後悔の海に溺れて〜離島の空港建設計画、生態系破壊

島を台風が通過していった夜、

息子と遊びに来ていた友達のせいで家は随分賑やかだった。

さっきまで散々騒いでいたと思ったら、今度は隣の部屋で電気を消して何やら怖い話を始めている。

怖い話といいながら笑い声も聞こえるし、部屋の中をドタバタ走り回っているんだから呑気なもんだ。

「あいつらのクラスで今、怖い話が流行っているようでお宅も困っとらんか?

本島からの転入生が持ち込んでるらしいな。あんなのが面白いんかね」

この友達の父親も子供を迎えに来たと言いながら、手酌でチビチビとやってもう何時間も居座っている。

言葉のわりに全然心配そうじゃない。のんびりしたもんだ。

母親たちはここのところの台風で中止になっていた会合を開きに行った。

男親同士、手持ち無沙汰にはいい呑み相手になった。

「困ったもんです。だけど、この島の子供たちは暗くはなれんでしょう。

ほら、あいつら全然怖そうな話をしているようには見えんじゃないですか。

こんなもんですよ」

隣の部屋の相変わらずな騒ぎ声。

男親たちは柔道大会のテレビ中継を見ながら島寿司とさつま揚げで

二本目の芋焼酎を空け、退屈しのぎに選手たちに勝手な評価をつけていた。

そこに子供たちが走ってきて言う。

「父ちゃんたち、なんか怖い話ない?みんなをびっくりさせられるようなやつ!」

「怖い話なんてしてどうすんだ?嫌われるぞ、学校のみんなに」

「へへーん、逆だよ、逆。今はすっげー怖い話したヤツがいばれるんだから。

ねー、なんかないの、なんか?」

困った奴だ。呆れ顔の男の横から友達の父親が言い出した。

「コワ~イのあるぞ、コワ~イの。でも本当に怖いからお前たちじゃ今夜眠れなくなるな。

知らんぞ、それでもええなら話してやる」

強がってそれを鼻で笑う子供たちを座らせると、彼は話し始めた。

――今は昔、なかなか仕事が回ってこなくて貧乏生活を送っている若い侍がいた。

ふとある日、古い知り合いが地方長官となって遠国へ下ることが決まり、

どうしたことか男に同行しないかと声をかけてきてくれた。

ありがたい話である。

自分ではどうにも出世する方法が見つからず途方に暮れていたところだったので、

男は真っ先に飛びつくことにした。

男には長年連れ添った妻がいた。

容貌が美しく、貧乏暮らしの中でもいつも明るく健気に振舞う出来た妻であり、

貧しいとはいえ仲睦まじくひっそりと生活を営んでいた。

京を離れて遠国に赴任するためにはまとまった金が不可欠であった。

金がないからといって話を断ればこんな機会は二度とない。

一方で金のない現実は如何ともし難い。

それを見越した周囲の人間が裕福な家の女との縁談を持ち出してきた。

悩みに悩んだ男だったが、止む無くその金のある家の女と一緒になって

旅支度を整えてもらい、その女を連れて遠国に赴任したのであった。

無論妻は帯同できない。

不憫ではあるが、縁を切って京に捨ててゆくしかなかった。

女の身では何も抗うこともできず、妻はただうな垂れて男が家から出てゆくのを見送った。

これも仕方ないことと男は思った。

そうとでも封じ込めなくては気持ちの整理がつかなかった。

新しい役務をわざと意識して、貧しくとも平穏で幸せだった京での日々のことは忘れることにした。

――そうだ、これでいい。この島だって発展してゆかなくては未来がないんだ。

男はそう信じていた。

賛否両論あるのは承知の上だが、この仕事は決して間違いではない。

この島には目立った特産物もなければ、遺跡だとかこれといった名所もない。

あとは自然を売り物にした観光しかないじゃないか。

島のみんなが将来を生きてゆくためには観光客を集めて人と金の循環をしなくてはならない。

あの空港はそのための切り札になる。

だからいいんだ。これしかないんだ。

この島は交通の便が悪過ぎた。

周りの島には空港があるのにここは船だけ。

船では時間がかかり過ぎるし、本数だって限られてしまう。

この島だって高齢化が著しい。

この交通事情では医療問題はそれこそ文字通り致命的になる。

今まで国がそういうことを全然考えてくれなかったことに腹が立っている。

俺だけじゃない。島民みんなが怒っている。空港に金がかかることは分かっている。

でも俺たちは正当な権利を主張しているだけなんだ。

結局この島から若者が出て行ってしまうのは仕事がないせいだ。

観光ブームのおこぼれか、ダイビング目当ての若者は確かに来る。

それでここの島民も何人かは仕事を得たり、ダイビングショップを開くために人が移ってきた。

でも、それ止まりだ。それ以上がない。

このままでは高齢化と共に島は廃れてゆくばかりだ。

それを挽回する唯一の切り札が、空港建設じゃないか。

だから国や行政がこの島に空港建設の話を持ちかけてくるように俺たちは活動してきた。

村議会を通じて各関係省庁に働きかけ、島民の署名を募る地道な作業から、

時には嫌な接待だってして何とか話を進めてきた。

要望書だけじゃなく、村役場の負担で建設予定地の地理データーを揃えて提出することまでしたんだ。

それが今ようやく実った。間もなく空港ができる。

そうすれば産業振興だって進むだろうし、島民の福祉という点でも大きな意味がある。

空港建設の幹事役を任された以上、俺はしっかりやり遂げてみせる。

これに島の未来がかかっている。

それに、間もなく産まれてくる俺自身の子供の将来だってかかっているんだ。

――この充実した暮らし。仕事があるのは良いことだ。

末職ではあったが男は赴任地での仕事に満足していた。

京での何もすることがなかった貧しい暮らしからは一変していた。

毎朝出仕すれば仕事がある。

人間関係が大変だと周りは言うが、仕事がなかった時のことを思えばそんなのは小さな問題でしかない。

久しく仕事という仕事に恵まれていなかったから、まずは宮仕えに夢中になった。

元来が働き者で真面目な男であった。

――島に空港ができた。

数百億という莫大な建設費を国が負担してくれた。

島全体が一丸となってそれこそ何十年間も行政に働きかけてきた成果がようやく実ったというものだ。

これで一日一便、東京から飛行機が飛ぶ。

これでいい。

これで俺たちもようやく普通の暮らしができる。島ももっと盛えるだろう。

数年来の自分の仕事に満足ができた。

大事な役を任されてきたが、これで大きな区切りがついた。

あとはこの島の観光をどうやって発展させてゆくかだ。

村役場の観光課長に抜擢されたからには、そこからが俺の次の目標だ。

観光の目玉はもう決まっている。ここの海はどこにも負けない。

シュノーケリングだけでも充分に堪能できる海の魅力。

二十メートル以上の透明度、美しい珊瑚礁。

年中イルカが泳ぎ、鯨が沖で跳ねる。自然の宝物、先祖からの財産。

世界に通用できる海だ、絶対に人は来る。

空港のオープニングセレモニーには国土交通省を始め、環境省や県庁から招待客が集まった。

村長の満足そうな顔。男も充実感に浸っていた。

自分の仕事がこんなに偉大な成果をあげた。

これで島全体が潤う。雇用が生まれ、人が移ってくる。

これで島の子供たちも、この島で仕事を得て住み続けてくれるかもしれない。

観光で訪れた若者の中にはここに土着しようとする者もでてくるだろう。

そうしてきっと島全体が若返る。

この素晴らしい大自然の島に人の活気が蘇れば店も増えるし、島民の生活はずっと便利になる。

これがこの島の未来図なのだ。

――日が経つにつれ綻びが生じてくる。まずは夫婦関係の破綻があった。

なまじ良家の女と縁を結んだことで出費が嵩む。

甘ったれの女の我侭にも愛想が尽きてきた。最早女に愛情はない。

仕事をしている時はいいが、男はそれ以外の日常に満足できなかった。

そして、引き換えにいつも思い出すのは京都に捨ててきた前妻のことである。

山国育ちの前妻は事ある毎に、海が見たい、と言った。

いつか見せてやると約束したのに、

貧乏故に旅もままならない生活だったから結局見せてやれなかった。

重く罪悪感がのしかかってくる。夜な夜な前妻との日々を思い出す。

忙しい日中はいい。仕事を離れて静かな時間になるともう駄目だ。

後悔が後から後から湧き上がってくる。

貧しさゆえに愛する人を捨ててしまった。

愚かさゆえに愛する人を不幸に堕としてしまった。

本当に、馬鹿なことをしてしまったものだ。

歳月は流れ、やがて任期が終わり、京の都へ戻る時が来る。

その頃には後悔も頂点に達していた。

前妻を捨てたのは過ちだったと、男は結論付けていた。

京に帰ったらもう一度前妻とやり直そう。

今のあの我侭な女は俺の妻ではない。あの前妻こそが俺の妻に相応しい。

皮肉ではあるが今は財力もついたし、今度こそ前妻を幸せにできる。

男は道中遠回りをして海に寄った。

空筒一杯に白い砂を詰めると大事に懐に仕舞う。

京へ戻ると女を実家に追い返し、前妻の家に旅装のまま駆けつけた。

――島は変わっていった。空港ができたことで人の移動は活発になった。

確かに観光客はきた。

彼らを受け入れるためのホテルもでき、道路には観光バスが走るようになった。

土産物屋が立ち並び、スーパーもできる。

遂には島の中心にコンビニまでオープンした。

念願の村立総合病院建設の目途も立ち始める。

それまでは計画通りだった。

一方で、観光客の質が問題となり始めた。

それまでのように長時間の船旅を耐えてまでもこの島を目指そうとする、

いわゆる自然を愛し、島を愛する人間ばかりではなくなった。

大手旅行会社のパッケージツアーが組まれるようになったのは

願ったり叶ったりだったのだが、この手のツアーで来る観光客は、

それまでの訪問客と較べれば格段に自然を愛する気持ちが薄かった。

これはこの狭い村の人の善い島民たちには予想もしていなかったことであった。

島内の観光地では投げ捨てられたゴミが目に付くようになった。

一概には決められないが、飛行機で来る若者の中には

ただ南の島で騒ごうとするだけの連中もいた。

ビーチには花火のカスやビールの空き缶が放置され、

終いにはそれこそここ数十年この島には全く無縁だった警察沙汰が起こってしまった。

村長はそれも仕方ないと言った。

空港を導入することによって現金収入が生まれ、

島全体に近代化の新しい風が吹き込まれること自体が目的だと思っているようだった。

その反面でなにかしらの弊害が生まれるのは仕方がないことだと確信しているのが見え隠れした。

島民は二派に分かれた。

これも仕方ないというか、流れに身を任せてぼんやりと近代化を受け入れようとする人々。

一方で空港建設を後悔する人も出始めた。

前者の言い分は村長に近かった。

今までの生活を続けていつか廃れてしまい、島全体で共倒れになってしまうよりも、

この島の自然資源を当てて観光の島にしようとする人たち。

後者は数こそ少ないものの、言い分にはかなりの怒りが含まれていた。

このままでは何よりも大事な島の自然自身が損なわれてしまうというもので、

彼らは村長の姿勢を無計画だと批判した。

観光客を呼ぶのはいいが、無計画で事業を進めてしまったことが、

今のような混乱を招いてしまった、と憤慨していた。

当事者である男は悩みに悩んでいた。

確かに、今の荒れ始めた様は自分が描いていた島の理想とは違ってきている。

空港建設の後、男はすぐにホテルに建設誘致を呼びかけた。

それから大手旅行会社を回ってパッケージツアーを作ってもらうよう精力的に働きかけた。

言われてみれば確かに、そこに島の環境保全を考えようとする意識が薄かったのも事実である。

まずは旅行のインフラ環境を整えようと、村長の指示の元で形振り構わず話を持っていった。

そしてそこには条件交渉があった。

後進の小さな島だから先方に足元を見られていたのは拭い難い事実で、

村長の裁量でどんどん優遇条件を出してひとつでも多く誘致しようとしていったのであった。

こうして島の施設が充実していったことに最初は満足していた。

だが、段々それが男の中でずれてゆく。

後者の島民たちのように、後悔する心が生まれ始めてきたのである。

しかし仕事としては逆の任務を村長から命ぜられていた。

公人と私人の狭間、島の未来と現実の狭間で男は悩んだ。

――家の門は開かれていた。

前妻はどうしているのだろうか。

足を踏み入れると建物も庭もすっかり荒れ果てている。

当時も貧乏だったが輪をかけて酷くなっていた。

既に夜になっていたが月明かりを頼りに家に上がると、前妻はいつもの場所に座っていた。

薄明かりの入る部屋には他に誰もいる様子がない。

どうしようもない侘しさが充満しているのを見て、男は締め付けられるように胸が苦しくなった。

振り返った前妻は夫を見ると満面に笑みを浮かべて、

お帰りなさい、いつ京にお戻りになったの?と言う。

その様子は以前のように明るく、恨んでいる気配がない。

それどころか夫が訪れてきてくれたことが嬉しいのか、いそいそと茶を淹れ始めた。

それも夫が好きだった茶葉をまだ欠かしてはいなかった。

それを見た男は長年の後悔を一気にぶちまけ、

これからは一緒に住もうと涙を流しながら前妻に詫びた。

筒を取り出し、これがお前が見たがっていた海の砂だと言って渡す。

俺だってお前の見たかった物ぐらい憶えている、

これからは荷物もここに運んで人も雇うからもう不便はさせないし、

今度こそ海だって見せてやれると必死に訴えた。

前妻はただ嬉しそうな表情でそれを聞くだけで、少しも夫の過去を咎めるようとしない。

湿っぽい話を逸らすかのように、ここ数年の積もる話を始める。

どれも他愛のない話ばかりで、その話のなかにもやはり夫を責めるような言葉はない。

そのうち夜も更けてきたので、もう寝よう、ということになった。

前妻はいそいそと床を敷き、二人は以前のように薄い布団に抱き合って横になった。

喪失の数年を埋めるかのように二人は激しく抱き合って、長い夜を始めた。

一晩中愛し合って、行為の合間に語り合う。

愛情の頂点に互いの名前を呼びながら果てては、何度もそれを繰り返す。

離れていた分、一緒だった頃よりも二人の愛情は増しているようだった。

――ふと、携帯が鳴る。

「ちょっと失礼、」

そう言って男は携帯を持って外に出ようとした。

「あー父ちゃん、怖いんだー!逃げるんだー!」

子供がそう茶化してくる。

「仕事の電話だよ、仕事の。怖い話は後で聞くからな」

こんな時間に東京からだ。大事な話だろう。

家の中では落ち着かないので、外に出て聞くことにした。

「もしもし、どうした?」

電話は村の東京事務所からだった。

島を大型台風が直撃した影響で数日前から飛行機が飛んでいなかった。

空港の被害状況が心配で電話してきたと言う。

「まず駄目だな。数日は飛べん。

こっちを今日の昼に通過していったが、空港がしっちゃかめっちゃかになっている」

「そうですか、東京も今夜から暴風域にかかるので、

どっちにしろまだ数日は飛びそうもないですね」

「せっかくの観光シーズンなのになぁ。残念だが台風じゃ仕方ないか」

そうは言うものの、男は内心どこかで嬉しいとさえ思っていた。

これでしばらくは島に平穏が訪れる。

島の観光責任者としてはともかく、一人の島民として最近の騒がしさには嫌気がさしていた。

台風で飛行機の飛ばなくなった島には以前のような静けさが戻っていた。

ほら、今夜は特に静かだ。この夏は毎晩のように、浜辺で若者の騒ぐ声が聞こえていたものだ。

煙草に火をつけるとすぐそこのビーチまで歩いてみることにした。

今夜は歩き交わす人もなく、こんな穏やかな夜は久しぶりだ。

今朝まであんなに吹いていた強風も、台風が過ぎ去ってしまった今はどこにもない。

台風の直後だからだろうか、浜辺の美しさは格別だった。

空気は透き通るようで、夜空の星が澄み渡っている。

心地良い気温に、程良い風。なんて平和な夜なのだろう。

これはこの島に元々あった風景だ。昔はこういう島だった。

あぁ、やっぱりこっちの方がこの島らしいんじゃないかな。

この頃はついついそう思いがちだ。

世界中に外来種の問題がある。

別に観光客を外来種の動植物に例えているのではないが、問題としては同様ではないか。

本来あるがままの生態系を人工的に崩して成功した例というのは、

世界中でもごく稀にしか報告されていないと聞く。

この島が将来に渡って魅力的であり続けるために、

あの空港という選択肢は本当に妥当なものであったのだろうか。

最近ではエコツアーという言葉をよく聞く。

稼ぎが薄いということで警戒する業者もあるが、

俺たち当事者がいくらかでもああいう意識を持たなくてはこの先がないんじゃないかな。

そっと目を閉じてみる。目を開けると美しい夜の海。

なんだか今夜は島が異様に美しく思えた。

まるで子供の頃の、あの手付かずだった時のように。

人間の暮らしと自然の営みは一体だと思えた頃の美しい島の風景。

それがこの夜に、もう一度男には見えていた。

あぁ、美しい。やはりこの島の自然は素晴らしかった。

涙が出るほど嬉しい。この島はまだ死んではいなかった。

まだまだ眩しいばかりに輝いていた。

今夜はここで眠ろうか。

浜辺で横になって無数の星を数えていると、島の優しい美しさが心に染み渡ってくる。

天の川から浜辺へと星は注がれ、柔らかな波の打つ音が世界を包み込む。

神のいる島。かけがえのない大自然。美しい自然を抱く。

抱かれると島はより一層美しく輝くようであった。そして男は島の自然と愛し合った。

――もうすっかり明けているらしい。

昨夜は空が白むまで愛し合っていたから眠るのが遅くなってしまった。

明り取りの戸から太陽が差し込んでいる。

昨夜抱き締めながら眠っていた妻を振り向くと、床には妻の姿はなく、

干乾びた骨と寂れた着物だけがあった。

男は驚愕のあまり部屋を飛び出した。

何故かあの海の白砂が飛散している寝床をもう一度よく見てみたが、やはりそれは本物の骨だった。

――うとうと眠っていたら夢を見た。この島の生態系が眩しく輝いている夢だ。

子供の頃に見たこの島の姿が、今ここに復活している。

島の子供たちがそこで遊び、大人たちは歌って踊っている。

走り回っている子供の一人は、空港完成と同時に生まれた自分の息子だ。

島の平和な暮らしがあった。嬉しい夢だと思った。

「父ちゃん、父ちゃん!」

騒がしい声に起こされた。その自分の息子と友達がこっちに駆け寄ってきた。

「父ちゃん、怖いよ、すっげー怖いよ!」

「何だ。さっきの話か?」

「そう、聞いてよ。さっき逃げたでしょ?怖くて逃げた?でも聞いてよね」

「別に逃げてないって。さっきの続きだろ?」

「そう、父ちゃん逃げても僕たちが聞かせるんだから!

朝になるとその前の奥さんがミイラになっていたんだ!

ミイラと一緒に眠っていたんだよ!」

「それで、その男の人が怖くなって、隣の家にこっそり聞いてみると、

前の奥さんは旦那さんに捨てられたことがショックで病気になって死んじゃったって。

親戚もいないから誰もお葬式してあげなかったって。

それが幽霊になって出てきた、ってこと。

あー怖い。夜トイレ行けないじゃん」

「あー僕も。怖いねー。でも、みんなに話したらすげー怖くさせられるかも。

よーし、おじさんにもう一回聞いてこよう!」

そう言いながら子供たちは家に戻っていった。

そんな話を聞かされたらすっかり酔いも覚めてしまった。

立ち上がり、ふと改めて周りを見ると、幾分か潮臭くなった砂浜からは

いつも夜に歩いていた小さな蟹の姿がなくなっている。

波に洗われた白砂に蟹の巣穴はなく、変わりにプラスティックの空筒が埋もれていた。

対岸の集落付近のネオンが眩しく、夜の星は明かりを吸い取られているようだ。

あぁ、時間は歩き、物事は姿を変えてゆく。

まだこの浜辺を海亀が産卵のため訪れることはあるのだろうか。

この海面下では、カラフルで多種多様な魚たちが神秘の珊瑚礁の森でまだ泳いでいるのだろうか。

さっきまで俺は夢を見ていたのか。

この島の美しかった海が、骨皮だけのように貧しくなり光を失っていた。

――実に怖ろしいことではないか。

恨みの残った亡霊がそこに留まっていて俺に抱かれたのだろう。

あいつは無抵抗だったから、捨てられたらそれに黙って従うしかなかった。

それでもまだ俺を愛してくれていたからこそ、あんなに美しい姿をして現れた。

そんなあいつが、抵抗すらできないまま無惨に朽ち果てていった姿を

想像すると重い罪の意識に沈んでゆく。

みんな同じ過ちを繰り返すと先人たちは言う。

どこかで読んだ失意の物語も然り、どこかで聞いた失恋の唄も然り。

人の過ちの連鎖だらけだ。

あぁ、俺が悪かった。全ては俺の過ちだった。

何ができるだろう。これから俺に何ができるだろう。

間違った俺は後悔の海に溺れるだけ。

どうかこの海の深さを知って欲しい。

白砂の乾いた音に混じって声が聞こえる。

「――きれいな海が見たい、あなたと一緒に」

そんな心の声が、今の俺にははっきりと聞こえてくる。




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まつきよ

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