心も身体も頭も冴え渡ってくるのが分かる。顔を拭いて、朝の清潔な空気に向かい小さくシャウト!朝一番の情熱を吐き出す僕。さぁ、まずは朝食に取りかかるぞ。身体が資本だからしっかり食事は取ろう。

  最後のワッフルを胃に収め、カップラーメンを腹に詰め込む。昨夜と同じ物でも、不満に思ったりはしないね。後片付けを手早く済ませ、今日の冒険へ備えて荷物を整える。何しろ今日は昨日の倍くらい忙しい。スタートする時間は早ければ早い程良い。お腹に物は入れたし、マディソンにもう用はない。せっかちにマウンテンバイクで走り出す僕。

  今日はマンモスホットスプリングスを冒険しようと思っている。昨日マディソンまで移動してきたばかりだが、明日冒険から帰ってきた後にはマディソンを引き払う予定だ。そうすると今日が唯一丸一日を冒険に費やせる日のため、一番過酷な旅程を組んでみた。

  今日の目的地・マンモスホットスプリングスまでは片道で57km!随分とハードルの高い数字ではないか。マウンテンバイクの限界が平均時速20kmぐらいだろう。片道57kmだから最低3時間はかかる。帰りを含めると移動だけでざっと6時間以上、もちろん冒険の時間はたっぷりと取りたいし、夜は暗くなるまでにまたここに戻ってこなくていけない。本当にかなりのハードスケジュールだ。

  もちろん最初からネガティブな考え方をしている訳ではないよ。憧れていた冒険旅行を今日こそは100%満喫できる。身に余る御馳走が目の前でぶらぶらしているようなものだ。与えられた課題の大きさに、否が応でも興奮せずにはいられない。

  大きな課題を前にすると、不敵な質問が己の身体の中から聞こえてくる。俺様の情熱を試しているのかい、と皮肉たっぷりの声色で僕の心と身体が問い掛けてくる。あぁ、そうだよ、全くその通りだ!オマエの情熱が本物かどうか、今日こそは見極めてやるのだ。

  マディソンから道を北東に取り、まずは23km先のノリスというポイントを目指す。ノリスまでの23kmは準備運動に過ぎず、ノリスからマンモスホットスプリングスへと北上する34kmの道のりがメインだ。ノリスの標高が2、281mとあるから、マディソンからは190m程の登りになるはずだ。190mぐらいの標高差は別にいいが、よく確認するとマンモスホットスプリングスは標高1、902mとある。これはノリスから379mも下れと言っているのだ。下るのは一向に差し支えないが、その帰りの登り坂を考えると大声で泣き出してしまいそうだ!もっともその程度は僕の足を止める程の障害ではない。

  マディソンから細かい登り坂がずっと続く。気力も体力もあり溢れている朝の僕に当たったのが君の敗因だね、僕のマウンテンバイクはスイスイと進む。

  この辺りにも相変わらずのイエローストーンの風景が広がっている。縦になったままの灰木と、横になった朽ち木。背の高い木のほとんどが無残な真っ黒の姿になっていて、おまけ程度の乏しい枝をつけて天に向け立ち尽くす木もあれば、力尽きて地上に横たわる亡骸もある。激しい戦闘が繰り広げられた跡のようだ。森から生命の息吹が感じられない。それだけ見ていると、未来なき絶望の絵にしか見えない。

  しかし、その死地の足元を縫うようにして小さな生命が息吹いていた。転がった倒木の脇で、焼け焦げた灰木の足元で、背の低い緑が点々としている。この緑はまだまだ赤子だ。緑豊かな森が復活するのにはあと何百年という時間が必要だろう。1988年の山火事からわずかにまだ8年、以前のような満面の緑は望むべくもないが、自然のサイクルは少しずつ動き出していた。この小さな緑の息吹はイエローストーンの希望だ。僕如き小さな生き物の頭では到底計り知れない自然の摂理がすぐ足元にあった。自然の生命は繰り返す。大きな理だ。

  山火事の被害を一番受けているのはマディソンとノリス付近だ。朽ち木が主役の森だから、それはそれは見晴らしが良い。かつては緑のカーテンで視界を遮られていたことだろうが、今は森の向こうに遥か彼方の山まで見ることができる。雪をかぶった山が遠目にも美しい。どこまで眺めても自然。僕のすぐ横にも自然。自然を自然に味わう冒険旅行、僕はイエローストーン国立公園を存分に味わっているのだ!

  ひたすら坂を登り、気持ちの良い汗を流す。まもなく陽が上がると、陽射しの強さは大したものになった。今日も暑くなりそうだ。太陽の眩しさを遮るためと風から目を守るためにサングラスは欠かせない。頭への太陽光線の攻撃は帽子で守ろう。風を切っていると唇がかさかさになってしまうからリップクリームもべたべたに塗っておこう。炎天下の長道だし、水分管理はしっかりしないと危険だ。

  小うるさい登り坂ばかりが23kmもずっと続いた。実際、平たい道を走った記憶がほとんどない。朝一番に当たる敵で本当に良かったよ。陽が上がり切って、身体に疲れがある状態ではちょっと厳しい敵だ。このしつこい敵を乗り越えると、目の前にノリスが現れてきた。

  ノリスにも有名な間欠泉があり、なかなかのポイントになっている。イエローストーン国立公園でも温泉の活動が最も活発な場所であり、そして温泉自体が若い。火山研究にとっては興味深い代物であるそうで、世界中から研究者が訪れると聞く。しかし申し訳ないと思うのは、マンモスホットスプリングスをメインと仰ぐ僕にとってノリスは前座としか見られないということだ。

  キャンプ場や博物館もあるノリスは、マディソンと同じぐらいのポイントだと想像できる。そうすると、冷たい飲み物が期待できるかな。昨日のオールドフェイスフルビレッジみたいに店でもあれば、この先の辛い辛い道のりに向かう気持ちがかなり楽になる。もちろん、自動販売機があればそれでも充分だ。23kmを一息に走破し、今日初めての休憩を取るべく本線からノリスガイザーへの道に外れた。

  さて、こういう所に来るとみんなに注目されるのは承知の上。ほんのわずかな時間だが、これがかなりの快感なのだ。こんな時、僕は嘘をつく。クールを演じてマウンテンバイクで駐車場に乗り入れる僕。いかにも精悍そうに、いかにも寡黙そうに、しかし堂々とした態度でマウンテンバイクを操り、僕は登場する。駐車場にいた人たちの視線が一瞬にして僕に注がれるのを感じる。アイツは凄いヤツだ、という熱い視線を感じるぞ!

  しかし僕自身はというと、「こんなこといつも通りだろう!イエローストーンの宇宙の広さを考えれば、何でもないことだ!」とばかり、しらっとした顔で歩いてゆく。本当はみんなに笑顔で手を振って歩きたいような気持ちなのに、やけに冷静に歩いてゆく。ほら、こんな自分自身は嘘だろう!まだそんなレベルには達していないはずなのに、それでも外見だけ見られる分には分からないだろうから、僕は役を演じるのだ。

  嬉しいことに、懐かしい日本語が耳に入ってきた。「自転車で、よくここまで来れるわねェ~。凄いわぁ~」と、数人の中年女性たちが僕の方を見てそうしゃべってた。同じ言葉を話す人間とは思っていなかったのだろう、そのまま会話が筒抜けだ。あなたがた!実はその凄い男もあなたたちと同じ東洋の島から来ているのだよ!どうか、そのことに誇りを持って 下さい。僕はすかさずそう願ったが、役を演じている最中なので何も言わずにその場を静々と立ち去る。――そう、僕は冒険旅行家。レンタカーという一般的な方法もあるのに、冒険したいがためにわざわざ不便なマウンテンバイクを選んだのだぞ!

  ノリスの温泉地帯をぶらぶらと歩いてみたが、僕はどこにも「華」の存在を感じることができなかった。色々な間欠泉があるが、そのひとつにスチームボートガイサーという間欠泉がある。不定期に大爆発を起こす世界最大級の間欠泉で、その時には30~40分にわたって100m以上も噴き上がる時があるらしい。100mは凄い、オールドフェイスフルの1.5倍以上も噴き上がるという計算になるではないか。しかも30分間連続でとは、どれだけ凄まじい間欠泉だろうか。しかし、大噴出の間隔が全くの気まぐれでは仕方がない。きっとその大爆発の時に限定すれば世界一のヒーローになるのだろうが、世間とは得てして飽きっぽいもの、それではヒーローにはなれない。もちろん他の間欠泉にも味はあるのだろうが、先を急ぐ僕の目には留まらなかった。

  僕の頭と身体が言い争いをしていた。身体のことを気遣わない頭が「とっとと先に進め!時間はないぞ!」と主張すると、「先は長い、少しずつ休憩を取りながら進むのが上策だ!」と、現実を知る身体がすかさず反論する。身体と頭の両方の言い分を聞いた上でそれを裁かなくてはならない両方の上司は僕自身だ。どうやら今回は、身体の献策の方が尊重に値する。階段に腰掛け、10分ばかり身体を動かすのを止めることにした。

  駐車場に戻る道すがら、小さな土産物屋を見つけたので冷やかしで入ってみた。土産物か、今の僕にはまるっきり縁のない言葉だな。土産物ではなくて冷たい飲み物を期待して店に入ったのだが、そんなのはなかった。何でここにはジュースを売っている店もなければ、自動販売機も見当たらないのだー!身体の熱と喉の渇きを静めるのに、生温くなった水筒の水だけでは足りないぞー!

  飲み物もなかったし、「華」の存在も見つけられなかったし、ノリスに来た意味がなかったような気がして、がっくりした僕は駐車場へ戻る。あぁ、僕にとってノリスは時間の無駄だけにしかならなかったのか、と決め付けようとした時、建物の陰にある自動販売機を見つけた!

  ――おぉ、逢いたかったよ、自動販売機君!冷た~いレモネードをその場で思わず1缶ガブ飲みし、もう1缶買って水筒の中身を交換した。マディソンキャンプ場の水もいいのだが、レモネードには敵わない。さぁ、これで補給は完璧だ。心身共にリフレッシュしたぞ!いざ、恐ろしく長いノリス~マンモスホットスプリングス間に挑もうではないか。ありがとう、素敵な補給地・ノリスよ!

  マディソンからここノリスまでが23km。そして、これからマンモスホットスプリングスまでが34km。ここまででも結構長かった。次はさっきまでの1.5倍か。臆病ではないが、ため息が出る。はぁ~。まだまだこれからだなぁ~。

  ここまではずっと登り坂だったから、帰りは体力を全然使わないだろう。今日最後の最後の23kmのために体力を残しておく必要はない。ペダルは漕がなくとも結構なスピードで下っていけるだろうから、注意力さえ切らしていなければなんとかなる。問題はこのノリス~マンモスホットスプリングスの道がどうなっているかだ。地図上の計算で出てくる379mという高低差が怪しい。油断ならない展開になること間違いなしだ。

  一日で114kmを走破か。人生で最初の、もしかしたら最後の経験になるのかもしれない。──まぁ、なるようになるさ、考えても仕方がない。ここは僕の頼もしい身体に一任しよう。先のことは分からないが、今は目の前に現れるひとつひとつののっぺりした道をただ踏みつけて行けばいい。

一番長くて一番辛い時間が、文章にすると一番書くことがなくて一番短く終わってしまう。これは皮肉だ。──だが、僕の記憶ははっきりとしている。大草原を駆け抜けるグレーのマウンテンバイク、美しい自然の景色に絶え間がないのと同様に、僕の情熱にも絶え間はなく、決して足の動きを止めることはなかった。イエローストーンの大地で一人の見習い冒険家が冒険をしていた。見習いではあるが冒険家は確かに存在していたのだ、それは確かに、それは間違いなく――

  ノリスから何km走ったのだろう。幾ら走ってみても「XXXまであとXマイル」という標識はない。過ぎた時間と相談して距離を測るのみだ。落差379mのあの噂はどこ吹く風で、道は真っ平らのまま地面に横たわっている。ノリスを出てから、もう1時間半もその状態が続いた。ひょっとして、僕はこのまま永遠に走り続ける運命なのかもしれない。そんな幻想に取り付かれていると、左手前方にキャンプ場が見えてきた。地図を広げて位置を確認する。Indian Creekというキャンプ場だ。ノリス~マンモスホットスプリングスの半分過ぎだ。位置を確認して僕はまたぼやいてしまう。あぁ~まだ15km近く残っているよ!

  またまた冷たい飲み物を求めてキャンプ場へ迷い込んで行く僕。炎天下で1時間も走ると、ノリスで補給したばかりのレモネードもすっかり温くなっていた。汗が一杯出るから水分補給は欠かせない。これまでのどのポイントでも冷たい飲み物にありつけていた甘い経験を思い出して、今回も僕の鼻がひくひくと動き出す。マディソンにあったぐらいだから、きっとここにもある!ここだって同じキャンプ場だ、冷た~いのを売っている自動販売機があるはずだ!キャンプ場への道は本線からどんどん離れてゆくが、ここは距離をロスしてでも行くしかないだろう。

  車道からキャンプ場まで随分距離があった。我慢してたどり着き、僕はキャンプ場の入口付近をウロウロする。なんだかここはマディソンとは違う。人気がないのだ。更に奥へと探検してみて、幾つか分かってくることがあった。このIndian Creekというキャンプ場にはレンジャーも常駐していなければ、マディソンのような水洗トイレや電話やらの設備もない。自動販売機はないようだね。冷たいレモネードはここでは買えない。そもそもここはどの観光地からも不便な所にあるキャンプ場だし、規模も大きくはない。ここは、ピクニックデスクとテントサイトさえ確保できればいい、という玄人向けのキャンプ場のようだ。サービスを期待する場所ではなかった。

  結局、車道からこのキャンプ場まで半マイルもうろつくことになってしまった。閑散としたキャンプ場にも所々にはテントが張られている。ふと、蛇口を見つけ僕はバイクを降りる。暑さでフラフラになっている頭に水をかぶせる。あぁ、この心地良さ!冷えたレモネードを飲み干す快感に次ぐものだ!水道水は生温いが、水筒の中身よりはまだ幾らかは冷えている。中身を入れ替え、僕はまた車道の方向へと走り出した。

  同じ道を意味なく繰り返すのは大嫌いだ。あ~今回は無駄だった。疲れ損だった。車道まで半マイルだから往復1マイル分の体力が削り取られたよ~。全く。無駄な。ぶつぶつ。そんな愚痴をこぼしながら道を戻っていると、ふと目の前に近道が見えるではないか!

  草むらの先に車道が見える。これはかなりのショートカットになるぞ。それに、素直に元の道へ戻るのよりもずっと面白そうだ。どう見てもこれは行くしかないでしょう!若者は迷わずそっちへ突っ走る。

  しかし、その考えが甘かった!道なき草むらをかき分けて進むと、確かに道路は見えるがその前に幅のある川が邪魔をしている。あぁ、酷いものだ。せっかくここまで来たのに、またあの道を戻って遠回りをさせるつもりかい?おい、僕にダブルパンチを食らわすつもりかい?今の僕にそんな余裕がないことぐらいは分かりそうなものだけれどな。

  僕はマウンテンバイクを肩に担ぎ上げた。こんなのは川ではない、見る限り浅瀬のレベルだ。この深さなら突破するのを無謀とは呼ばない。ちょっと濡れるぐらいで乗り越えることが可能なのだから、ザブザブと突っ切ってみよう!テーマはワイルドだぜ!

  俺様はばしゃばしゃとワイルドに川越えをしてやった。何だこんな可愛い浅瀬、余裕で車道へ合流できたぜ!更に格好良く、何事もなかったかのように颯爽とマウンテンバイクを跨ぎ、ペダルを漕ぐ。

  ――おいおい、足が重いじゃないか!!何となく威勢が良かったので、さっきまで緩んでいた自分の士気がかなり高まったのだが、実はただ単にブーツとズボンを重くするだけの愚かな行動を取っていたようだ。良かったね、またひとつ賢くなったね、ワイルドを気取ったお馬鹿さん。ブーツを脱いでひっくり返すと元気に水がザーッと流れる。靴下をギュッ、と絞りましょう!おーし、もうひと頑張りしてみようか!最後に笑いが入ったことで、更に僕は元気になったのだ。

  鋭気を取り戻し、僕は好きなだけスピードを出して無人の野を行く。靴下が少し乾いてきた頃、視界に遠くの山並みが開けてきた。さっきまでも、ず~っと先の景色は見えていたが、あくまで横の広がりとしてであり、縦に展開はしていなかった。それがどうだ、一気に視界が開け、景色が一変した。今走っている道路よりも低い位置に次の景色が広がり始めてきたのだ。今までは常に自分よりも高い位置に道路が続いていた。――これは何かが変わる。すぐさま肌がそう訴えてきた。

  道は突然、急勾配の下り坂に入った。この容赦なき角度は、どうやら山を一気に下るぞ!あっという間にかなりの速度がついていた。あぁ、相当危険な坂だ、転倒したら歯止めがなく、崖へと真っ逆さまだ。ヘルメットなんて格好悪いのでしていない僕、バランスを崩したが最後、間違いなく死ぬ。

  ――死んでもいい!冷静な頭でそう思った。ドライブ感という快感に僕は完全に支配されていた。快感と興奮!ドライブ感を一片たりとも逃がすまい、こんな感動は他にないぞ!転んだら死ぬとちゃんと分かっているから、頭で興奮しながらも両の目はちいさなことでも何ひとつとして見逃すまい、と大きく見開かれている。音楽も止めて、ドライブ感と己の五感に集中した。

  あぁ、頭の決意とは裏腹に、身体が恐がってブレーキをかけている!その臆病は笑うまい、しかし、僕は我を忘れていないぞ!ドライブ感に乗っ取られながらも、頭は驚くぐらいに冷静だ。すると、いよいよ身体も覚悟を決めたのか、ブレーキを握る指が次第に緩んでくるではないか!

  僕は車道の真ん中を乗っ取った。車如きが何だ、今の俺様には関係ない!今だけはこの俺様が最優先だ!と決め付けて、物凄いスピードで距離を稼いだ。

  ――とばせ、とばせ!!この一瞬が全てだ!帰り道がどうなろうと、それは今するべき想像ではない!車の人たちもきっと分かってくれる、いや、分かってくれなくても結構だ!我が尻尾となり、後塵を拝せ!それよりもこの数分間の永遠を堪能しなくて、一体何を冒険と呼べばいいのか!今なら死んでも本望だ、このまま永遠を共にしよう!

  ――OHHHHHHHHHH!!冒険家は雄叫びを上げて坂に突っ込んでいった。

  時速40kmで急坂を下り続けること数分、マンモスホットスプリングスの案内看板があり到着を知った。せっかくの快感を楽しんでいたのに!惜しいなぁ~もう終わりか~。でも、帰り道のことを考えるとそろそろこの下りが終わってくれて安心した。急ブレーキをかけ、車道を左に折れてマンモスホットスプリングスへの入口へ進む。

  駐車場は車でひしめき合っていた。駐車スペースを探して車が立ち往生している。しかし僕ときたらそんな俗世間とは全く関係がなく、空車待ちをしている車の間を縫って進んで行く。ついでにサービスでみんなに教えてあげた。みなさ~ん、何を立ち止まっているんですかー?マウンテンバイクは便利ですよー!そこの坂を下ってきましたけど、時速40kmの快感を知りたくないですかー!

  ようやく地面を歩くことができる時間が来た。でもそうなると他のみんなと同じになってしまうのでそこがちょっとつまらない。これでもう誰もこの僕がマディソンからマウンテンバイクで来た冒険家だと分からなくなった。俺様はオマエらとはちょっと違う、というOutsideな優越感がなくなってさみしい。でも頭の別の所では、これで誰にも注目されずに人間観察と自然観察ができる、という考えも浮かんでくる。それに大自然の中にたった一人ではないことに心が落ち着く。あぁ、やはりこの僕にも一人でいることでの不安があるんだな。いつも最初だけ、歩き出す時だけ傲慢な人間になってしまうけれども、どうか許して下さい。

  僕はすぐに敬虔な一自然鑑賞者となってトレイルを歩き始めた。ここはあのオールドフェイスフルと並ぶ2大ポイントの片方だ。どれだけ素晴らしいものに僕は出逢えるのだろうか。それがすなわち、往復114km、6時間以上に及ぶ僕の修行を認めてくれるかどうかの答えだと思う。

  さぁ、刮目せよ!おっと、マンモスホットスプリングスよ、あなたも刮目するのだよ!この僕があなたの偉業を見ようと刮目するのはもちろん、あなたも僕の冒険の挑戦に対して刮目することを要求しよう!これは、互いの秘術を交わし合う真剣勝負なのだ。いよいよ、今日の冒険が始まる。

  駐車場から歩いてすぐの所にマンモスホットスプリングスの主役はいた。テラスマウンテンという名前の、温泉の段丘だ。駐車場はテラスマウンテンの更に上にあるので、まずは上から下へと見下ろす形でテラスマウンテンが視界に入ってきた。

  ここは氷河の国か?それとも滑り台の国か?そのどちらでもなければ、白い珊瑚礁の国なのだろうね。僕の目に飛び込んできた景色は、これもまた僕が全く知らない世界だった。湧いてくる温泉に含まれる石灰分が長年蓄積され、天然の階段が創り出されたと聞く。地道な積み重ねが行われ、今こうして白珊瑚の美しい階段が形成された。そして、頂上から湧き出した温泉が、その階段を優雅に流れ落ちているのだ。

  おまけに、今日は3頭の鹿がその階段の頂上でのんびりとくつろいでいる。上から見渡すそのテラスマウンテンは独創性に溢れ、何とも味のある景色だったが、僕を一目で惚れさせるというにはまだ刺激が足りなかったのかな。

  その段々を横や下から眺めたい人たち用にトレイルが用意されているので、僕は次の展開を求めてトレイルを下ってゆく。ペンギンが似合う景色だな~とか、白熊がいたら言うことなしだな~とか訳の分からない想像をしながら歩いて行く見習い小僧。一目でここを理解してしまったつもりで、大して期待もせずにただ流れに沿って歩いて行く、相変わらずタチの悪い観客だ。

  しかし、だいぶ下まで降りてからふと後ろを振り返った瞬間、そんな僕も目からうろこが落ちたような気がした。

  氷河か珊瑚か滑り台か、とにかく白くて平べったい台が断層を重ねて真横に広く幅を取っている。鳥の肌のようなでこぼこ岩肌。頂上から下まで何層の階段があるのだろう、ひとつひとつの断層は数十cmぐらいだが、階段全体としては20~30mの高さか、いや、もっとあるな。段々の横幅も20mはある。あぁ、この階段は下から見るのにちょうど良い角度を持っていた!30~40度の角度で段々が下へ末広がりになっているので、下から見るとなんとも素晴らしい壁となって見えるではないか。更に更に、下にいる僕からは、テラスマウンテン頂上のその上には空しか映らないのだ!なんと見事な計算!これが計算された人工のものではなく、自然にできたと考えるだけで身震いするではないか!自然に、意志の力が働いているのだ!自然の中でも芸術の虜になったヤツたちが、ここを創り上げたということに僕は何の疑問も持たないぞ!

  階段は白色を気高く誇っている。青色をバックにポーズを取る白い階段。湯気をあげ、その段々を勢いよく流れるお湯。ここは「美」を形にすることを目的として建てられた神殿だと思った。抽象的な概念である「美」というものを具現化し、それを万人に見せ、万人にその意味を具体的に理解させるために創られた建物だろう。その狙いにずれはなく、確かにこれは万人の感情、つまり人間の本質の所で「美」という言葉を思い浮かばせる。全ての人間がこれを美しいと思うということだ!

  僕が個人的に驚いたのは、そのエネルギーの種類だった。今まで僕の19年間で見てきた、雪山だったり氷河だったり、引いては白くて音を発しない美というものが持つエネルギーの種類といえば、プラスかマイナスでいったら間違いなくマイナスだった。その僕の今までを嘲笑うかのように、この白い段々は明らかにプラスエネルギーを持つヤツなのだ。まぁ、これは僕の人生経験の未熟さからくる驚きだ。しかし、静寂と白と、そしてあからさまなプラスの情熱がこれ程まで違和感なく同居している例を僕は知らない。何とも見事な建築物よ。

  忘れてはいけない。これはあくまで自然の一部なんだよね。しかし、そいつが本当だとしたら、とんでもない奇跡だ。

  奇跡?いや、それも違うだろう。偶然に偶然が重なってもよいのは2つまでで、それ以上重なるとそれはもう偶然ではなく必然と呼ばれるのだ。このテラスマウンテンの美しさに重なった偶然の数は2つでは足りない。するとこれは必然の創造物、やはりテラスマウンテンは神に創られた「美」の具体的な概念なのだ。イエローストーンという自然美の神が創り出した傑作、それがこのテラスマウンテンだ。

  素晴らしい出逢いだった。オールドフェイスフルと並び2枚看板を謳うだけの魅力が充分にある。僕の往復114kmの道のりから生理的苦痛だけを消し去り、114kmをやり遂げたという到達感だけを残してくれる程だった。ここに来ただけで、今日の冒険の意味を手にしたと感じる。今日はもうこれ以上何も習わなくても大丈夫ですよ~。もう既に、今日という一日が無駄ではなかったという確かな証拠を見つけることができたのだから!

  アッパーテラスドライブというコースがあるので、マウンテンバイクで行ってみることにした。そこでは、一方通行になっている道路沿いに小さな温泉たちが分譲住宅を構えていたが、やけに登り道ばかりが続き、肉体労働をする僕には大変ハードなコースだった。テラスマウンテンを都心の超高層マンションと見立てると、この一方通行から見る景色は郊外の閑静な高級住宅街というイメージかな。しかし、郊外の広い高級住宅街には車が似合う。自らの足でペダルを漕ぐ原始的な乗り物で乗り付けてきた僕にとっては、とても辛い場所だった。結局何も得られず、かなりの体力だけを消耗してテラスマウンテンへ戻った。

  さて、次は下のマンモスホットスプリングスビレッジへ向かうことにした。テラスマウンテンから見ると随分下の方にビレッジがある。マウンテンバイクで一下りしようかと思ったが、テラスの周囲を縫うようにトレイルがありビレッジへと繋がっているのでそのトレイルを下ることにした。ここは随分とまたえらい急斜面にできた芸術作品なんだな。成る程、さっきの急勾配の上からとでは本当に景色が一変する訳だ。あの時何かが変わると感じた原因は、このマンモスホットスプリングスの存在によるものだったか。

  トレイルはロウアーテラスエリアと呼ばれる斜面を下り、マンモスビレッジへと僕を誘って行く。沢山の人がこのトレイルを歩き、途中途中にある温泉を眺めていた。このテラスマウンテン~マンモスホットスプリングスビレッジ間のトレイルはちょっとした登山道だ。さっきの下り坂とこのトレイルを合わせて標高差379mという計算なのだろう。

  僕の目にはロウアーテラスエリアのどの作品も光を発していないように映る。最初からナンバー1を見てしまうとこれが恐いね。主役にはもう逢ってしまったし、そうしたら次の標的は恒例の冷たいレモネードかな。おっと、その前にもうひとつだけ見てみたいものがある。ガイドブックを読んで前々から興味を引かれていたのだ。

  トレイルを下りきった所にそれはあった。リバティキャップという自然の塔だ。周りは乾いた平らな地面が続いているのに、いきなりひとつだけ天へと突き出しているものがある。ガイドブックで想像していたのはせいぜい2~3mの高さの塔だったのに、なんと実物は11mも身長があり、腰回りもただ事ではない。堂々としたその姿、僕はすっかり気に入った。高いということは万人に分かりやすい芸術表現だ。万人に美を教えようとしているという点でテラスマウンテンと共通している。これが、マンモスホットスプリングス全体の目的なのだろうか。

  当初順調に温泉を吹き出していた口にいつの間にか温泉の沈殿物が溜まってしまい、更にその上から温泉を流しては固まるといういたちごっこを続けた結果、最後には完全に口が塞がってしまったものだ。沈殿物もいいが、流れる温泉があってこそ美しい。そういう意味で、これは生きていない。昔日の面影はどこへやら、今はすっかり動かぬ死体になって立ち尽くしている。

  面白いヤツだろう?善悪や明暗の方向性を超越して、唯一無二の存在であれば全てが僕の興味対象となる。リバティキャップはビレッジとマンモスホットスプリングスの境を任された門番だ。あるいは弁慶の立ち往生だ。使命に忠実で、有能な門番に違いない。いずれにしても、興味深いヤツだった。

  通りがかった人に記念写真を頼んだ。リバティキャップの全身を写してもらうために、リバティキャップからちょっと離れた場所でカメラを渡し、僕がリバティキャップの足元まで走ってから写してもらった。いざ現像してみると自分は映っているもののカメラを横にして撮りやがったようで見事にリバティキャップの天辺が切れていて、それはそれは後日哀しんだものでした。

  リバティキャップから先は随分と景色が変わった。手入れの行き届いた芝生があり、小奇麗な建物が立ち並ぶ。緑にとっては死地であるテラスマウンテンとはうって変わり、至る所に緑の息吹が宿っている。歩道まであった。人間たちもここでは自分の足で歩くらしいぞ。ウエストイエローストーン以来の町に辿り着いたのだ。

  目をぎらつかせて水と食べ物を求める僕は、長い船旅を終えて陸へ上がった船乗りの形相に近かっただろうな。そんなみすぼらしい僕とは対照的にバケーションの楽しい雰囲気を漂わせるビレッジ。ウエストイエローストーン程の大きさはないが立派な町だ。僕は少しだけ町という「保証」に甘えたくなった。

  土産物と飲食物のストアを見つけ、冷えたレモネードばかり4缶も買おうとした。ストアは混んでいてレジは長蛇の列。ようやく僕の順番になると、レジのおばちゃんが僕を見て「貴方は喉が渇いてるんだね!」とそのまんまの言葉を贈ってくれた。あぁ、凄いよここは。これだけ人が並んでいるのに、レジ打ちをするおばちゃんに全く焦りの色はなく、お客と軽快に会話をしてしまうぐらいの余裕がある。僕は笑っておばちゃんに応えたが、そこで僕が本当のことを伝えていればおばちゃんの表情は変わっただろう。驚きの余りレジを打ち間違えたかもしれない。「だって僕はマディソンからマウンテンバイクでここまでやってきたんだよ」――その言葉はあえて発せずに僕はその場を立ち去る。世間に無用な混乱を与えてはいけません。美酒を2缶続けて飲み干すと身体がとっても喜んでいた。あぁ、これはいいね~。これはたまらないね~。残りの2缶は帰りの長旅に備えて水筒に流し込んだ。

  マンモスホットスプリングスビレッジは、歩いて周ることができるぐらいの広さだ。しかしその中にツーリストインフォメーションセンター・郵便局・ホテル・ガスステーション・レストラン・病院・ストアなどの施設が揃っている。昨日のオールドフェイスフルビレッジと同じぐらいの設備だ。ホテルまであるのだから、やはりここはイエローストーン国立公園の看板役者として位置付けられているのだ。

  ツーリストインフォメーションセンターを覗き、公園にまつわる資料を見て周る。しかし、どうも僕の心は興味を示さない。そのままどの施設も素通りして、またロウアーテラスエリアへ足が向かっていた。余裕がある観光旅行で来たのならさぞかし楽しいビレッジなのだろうが、今の僕とはかけ離れた世界だったのだ。僕は僕の大自然に帰ろう。

  テラスマウンテンに着いた時からずっと歩きっぱなしだ、僕は結構疲れてしまっていた。さっき降りてきたばかりの坂道をすぐ登るとはなんとも情けない。テラスマウンテンの感動は本物だったが、どうも後の調子は良くない。まぁ、テラスマウンテンに出逢えたことだけで、今日の冒険は命を得ることができた。もう思い残すことはない。このままマディソンへ帰ろうか。

  ロウアーテラスのトレイルを上がり、ようやくのことでテラスマウンテンの頂上まで戻ってきた時、僕は真剣に思った。今は身体に充分な休憩を与えよう。身体だけではなく、余りの疲労に頭までもどうにかなってしまったのか、回転が鈍い。こんな状態では、あの帰りの登り坂と、その後に控えている57kmに耐え切れるとは思えない。今の僕にはまとまった休養が必要だ。

  落ち着いて身体を休められる場所を求め、僕はマウンテンバイクに跨った。幸運にもそれはすぐに見つかり、ビレッジ寄りの高台の静かなベンチに座り込むことにした。もう当分は動かないよ。徹底的に休むぞ!

  打てば響く僕の願い。望んだ以上のものが僕に与えられるのだから、どうやら僕は本当にイエローストーンに気に入れられているようだ。僕は身体への休憩だけを望んだのだが、僕に与えられたものはそれだけではなかった。

  座った僕の丁度真正面に、雄大な景色が広がってくれていた。この雄大の言葉のレベルは桁はずれに大きい。広がっている空間の量が今までとは比べ物にならないのだ。

  果てしない草原と、そこに枠をつける山並み。それがさっきまでの雄大の意味だった。今日ここまで走ってくる途中にあったような大草原のように、遥か彼方の山並みの手前一杯まで広がる草原の空間を永遠だと思っていた。

  今、己の眼を大きく開こう。さっきまでは景色の枠だった山並みが、ここでは自分の目線と同じ高さで果てしなく続き、空との境界線を枠にしてフェイドアウトしている。枠である空までの景色が永遠なのだ。

どちらも、景色の枠までの距離を永遠に感じたという意味では同じだ。しかし、その次元が違う。なんだこれは!桁がひとつ違う。山峰が地上に連続して、その終点を見ることができずに空にフェイドアウトしているだなんて、枠までの空間の量を表す単位に一体何を使えばいいのだ?これは天文学的な数字になるだろう!あぁ、この空間の果てしなさは宇宙の理だ。

  ――身体は休みつつも、頭はフル回転を始める。

  改めて思う。ここは楽しい観光地という触れ込みではあるが、実は単なる山奥の一角であり、大自然の正に真っ只中である。人間の手が加わっている部分が割合多く目に入ってくるからと言って安心するなどとんでもなかった!

  目の前の山並みにもきっとどこかには終点があるのだろうが、視力の方が先に負けてしまったので景色は尻切れ蜻蛉になっている。この山脈がどこまで続いているのか皆目見当もつかない。とんでもない空間を、僕の目は捉えている。

  いつもの街で、いつもの生活で、いつもの僕が丘に立っているシーンを想像してみた。すると、僕の四方ぐるりと灰色のビルが占領しているシーンが浮かんでくる。ビルとビルとの間にはわずかな空間しかなく、景色に緑色はない。生命力に乏しい灰色なのだ。

  このイエローストーンにビルがないのは当たり前で、僕はそんなことを言いたいのではない。僕は久しく街に住んでいたからか、忘れてしまっていた。僕も野生動物と同じく一匹の動物だということを。

街に住んでいようとも、僕の本性は人間という種の野生動物にある。この景色を見ていてそれを思い出した。僕の身体には紛れもなく、野性動物の血が流れている。大自然を見ていて心が落ち着くのはその現れだろう。国立公園を冒険の場に選んだ僕は、知らずと己の内なる心の声に従っていたのだろう。こういう原始の景色を見続けていると、動物としての本能が僕を支配するかもしれない。満月の光を浴びることで活動し始めるドラキュラのように、僕も大自然を見ることで野性の猿となるか。

  自然を愛でる僕は、普段とは違う自分自身か、それとも本来あるべき姿なのか。なんだかどちらでも大差はない気がしてきた。今の僕は自然を愛するためだけに生きていると言ってもいい。これが自分自身だ。外から見ている人の目に、僕が人間に映っていようが野性動物に映っていようがどちらでもいい。自分自身であればいい、自然を愛する何らかの存在であればいいのだ。

     この広大な土地を支配しきれないからだろうか

         自然と共存してゆく事を真に願っているからだろうか

     ただ見て過ぎるだけではない

         自然の美に対して人の偉業を見せつけてやりな

  終点を見せずに続くイエローストーンの山並み。ふと、単純な質問が浮かんだ。何故この景色は東京のように開発されていないのか?余りに広過ぎるから、開発する人間がやる気を出せずにいるからか?ただの偶然で、ここが近年の開発対象には入っていなかっただけか?いつかその時期が来たのなら、この一帯も開発される運命にあるのか?

  つまり、ここは人間の開発を待っている土地だろうか。それとも、いつかは開発される運命にあるが現時点ではまだ開発されていないだけ、という考え方は間違いで、始めから人間たちに開発する意志はなく、この大自然と共存しようと思っているのだろうか?

  愚問であろう。こんな問いかけをするヤツの方がおかしいに違いない。だが、僕はあくまで真剣で、自分で生んだ疑問に迷い込んでしまった。あぁ、これはどちらも正解だという気がして仕方がない。それぞれそれなりの理屈が通っている。まだ時間が来ていないだけか。それとも人間の本気か。一体どちらなのだろう。答えて欲しい、この穏やかな景色よ。

  ――それともうひとつ、ある考え方が僕の身体に深く根付き始めていた。義理堅く、プライドの高い僕らしいこと。僕がそのままこの考えに現れていると思う。

  何か素晴らしいことをしてもらったのならば、僕は自分なりに納得がいくレベルでのお返しをしなくては気持ちが悪い。一方的に何か素敵なことをしてもらうだけではすっきりしない。一度や二度ならまだしも、数を重ねてゆくにつれ僕は苦しくなってゆく。

  最早僕の限界は過ぎてしまっていたのだ。この国立公園では素敵なものを一杯もらった。この素晴らしいイエローストーンの大自然に何かお返しをしなくては、僕の心が収まらなくなっている。更に大きなことを言おう。僕だけではなくこのイエローストーンを訪れた全ての人間たちが何かしらのお返しをしなくてはいけない。ここの美しい自然を見て感動しなかった人間なんているはずがないからだ。

  僕はやる!やってみせる!今の僕にできる最高のお返しは、一人の美しい自然鑑賞者となることだろう。騒がしく、野暮な観光客には絶対にならない。美しいこの自然に溶け込むような、そして叶うことなら自然の美しさを少しでも引き立てることができるような冒険者になろう。それはなんとも心震える、素敵なことではないか。

  一方的に自然の美しさを見せてもらうだけで終わりたくはない。この偉大な大自然に対して、こちらからも何かしたいと願う。僕には方法がある。僕ならば、冒険旅行をやり遂げることでそれを実現することができる!こんなちっぽけな僕でも、この大地をALL BY MYSELFで駆け回わることができるのだと証明することで、己の美しさを大自然に見せ付けようではないか!

  自然の美しさに甘えるだけの存在でありたくない。敬意を表し、こちらの美も見せたい。そうでもしなければ、この僕がイエローストーンに存在していることの意味が一体何処にあるというのか。これは僕だけのことではない。この大自然に足を踏み入れている全ての人間たちよ、それぞれにある美を開花し、この大自然の偉人に見せつけようではないか!

  僕はそんな野望に夢中になった。この考え方が端的であるのは承知の上だが、それなりの筋は通っていると信じている。

  数十分後、身体が回復してきたのを感じて腰を上げる。さっきの考えがまだ頭の中をグルグルしていた僕は、テラスマウンテンへ再び立ち寄っていた。──言葉を詠もう。手すりに腰掛けて、マウンテンテラスを優しい目で見上げ、僕の心の動きを文字にしようと努めた。見習い芸術家は心の扉を開け放ったのだ。

     氷河か珊瑚か地獄か天国か

         紅いテラスはプラスの情熱

         蒼い氷河はマイナスの情熱

     誰もが気付くが人は寄せ付けぬ一人走りのアツイ情熱

     誰も気付いてくれぬ孤独で無言、ただ恐ろしい程深い冷たい情熱

                             ~マンモス・ホットスプリングス~

  太陽の光が斜めから射す時間帯になっていた。白かったテラスが、傾く陽を受けて真っ赤に染まっている。怒りに震えて湯気を巻き上げる赤い階段を、攻撃的なスピードで熱水が下っている。

白いテラスを初めて目にした時も、その情熱の方向性はすぐに分かった。しかし、赤色の階段へと姿を変えたこのテラスマウンテンが放つ情熱がプラスのエネルギーであるということはそれにも増して誰の目にも一目瞭然だろう。

情熱にも色々な種類があると思う。今までも薄々は感じていたのだが、形を持つ言葉としてはっきりさせたのはこれが初めてのことだ。情熱の方向性。これは新説だ。質の高低は僕如きが口を挟むことができないからここでは考えないが、その情熱がどういった種類のものであるかは僕でも判断できると思う。

  目の前で放たれているのは、間違いなくプラスの情熱だ。分かりやすく、誰もがその存在に気が付く。同時に誰もが恐れおののいて通り去って行くので、近寄ったり、言葉をかけたりする者はいない。傍目には派手に映るが、誰も親しくしようとはせずにそのまま通り過ぎるだけ、つまりは一人走りの孤高な情熱である。

これを見てすぐに思い出したのは対になるマイナスの情熱、今年5月に見てきたアラスカの氷河のことだ。

  アラスカの氷河は無口なヤツだった。己の情熱を自分からアピールすることを一切しないヤツだった。外見の美しさは遠慮なく見せ付けているくせに、その奥に潜む情熱はひた隠しにしていた。

  今年の5月、僕はアラスカを訪れる機会に恵まれた。友人と誘い誘われ、2週間のクオーターブレイクを利用して冒険旅行に出たのだ。アラスカ南部のスワードという町はずれでみた氷河の感動を僕は忘れない。

 B&Bのホストファミリーが、夕食後に僕たちを地元の氷河に誘ってくれた。子供二人と一緒に車に乗り30分ぐらい走ったのだろうか、車を降りると氷河の白い山がすぐ目の前にあった。

  噴火口から流れ出したマグマが途中で力尽きて白く固まった山のようだった。この山は既に死んでいるのか?と思って近付いてみれば、白い皮の下で活動している蒼い血が見えた。氷河は奥で生きていたのだ。

その妖しいまでの美しさに僕は心を打たれた。氷河の割れ目の奥の奥を覗けば覗く程、世界は広くなる。蒼色の美しさ。奥にゆけばゆく程、蒼はより蒼くなる。美しい宝物が奥に眠っていた。美しいという能力に特化した存在だと、始めは思った。

  だが、目を皿にして覗き込めば、その奥の奥に強烈なものが見え隠れするではないか。冷静な知力。理性のきく情熱。蒼の美は、浮かれていない。軽薄ではない。美を美たらしめている別の意識があると思った。美が、やけに落ち着いているのだ。美は美だと勝ち誇るようにしていてもいいだろう。傲慢であっても美は美であるのだ。しかし、氷河の美はそうではない。美を支える何かがこの美をより美しいものにしている。

  溢れんばかりの美を有して、美を見せ付けつつ、しかし別の才幹を発揮して統制を図る。美を飼い慣らすということは、それだけ調和の取れたコントロールを全身に張り巡らせているということだ。あれ程の情熱の岩山を押え込む抑制力!その才能は化け物だ。だが、周囲からはその能力がすぐには分からない。

  知らないこととはいえ、人は警戒なしにマイナスの情熱に近付いてゆく。外見の美しさだけを興味の対象として、うきうきした軽い気分で。白い仮面の裏に激しい情熱が秘められていることを知らぬまま。氷河は他人の侵入を静かに受け入れる。相当量の情熱を見事にコントロールしつつ、ただ穏やかに誰でも受け入れる。自分の外見の美しさを見よ、とばかり壮大にそびえ立つ。

  ――しかし、それは見る者を試しているのではないのか。外見の美しさだけに気を取られている輩を嘲笑しているのではないか。騙されたと思って、冷静に耳を澄ませてみよう。心を空にして、心を開放してみよう。すると、凄い音が聞こえてこないだろうか。氷は無音であるから、それは表面の氷が発する音ではない。籠もったような音。鎧の下で響くような音。そうだ、確かに聞こえる。表に出さないからこそ大変な質量の情熱が、ある意味でプラスの情熱を遥かに凌ぐ物凄い情熱が氷河の下で猛り狂う音が聞こえてくる。

  大きな落とし穴がある。僕は大変心配してしまう。人間たちの余りの盲目ぶりに氷河が興醒めをし、いつかその激しい情熱を人間たちに向けて爆発させてしまうのではないか、と。もしもそうなったら、無警戒に足を踏み入れていた人間たちに生き延びる術はない。その時のマイナスの情熱は地上の大陸を海に沈めてしまうような、さぞかし壮絶なものになるであろう。スワードの氷河を見てそんなことを想像していた、余りの怖さに足が竦んだ。

  プラスの情熱とマイナスの情熱。そのどちらが上回っているかを問題にしているのではないが、ALL BY MYSELFの冒険旅行を続ける僕は冷徹な判断を下すことができるマイナスの情熱であるべきだと思う。華のない性格が災いし、決してプラスの情熱にはなることが叶わない僕だから、マイナスの情熱からより多くのことを学ぶことができる。その一方で、見習い芸術家としての僕は爆発的な感情を大切にするプラスの情熱でもあるべきなのだ。

  この世の中を支配する2つの極性。陰に、陽に、それは真実を見せている。僕はたっぷり時間をかけ、テラスマウンテンに映し出されたプラスの情熱から学び、アラスカの氷河に見たマイナスの情熱を思い出していた。

  ――さぁ、情熱論はここまでにしようか。

  頭を切り替え、現実に返る僕。俗っぽいことだが、自分をここの景色に残したくなった。歩いてきたおじさんに写真を撮っていただけませんか、と礼を欠かさずにお願いしたのに、ヤツはなんとボタンを押す振りをしやがった。おいおい、そんなことを見抜けない俺様だと思っているのかい?悪意があるのか、それともカメラの使い方がまるっきり分からないのか。あぁ、話にならないヤツだ。僕はそいつを無視して、他の人に頼むことにした。おじさんよ、僕はあなたがこの世に存在することには一片の文句もないが、どうかこんな素敵な場所には現れないで下さい。どうかお願いします。次に引き受けてくれた別のおじさんはちゃんとシャッターを切ってくれた。

  マンモスホットスプリングスにさようならを言わなくてはならない時がきた。帰りの57kmと、これまでの身体の消耗度を考えると早目にここを出なくては日のある内にキャンプへ戻ることができない。ただ、早くここを出たい気持ちはあるが、走り出すには前の登り坂が怖いし、ここを去るにも惜しいものがあり過ぎる。心の中でだらだらとした駆け引きが続き、僕はなかなか踏み切ることができない。。

  感謝の言葉を直接伝えることはできないが、この大自然の偉人の存在を心に留め、己の血として肉としてこれからに残すことで決別の気持ちを整えるのはできる。僕はマウンテンバイクに跨った。――長い人生でたった数時間すれ違っただったが、あなたのことは忘れないよ。僕の血となり肉となり、あなたはこれからも僕の心の中にいてくれる。それではさらば!また逢いましょう、マンモスホットスプリングス!

  それからたっぷり30分、僕はこの世の地獄にいた。下る時は刹那の天国があった坂を、今度は小さくペダルを刻んでは、小さく進んで行く。全身から一気に汗が流れ出し、全身は滝のようになった。114kmの一日冒険サイクリング、最強の壁は後半の最初に現れた。マンモスホットスプリングスに情熱を見せ付けられたばかりの僕だから、僕は自分のプラスの情熱を引き出して闘っていた。この俺様の情熱を甘く見るな!ちっぽけな人間でも俺様は氷河にも温泉にもなることができる小宇宙なのだぞ!

プラスの情熱を全開にし、情熱論の勢いをもって最大の難関を乗り切った。どうだ、これで証明されたぞ。僕にはプラスの情熱だってあるのだ。マイナスの情熱だけではないぞ!

  それからは山と山との間に果てしなく広がる草原を走り続けた。一日の活動に少し疲れて鈍くなった太陽が横から差し込んでくる。その輝かしい光を受けて走るマウンテンバイクのスピード。陽が落ちる前にテントに戻ることができるという目安がまだついていない僕は、景色に構わずひたすら先を急いでいた。美しい自然の絵を横切り、無心で走り続ける一人の人間の影。端から見て、僕の存在も自然の一枚の絵に溶け込めていたのだろうか。少なくとも自然の絵を汚すような存在にはなっていなかったとは信じたい。

脇目も触れずに僕は先を急いだ。私心無き心、大自然の中の僕の自然。道は平たく、風も弱い。僕の両足はよく動き、スピードはイエローストーンに吹く風を上回った。マウンテンバイクは順調に距離を稼いでくれる。その速さに、僕は自分とマウンテンバイクがが一体化したかのような錯覚に襲われた。あぁ、僕の足が動いていなくてもマウンテンバイクは凄いスピードでイエローストーンの大草原を突っ切ってゆく――。そう、僕の足が動いていなくてもだ――

  昨日同様、この時間帯になると遠くの草原に映る野生動物たちの姿が格段に増えているのが分かる。僕は日中に活動する動物だから、主役を交代してそろそろ寝床に帰らないといけない。

太陽が、明日また大きなジャンプをするために一端身体を縮めようとしている。山陰に身を寄せ、休息を取るのだろう。今日のイエローストーンの黄昏もまた美しい。心の満足がこの自然に転写されたかのようだ。あぁ、空を染めるオレンジ色のなんという美しさ。僕の身体を流れてゆく風は日中の熱風とは違って涼しい。大きな冒険をやり遂げての帰路であるし、疲労感ですら心地良い。今日一日の冒険に心は満足し切っているが。そこに、布袋寅泰さんの「VELVET KISS」の甘く優しいギターが流れてきた。ギターの音色がイエローストーンの黄昏色に重なり、そこに幻想的な世界が生まれていた。それは僕を最高の微笑みにしていた。あぁ、大自然の喜び、ここに極まる!

あの風の中の思い出はいつまで経っても忘れられない。あの時の感動は、今もこの心に深く息づいている。行きは辛かっただけの移動時間が、帰りは最高の美の舞台だった。布袋さんのギターとイエローストーンの黄昏と、めくりめく美の競演を僕は贅沢に楽しんでいたのだと思う。

  マンモスホットスプリングスから1時間半でノリスへ戻ってくることができた。最初の30分はあの坂に費やしたのだから、その後はなかなかのペースだ。ノリスからマディソンの23kmの下り坂は50分で一息に下った。平均時速で27kmにも達していたことになる。とても気持ちの良い風切り時間だった。

  ノリスからマディソンまでの下り坂で考えていたことがある。ずばり、マウンテンバイクで周るイエローストーン国立公園冒険ツアー!だって、僕がこの2日間で体験した感動は、僕一人だけの胸中に収めておくには余りに惜しいのだ。他の人にも是非味わっていただきたい。もしもツアーが組まれたら、僕がツアーコンダクターとなってこの冒険旅行をみんなに教えるのだ。楽しいツアーになることだろうな!絶対に他の人では考えつかない企画だ。あっ、でもこんな企画は駄目か。人もそんな多くは集まらないだろうし、採算が取れるとも思えない。あー、採算が取れなくても、人員割れしていても、是非ともやってみたい企画なんだけどなぁ。

  辺りが暗くなり始めた頃、なんとかマディソンへと戻ってくることができた。114kmお疲れ様!テントで荷物を整理していると、みるみる内に辺りが暗くなり、すぐに完全な夜になった。30分でも遅れていたら危なかった。ハイペースでとばして帰ってきて正解だったようだ。

  ささやかな夕食を取った後、僕は川辺に誘われていた。これもまた仕方のないことだった。なにしろ、満月が夜空に姿を見せていたのだから。

  ライトは故障から直っていない。煙草の灯りと目覚し時計のかすかな灯りだけを頼りに足元を照らし、キャンプ場から川辺に下りて水辺へ座った。

  それからどれくらい僕は動かなかったことだろう。満月。満天の星。澄んだ空気。今日一日の感動。この美しい夜に僕は何を想う。黄昏に酔い、夜の月に酔う。ゆめを見る僕の後ろ姿は、マディソン川の満月という美しい一枚の絵に溶け込んでいたと確信できる。

  美しい時間に美しいことを考えないでどうしよう。――しかし、こんな美しい時間に、僕は深い孤独を感じていたのだった。

この冒険旅行で命を燃やし尽くすような経験をしても、結局は自分一人の心だけに収めるしかない。これはさみしいことだ。心を、感動を、人生を分かち合うことができる相手が今の僕にはいない。気の合う仲間は何人かいるが、決定的な一人が僕にはいないのだ。あぁ、愛なきこの身よ。家族がいる、仲間がいる。孤独ではないのだが、精神的に僕は孤独のままだ。

  無闇に煙草を重ねて、僕は月と会話を始める。

  なぁ、お月さまよ。僕はこうしてあなたといつまでも向かい合うことができる人間だ。あなたは優しい光で僕を子供の頃からずっと照らし続けてくれるけれども、この頃ではそれだけで収まらなくてさ。

  ―――――

  なぁ、お月さまよ。僕は思うんだ。こうしてあなたと何時間も向かい合うことができるような人間には、その人生を分かち合うことができるたった一人の相手が必要じゃないかい?

  ―――――

  なぁ、お月さまよ。この冒険旅行で僕を支えてくれる存在が沢山いてくれるのは何故なんだい?あなたも一体何故、いつもそうして僕を優しく照らしてくれるのだ?それはみんなが僕のこの冒険旅行を応援してくれている、と考えていてもいいのかな?

  ―――――

  なぁ、お月さまよ。誰かを深く愛し、同時に確かに愛される──そんな日が来るのだろうか。いつか本当に、この僕にも……

  ―――――

  お月さまはもうただ静かに微笑んでいるだけ。つられて少年もとびっきりの微笑みを見せた。――そんな月と少年の物語。

  それからしばらくして、埃の取れた顔をした少年がテントへと引き上げ、安らかな眠りに就くのがお月さまには見えた。




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