岩崎城の桜写真、長久手古戦場史跡と丹羽氏重の戦いを巡る

撮り方次第で、日進市はおろか愛知県内の桜名所に見えてしまう岩崎城址、まぁ話半分に見てください。

主題は尾張国の支城としての岩崎城、あの長久手の戦いの緒戦場となった悲劇の地。

岩崎城の桜写真

模擬天守には入れない月曜日だったのが悔しいけど、まぁこれはイメージだけも模擬天守閣ですから。

岩崎城の桜写真

天気が良くて桜満開時の岩崎城、CPLフィルターをパリッと効かせたら空の青色が鮮やかに出た。

広角レンズで見上げて撮ったらもう最高でした、まるで桜の名城ですが、実際はそれほどでもない。

岩崎城址公園の入り口にある大手門風、歩きやすい雰囲気は良いね、誰もが訪れやすい。

岩崎川一帯の桜並木は素晴らしい、岩崎城の外堀役だったのだろう。

岩崎城の桜写真

模擬であっても天守があるだけでお城イメージが増幅される、無用の長物ではありません。

4月9日の早朝、日の出と共に岩崎城の戦いが開始された。

羽柴秀吉方の池田恒興の多勢を、守将・丹羽氏重は数時間は持ち堪えたのだろう。

この数時間の足止め(時間稼ぎ)が、徳川家康本隊の長久手への移動に有効だった。

岩崎城の桜写真

4月9日というと桜が散る頃ね、16歳の丹羽氏重や、少数だった岩崎城の守兵たちも散った。

その犠牲のおかげで、池田恒興や森長可の背後に徳川本隊がせまれて、そして長久手の戦いへ突入。

連戦の疲れ?も一因だろう、池田恒興や森長可が戦死したのは。

だから岩崎城の戦いの意味はあった、そうおっしゃった岩崎城 学芸員の言葉を覚えている。

散る桜で飾る岩崎城の写真、三河と尾張の国境にある小城、厳しい戦国時代の生き方を想って。

岩崎城」動画を、YouTubeにあげました!

2023年12月29日

長久手古戦場を歩いて巡ってみた、と言っても長久手イオンモールから徒歩で回れる狭い範囲のこと。

古戦場公園に行けばいくつかの石碑がある、大人気の住宅地となった長久手市に戦場跡は数少ない。

長久手市郷土資料室近くの丘に立って周囲を物見すると、現代のお城である長久手イオンモールが。

池田恒興(勝入)の戦死地と伝わる勝入塚。

清洲会議にも参加した織田家の4大重臣のひとり、正真正銘の大物武将が討ち取られた長久手の戦い。

イオンオール長久手の住所は「長久手市勝入塚」、その影響力は現代にも残る。

池田恒興(勝入)の嫡男、池田元助(庄九郎)の庄九郎塚、父恒興と共にこの地で戦死。わずか20歳で(26歳ぐらいの説もある)。

古戦場公園の入り口、ここの住所は「長久手市武蔵塚」になる。

その武蔵塚は徒歩7-8分の距離に、森長可は鬼武蔵の異名をとった剛勇の武将だが、わずか26歳でここで討死。

森家も織田家の重臣のひとり、改めて長久手の戦いの徳川家康側の大勝ぶりを感じる。

長久手古戦場跡巡り、この平地で恐るべき戦いが行われたのだと身震いと共に知った。

2020年4月5日撮影

五色園と同じ愛知県日進市内にある岩崎城の桜写真。

お城と桜という正統派スターたちの共演を写真に撮ることができる岩崎城が清涼剤に思えたよ、あの五色園との対比で。

岩崎城の桜写真

尾張国・織田信秀の支配下にあって、城主は丹羽氏。

空堀がはっきりと残っていた、平野にある山中に築かれた岩崎城。

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