一休和尚とんち〜スマートタブレットと屏風の虎

「地球上から絶滅してしまった虎を動画で再現しました。 屏風型スマートタブレットをご覧ください。 ディスプレイ上の虎の静止画をタッチすれば、ほら、虎が走り周ります」 まだ小学生のくせに、夏休みの宿題にコンピューターを駆使した動画作成とは。 しかも大人顔負けで動画の質は高く、虎の力強い動きはまるで生きているかのよう。 だから、先生のスキルを超えてしまっては困るんだよ。 「素晴らしいね、君。それだけ良く出来ているのだから、屏風から虎を出すのも簡単だろう?」 誇りを保とうして、先生がそう言うと、少年はこう返事をした。 「では屏風から虎を出しますが、餌となるイノシシやシカがいないと虎が死んでしまいます。 先生、イノシシやシカの動画を作ってください」 一休和尚とんち
2005年6月4日 小説「メェルヵレシ」 「メェルだけのヵレシwぼしゅぅ~㊥↑↑」 そう掲示板にカキコしたらいっぱいレスがきた。 会おう会おうって言わない人。 えっちぃことばっかり書かない人。 そういう条件付けておいたのにヘンなメールが一杯きたよ。 「写メ送って」とか「どうせブスだから会えないんだろ」とか「5でどう?」とか。 ホント、ロクなヤツがいなかったけど、分かってくれる人もいたからそういう人とだけメールを続けた。 一人暮らしのさみしい部屋に帰っても、メールだけは優しい言葉で迎えてくれる。 いつもご飯もお風呂も後回しにして、真っ先にパソコンを立ち上げてる。 「ただいま、京ちゃん♪」 「おかえり、ゆみかちゃん!今日もカワィィね~☆」 優しい言葉のキャッチボール。 顔も知らないけど、それなりに心は満たされる。 なんかちょっと嬉しくなって眠るあっという間の夜。 休日の朝。起きたら顔も洗わずすぐにメールを開く。 また色々な人からメールきてる。良かった。 「コンニチワ。ゆみかちゃん、ご機嫌いかがですか?」 「あは。ケンくんってカワィイ~♪」 返信したらまた返事が来た。 結局午前中ずっとメールしてた。 天気が良かったら買い物にでも出かけようとしてたのに。 ――でも。 わたし、何してるんだろう。 何を愛そうとしているんだろう。 形のないひたむきなものを求めている。 それは、思い出のなかのあの眩しい恋。 喧嘩別れしてしまった大切な人。 今はカワイイ彼女もできたっていうあの人にはもう二度と逢えないから。 形を他のオトコに求めて、ムリヤリ自分のキモチを整理しようとしている。 いまさらだよ。もう遅いから。 でも、あの思い出を愛する気持ちがやめられない・・・・・・。 あんなに真っ直ぐ愛し合った人はいなかった。 ――わたし、何を愛そうとしているんだろう。 こんなヘンなメールばっかりして。 新しい恋がどうしてできないんだろう。 キーボードを叩く指を止めると、外の雨音が聴こえてきた。
2015年8月21日 相互看護の心~電話オペレーターなのにどもり(吃音) どもりは病気ではない。生まれ持った感性だ。 電話オペレーターが仕事なのに、電話でどもるという致命的な欠陥を抱えた僕。 普通の医者では解決できない。自分の深層心理にある「僕は電話でどもる」という意識を、 「僕は電話でどもらない」に自然と変えることができるまで、この問題は続く。 どもりではない人には分からない不条理。 いくら優しく慰めてもらっても僕の心は満たされないままだった。 同じようにどもりに悩む人とインターネットでつながってみようか。 すがる思いでツイッターのアカウントを作ってみると、一杯いる。@吃音という名前でどもりを告白している人たちが。 何を求めたわけでもなく、自分の今日のどもりを呟いてみようと、どもり同志たちとツイッターを交わすようになった。 「今日も電話でどもった!恥ずかしかったなぁ」と書くと「私も会議でどもってダメだった・・・」などと返信がある。 意味もないやりとりなのに、何故だか精神的な安らぎを感じていた。 明日につながる小さな力を見つけて、次第にツイッターが手放せなくなっていった。 仲良くなったどもり同志に言ってみる。 「僕たちってどもりの相互看護だね。特別な知識がなくても、看護って日常生活で誰もができること。 お互いを理解するだけで、傷が治るきっかけが生れるような気がするな」 「おいおい、男同士で看護し合うって綺麗な響きに聞こえないけど、看護の本質は突いていると思うな。 きっと俺の方が先にどもりから解放されて、君を置いてツイッターから抜け出してしまうけどね(笑)」。
2015年2月21日 忍び手裏剣と、人妻のスマートフォン 忍びながらの浮気 敵に襲われてもこの手裏剣さえあれば。 手裏剣は積極的に敵を攻撃するためのものではない、襲撃された時に相手を威嚇して逃げる時間稼ぎをするもの。 手裏剣を全て放ってしまったら最後、自分の命を守る最後の砦がなくなってしまう。 誰かに雇われて情報収集をするのが忍びの仕事、命の危険に巻き込まれるのは日常のこと。 重いから2枚だけしか持ち歩かないが、威力を考えると鉄製の手裏剣が最適。 握り締めるだけで命の安心を感じる、忍び仕事に手裏剣は手放せないよ。 事情によって情報収集ができず逐電したり、逆に調査先に買収されることも珍しくはない。 最後は手裏剣に自分が守られていると思えば主の浮気でもできる。 それが忍びだ。 人妻はポケットのスマートフォンを握り締め、安心を感じていた。 これさえあれば浮気相手と連絡を取れるわ、溢れる情報量に隠してやりとりをしているから夫に見つかるはずもない。 普通に電話やメールなんてしない。 SNSにログインした後の直接チャット機能を使って密かに連絡を取り合う。 ログアウトさえしておけば絶対にばれないツール。 スマートフォンがなかったらいつどこで会えるの? 忍ぶ関係をスマートに楽しむには必須ね。 人生のイタズラ。忍びの手裏剣と人妻のスマートフォンが入れ替わってしまうという珍事が起きたのも不思議ではないでしょう? 何があっても事実は変えられないから、何故?と問いかけること自体がナンセンス。 忍びは喜んだ。 スマートフォンのアプリで地図や天気が正確に分かるし、上忍へすぐに報告ができる。 盗撮も録音も思いのまま、電源確保だけさえ気をつければ忍び働きには最適の忍具、鬼に金棒とは正にこのこと。 ただ、手裏剣がないことでどうしても腰が引けてしまう。 スマートフォンは攻めるには良いツールだが、命を守る機能はない。 いざ敵に囲まれた時、スマートフォンが命を守ってくれるだろうか? 忍びはとうとう降参した。 あぁダメだ、ポケットの手裏剣がなくては忍びとして十分な働きができない。 攻めの能力には特化できたが、命の保険なしの危険過ぎる賭けは長くは続けられない。 反対に手裏剣なんて忍び以外が持ったとしても、活かすことなんてできないだろう。 なぁ、頼むから俺の手裏剣を返してくれよ。 人妻は入れ替わったポケットの中身を見て驚いた。 スマートフォンから手裏剣? こんなの浮気に役立つはずがないじゃない。 浮気相手と連絡を取り合う手段を奪われてしまった。 仕方なく、毎週同じ曜日の同じ時間に、同じ場所で会う約束にした。 毎日の密かな楽しみがなくなった。 目につかない所で隠れて行うメッセージのやりとりはもうできないの。 週に一度のあの時間をひたすら待つ一定のリズム、なんだか古い逢引きに戻ったみたいだけど、逆に新鮮ね。 合言葉は手裏剣、これこそ他人にバレることのない浮気。 スカートではなくパンツルックを好むようになった。 ポケットの手裏剣をそっと握れば、彼とのセックスを思い出して、裏腹のスリルに少し濡れてしまうの。 忍びながらの浮気ね、スマートフォンで毎日少しずつ楽しむのが心地良いって思っていたけど、 昔に遡っての手裏剣が案外浮気には似合う。 この手裏剣と交換で、私のスマートフォンを手にした人がいるということになるのかな。 昔の人が持ったのなら、さぞかし楽しい浮気生活を楽しめるのではないのかしら?
2015年2月21日 ナイトの水 ~ グランドキャニオン谷底の砂漠で水をあげる グランドキャニオンの谷底は極地だ。気温35℃、乾燥した熱風の荒野を6時間も歩き続ける苦行。 観光地なのは谷の上だけ。 トレイルを下って谷底のロッジまで歩き、一泊してまた谷の上まで戻る。 標高2,000mの山下りと山登りをする試練だが、冒険家の心が疼く。そこにある常軌を逸した絶景が見たい! 立っているだけでも体力が削り取られるような気温の中、変わり映えのない景色をひたすら歩き続ける。 僕よりも年長者ばかりが谷底から上がってくるではないか。 そのタフさに敬意を表したいが、疲れるものは疲れる。 一息つこうと木陰に入る。太陽が遮られるだけで涼しく、このまま昼寝でもしようかな、と横になった。 すると谷底から上がってきた旅人が僕を見てダウンした人と思ったのだろうか、自分が持っている水をあげるよ、と陽気に話しかけてきた。 驚いた。 水を、この砂漠では貴重な命の水を!これからグランドキャニオンを1,000mも登るのに、 少し疲れただけの若い僕に自分の水をあげると言ってくるなんて。 ありがとう、僕は大丈夫。 それよりあなたこそ平気?と逆に気遣ってみると、彼は豪快に笑いながら歩き去って行った。 今からの自分の苦難を知らないはずはないのに、より良い状況の他人を気遣う余裕。 どこの国の方か分からないが、あれは騎士道の精神で僕に水をあげようとしたのだろう。 あれから歳月が流れたが、苦しい登山をするたびに、あのナイトのことが思い出されて、 決して弱音は吐けないなと次の一歩を踏み出す足に呼び掛けている。
2015年2月21日 3月3日生まれの男性の気持ち、あなたには分からないでしょう? 3月3日生まれの男の気持ちなんて、あなたには分からないでしょう。 1年に1回しかない誕生日を、妹たちの雛まつりと一緒にお祝いされ、主役になることができる貴重な場面を奪われたことの寂しさ。友達からの誕生日祝いが雛あられだったこと。ハッピーバースデーの歌ではなく、「あかりをつけましょ、ぼんぼりに・・・」と歌われたこと。 子供心にも傷ついていたあの特別な1日。キライでキライで、自分の誕生日が近づくのを喜んでいなかった少年。 今の僕がひねくれた大人になってしまったのも、長年続いたあの1日のせいなんだよ、と言いたくなるぐらい。 3月3日生まれの僕にとって、雛まつりとはそんな思い出ばかりだった。 変化が訪れたのは、社会人になって数年が経ち、いくらか心に余裕が出てきた頃のこと。 僕の誕生日だけは会社の同僚や関係者の人たち誰もが覚えてくれる。 長年一緒に学校に通った人たちではないから、僕のことを断片的にしか知らないはずなのに、 何故だか誕生日になるとみんなから声をかけてもらえる。 やっぱりプレゼントには雛あられを貰うことが続いていたけど。 別に物なんかいらない、誕生日という僕だけの記念日を、多くの人たちが覚えてくれていて、 その日に僕のことを思い出してくれる。それだけで僕は幸せを感じるんだ。 「○○さん、ひな祭りオメデトウ」 またこの言葉をかけられる。 「お誕生日おめでとう」ではない。 昔はこれがイジメにしか思えなかったけど、今では相手の照れ隠しの奥にある僕へのお祝いの気持ちを感じることができて、ハッピーになる。 ひな祭り生まれだということが、両親からの特別なお祝いに思えるんだ。 人生最初の数字、「3・3」がこんなに意味を持つものだったと分かって、過去の恨み辛みを忘れ、今は両親に感謝をしたいぐらいなんだ。 ほら、3月3日生まれの男の本当の気持ちなんて、あなたには分からないでしょう。

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