宝泉院の新緑にまつわる私の奇跡を書き残したい。
撮りたい対象を、最高のタイミング(季節・天候・時間帯)で撮れた。
なんて喜ばしい瞬間だったのだろう、カメラマンとしてこれ以上ない写真が撮影できた。
前日は雨、そして当日の9時の拝観開始直前にその雨が止んだ。
京都大原の駐車場に車を停めて、大原の里展望台から水蒸気が立つ雲を撮り、沢蟹を見つけつつ宝泉院へと向かっていた。
新しい京都のお寺に挑戦したくて、額縁庭園の写真を見たら宝泉院に興味をそそられた。
9時と同時に宝泉院の門をくぐり、無人の座敷へと進むと、この素晴らしい新緑写真を撮ることができた。
新緑を撮りたいから、強い日差しは光がフラットにならなくて困る、いっそ曇りの方がいい。
欲を言えば雨上がりで緑に艶が出ていると最良なんだよね、と思っていたら、まさにその通りになった。
まさに撮影の直前で雨が上がる奇跡、ゴールデンウィーク2日目で心に余裕もって撮影ができて、朝一番の混み合わない宝泉寺だよ。
出してくださった抹茶に手をつける前に、額縁庭園を撮る、撮って撮りまくった、心ゆくまで。
構図を変え、レンズを変え、そのわずか数十分の間の誇らしいこと、楽しかったこと。
それが私の喋りたかった奇跡、ここに書き残して永遠の思い出にしておこう。
さて、京都も大原までくると本物の観光客(?)しかいなくなる、三千院ではなく宝泉院だと尚更だ。
この額縁庭園を広角20mmのレンズで、しかも無人の時に撮れる嬉しさ。
まだ雨の滴るお庭の木々、その瑞々しかったことを忘れない。
正面入口から今は入らない宝泉院、今の経路の方が正面にドーンと額縁庭園だから良いと思う。
住職のお話を聞く、五葉の松を見ながら、こうした時間は優しいものだ。
だから新緑の京都文化は好き、暗い室内の向こうに、雨上がりでそう光が強すぎない新緑が。
水琴窟の向こうに緑の手水、雨上がりの曇り空、光がフラットだから写真として綺麗。
朱い毛氈も誰もいないとき、挿し色として毛氈を使って、縁側付近を撮る、これも美しい。
茶道の道具なのでしょう、新緑をバックに収めてみた。
それほど広くない本堂なのに、いくつも撮るべきシーンがあって、僕は時を忘れて写真撮影に夢中になった。
コロナ禍が終わる寸前の2023年4月末日、この景色を無人で存分に撮れた快感。
インバウンドが戻ってきたら、こんな大原のさらに奥地にも人は来るのだろうな、もうこんな写真撮れる機会はないのかもしれない。
池で鯉が跳ねた、写真には撮れなかったけれども。
緑の世界が素敵で、ずっとシャッターチャンス狙ってカメラを構えていたっけ。
お庭の宝楽園を歩いて緑を探す、もう新緑だらけでしたけど。
縁側から広角レンズで見上げて、盤桓園の五葉の松を撮った、両手を広げているこの大木の全景は撮りきれなかった。
出していただいた抹茶を題材にして撮る、なんと素晴らしい構成と色合い。
素敵な場所に来るのは難しくない、でも最高の季節と時間帯と天候に恵まれるかどうかは選び手の実力次第。
今日はそのタイミングの最良を得れたので、こんなに嬉しいことはなかった。
宝泉院の額縁庭園、雨上がりの新緑は写真撮影スポット。
2023年の僕の名シーンのひとつ、そして最高写真のひとつ。
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