写真映えスポットとして、豊国廟(ほうこくびょう)があって、永遠と続く石段にモデルが立ってそれを望遠レンズで切り撮る。
いやいや待てよ、豊国ということは豊臣秀吉公なのだろうと思ってみたら、やはり秀吉公のお墓のひとつ。
無理を承知でその豊国廟へ向かい、563段の石段を登る、麓から登り始めてもどうやってその写真が撮れたのか不明。
普通に撮ると上のような写真になってしまい、インスタやツイッターで見るものとは違う。
頂上の石造五輪塔、ここで秀吉公に手を合わせる、そのわずかな時間の敬意のために、汗かきながら鬼のような階段を登った。
中段になるとこういう門が現れた、この門の手前から奥の石段なら望遠レンズで撮れば映えのする一枚が撮れる。
気が狂ったかのような石段続き、確かにこれは秀吉公への特別な思いがないと登れないよ。
豊国廟から1kmほど、方広寺大仏殿跡。
京の大仏、という今は聞き慣れない言葉、その当時は奈良の大仏をしのぐ大きさの大仏があった場所。
方広寺といえば国家安康の梵鐘、それを見に行った。
白く囲まれたこの僅かな文字に難癖をつけて、徳川家康は豊臣家への戦を敢行した?無理があるなぁ。
豊国神社(とよくにじんじゃ)の唐門、これはなんと国宝!
千成瓢箪が絵馬に、豊臣秀吉公のイメージ高る。
宝物館でいくつか拝見、僕の興味はどうしても甲冑に。
豊臣秀吉公の何かに触れられた気がして、とても満足だった。
2012年4月
京都・三十三間堂の写真
日本を知らない日本人、あるいは外国人を京都にお連れするなら、僕は迷わず三十三間堂を推す。
三十三間堂内の写真撮影は禁止、千体仏像が並ぶ空間の凄みは写真で伝えられない。
1001体ある観音立像と、雷神・風神と二十八部衆の仏像が迎えてくれる三十三間堂。
満開の桜の坂をわずかに下った日、三十三間堂の写真を撮った。
通し矢が行われる三十三間堂の遠い奥行き、あんな先に的中させているのか。
千体仏像が載せられないのは惜しいが、自分の目で見て感じるものだから善しとしよう。
手彫りで1001体の仏像を創る、その行為が仏師たちの平和を祈う強い執念。