伊賀忍者がRUNしただろう道、ずっと狙っていたよ、伊賀忍者トレイルランニングコース。
伊賀北部、甲賀との境はすぐ、奥伊賀とも呼ばれる阿山・湯舟・玉滝地域。
現代にも伊賀忍者の名残はあるのかな、それを確かめたくて。
あやまふれあい公園からモクモク手づくりファーム方面へ、ここら辺は車道沿いの普通の道。
それにしてもモクモク手づくりファームは、忍者の里からこんな近くにあったんだ。
モクモク、というのは土遁の術あたりだろうか、火遁の術の意味だろうか。
ついつい忍術を疑ってしまうほどに、ここは忍者の里。
平泉寺から手力神社へ、まだまだ奥深さを感じるには早すぎる場所ね、もっと奥まで走らないと。
手力神社の手前あたりから隠れた山里の様相、忍びの気配なのか?
伊賀忍者の狼煙だったという花火を打ち上げるのですか、手力神社。
辺りは平和な田園風景、お店があるわけでもなく、たまに家が、あとは野山。
東湯舟地区の正覚寺、藤林長門守のお墓があった。
藤林長門守・服部半蔵・百地丹波、伊賀の上忍たち、その一人はここで生きていたのか。
天神社の境内からは景色が一望できる、たぶん忍者たちが活躍していた頃と同じ景色。
そこから東海自然歩道がランニングコースなのだが、道に迷った、まさか天神社の境内の奥だとは。
迷って先の道路を走っていたら、なんと、藤林長門守の城跡に巡り合った。
人気のない東海自然歩道をトレイルランニングする、ふと周りを見ると忍者たちに取り囲まれていたりして?
怖い妄想に囚われて走る足を速める、こんな場所で忍びたちに待ち伏せされるとは。
命からがら生玉神社に着く、この西湯舟一帯ものどかな場所、でもあの陰に忍者が隠れている可能性あり。
妄想はさておき、東湯舟も西湯舟も今日走ったどの場所も、忍者たちの強い影はない。
当たり前だが、戦いが不要になった時代にまで忍者はいらないのだ。
玉瀧神社へ、地元の信仰を支えてきたのでしょう、規模が大きい神社。
手を清めるものかと思ったら、鎌倉時代の石風呂だとか!
六角形の石幢は室町時代のものだという、戦国時代の忍者たちをリアルタイムで見たのか、この石幢は。
驚いたのは普賢院のこのマーク、先日柳生街道を走った時の円成寺と同じマーク、きっと何か意味があるのだろう。
ちゃんと走ったら12kmぐらいの伊賀忍者ランニングコース、回り道と写真撮影で散々距離と時間を費やした。
現代に忍者はいないし、その名残もありませんでした。
忍者ロマンに浸って楽しかった、自分の足で走って得たもの、僕の意識の中にはいつも伊賀忍者が。