青釭の剣・倚天の剣、三国志の伝説の名刀は曹操・趙雲に

趙雲の幸運。

あの長坂の戦い、大混乱の最中に劉備夫人を見つけて、阿斗劉禅を救うことができた。

趙雲にも言い分がある。

俺は、最強の武将・呂布と戦うことができない時代に大人になった。

不運極まりなし。

関羽雲長が、張飛翼徳が羨ましい。

だからこそ、伝説は自分で創る。

麹義だ、裴元紹だ、高覧だ。

雑多な将と一騎打ちで勝っても、呂布と互角に戦ったこと以上の評価はされない。

俺の名をあげる踏み台は、青釭の剣だったな。

倚天の剣を持つ英雄・曹操と、その双剣である青釭の剣を手にした趙雲。

武人としての名誉は曹操から得られないとしても、将軍としては最高峰の曹操と、双剣を二分する運を俺は得た。

長坂の戦いの際、戦場で部下が拾ってきた宝剣に目を止めて、高値で買った。

既に阿斗を救う大功を上げていたが、

加えてそんな青釭の剣を俺が戦場で敵から奪ったという派手な功績を2つも宣伝すれば有名になれると思って。

阿斗と青釭の剣。

死地は好機に。

青釭の剣と趙雲

<三国演義に見る漢民族の中国思想、三という数字の深い意味>

三国演義には漢民族に受け入れられやすい中国思想がいくつも盛り込まれており、

それがこの白話小説をそれまでの民間に語り継がれていた説話だけに留まらせず、

古典小説にまで飛躍的に発展させた原動力であったのではないかとわたしは考える。

まずは外郭としての時代背景があるが、元の時代において

中国大陸は蒙古人に支配されており、漢民族は常にその脅威にさらされていた。

その後に漢民族の朱元璋が出現し、元を追放して明を建国するという時代であった。

その時代の都市の盛り場で生まれ、語って聞かせるものから読んで楽しませるものへ変貌を遂げていったのが白話小説だ。

内容面の特徴として中国思想の王道をいくつも備えているということがある。

天・地・人の3つが備わってこそ人や社会が成り立つという「三才」の考えが中国人にはあるが、

それが魏呉蜀という中国史上珍しく三分割された「三」国間での争いをバランス良いものとしている。

その「三」という数字に中国人にとっては深い意味があったのだ。

「三」国志であり、劉備「三」兄弟であり、「三」顧の礼であり、三を重ねることで内容に深みをもたらしている。

三国演義は西晋の陳寿が書いた「三国志」という歴史書を踏まえつつも大きく内容を変化させ民衆への溶け込みを成功させた。

ゼロからの空想でなく、現実の人間を主人公としたところにも民衆の親しみやすさがあったのだろう。

正史「三国志」が西晋の流れを含んだ三国時代の勝者・魏を中心として

描いていることに反し、三国演義では蜀が中心であることに注目したい。

これは中国思想の根本として神権思想、

神天が自分に代わって天子という絶対的な存在を遣わして世を治めるというものがあったことによる。

元において支配の中心は漢民族ではなく蒙古人であり、そこに漢民族の不満があったことは想像に難くない。

三国演義では虚名状態になった漢の天子を操る悪玉としての魏の曹操がいて、一方に漢王朝の血を引く蜀の劉備がいる。

史上では次の晋へとつながる魏が主役であるべきなのだが、三国演義ではその悪玉である魏と戦う蜀を中心において、

しかも主人公である劉備と義兄弟の関羽・張飛は平民出身の英雄であった故に

市井の民衆たちが乱世の英雄に憧れる気持ちと漢民族の皇帝を期待する気持ちを取り込んで、民衆に受け入れられる内容とした。

そして失権して名目上だけの後漢の皇帝に天子の意味を持たせていない。

また本来は改革者であったところの魏の曹操をどこまでも悪玉に仕立てることで、

その曹操に立ち向かうという役の劉備に天子の正当性を背負わせた。

現代でも台湾を巻き込んで議論になる「ひとつの中国」の意識を逆に向けて漢民族にとって都合のよいものとしたのである。

数多の英雄たちと様々な脇役たちが織り成す人間模様に人の世の栄衰を投影させたのも

作品のひとつの魅力であるが、三国演義には蜀を中心に立てたその政治的な操作とあわせて、経済的な操作もあった。

三国演義に描かれた英雄たちの中で最も短所がなく魅力的に書かれているのが、義に厚く武勇に優れた関羽である。

例えば反董卓連合軍が氾水関でどうしても攻略できなかった董卓軍の勇将・華雄を、

三国演義ではたったの一太刀で当時無名だった関羽が討ち取っている。

史実では孫堅軍が華雄を撃退させたことになっており、関羽の名前は出てこない。

他にも史実では呂布の愛馬・赤兎馬を曹操に見込まれた関羽が譲り受ける場面はないし、

嫂(劉備の家族)を守って五関を破る危険を冒してまで魏を脱出し

劉備の元へと向かうという場面もないし、赤壁の戦いで敗走した曹操を華容道において

かつて受けた恩義のために目をつぶって許すというシーンもみな三国演義での作り事に過ぎない。

しかも「三国志」の著者・陳寿が「短気なところが災いして滅亡した」と

関羽を酷評していることは三国演義にはまったく記載されてないのだから。

それらはどうしてそうなったのか。民衆が喜ぶ英雄を作り上げ、

その魅力を増幅しようとしたからだけではなく、関羽の生まれ故郷が偶然にも

山西省解州という土地であったからこそ、関羽の活躍は超人的なものとして描かれ、終いには神格化されることになる。

解州には中国最大の塩湖である解池があり、

塩を取り扱う山西商人が中国全土の経済圏を牛耳るまでの影響力を持っていた。

その山西商人たちが事あるごとに関羽を宣伝し、神として祭り上げ、

引いては自分たちの正当性につなげようとしたことが関帝信仰につながったのである。

中国文化では出身地というものがその個人を飾る上で大変重要な意味を持ったからだ。

三国演義の爆発的な普及には話しそのものの魅力や中国思想の妙だけではなく、

山西商人による立場向上のための宣伝要因も含まれていたと考えて間違いないだろう。

これらのようにある程度は史実を踏まえた上で、民衆に全く抵抗ない内容、

いや逆に漢民族の心を上手に取り込んだ内容で、政治的・経済的要因も重ねながら

話を魅力的なものに変えていったところに、比類なき人気を誇る古典小説である三国演義の特徴がある。

青釭の剣と趙雲

曹操の怒りが怖い。

自分たちの首が飛びそうな恐怖を感じる、心底から。

青釭の剣をなくした。

おそらく、戦場のどさくさで仲間の誰かに盗まれたと思うのだが、そんな自分たちのミスをあの曹操に言うわけにはいかない。

上手い言い訳を作らねば。

名のある将に青釭の剣を強奪されたとするしかないだろう。

才能ある人を愛する曹操のことだ、悔しいどころから美談として扱ってくれる。

劉備軍の名のある将って、人が限られるじゃないか。

さすが関羽だと、関羽好きの曹操が違った方向に反応してしまい、ウソがばれる。

張飛か?

あいつだと爽やかさがなくて、曹操は何故か怒って我々を責めるかもしれない。

新しく出てきた趙雲という男にしよう。

困り果てていた夏侯淵と夏侯惇は、そういうストーリーを創り上げることにした。

一族の夏侯恩という架空の人物をでっちあげる。

夏侯恩に預けていた青釭の剣を、劉備軍の趙雲という無名の部将が奪った。

知られていなかったが、趙雲という名将が劉備軍に潜んでいた。

その話を曹操は、世間は信じた。

趙雲という伝説を創り、事なきを得た夏侯淵と夏侯惇がどれだけ喜んだことか。

倚天の剣が言うよ、「俺からすると、使われてうらやましい」と。

斬りたいのだ、倚天という剣は守るためにあるものではない。

誰かをきらびやかに飾るより、実用的な剣でありたい。

そういう意味では、君主の腰に落ち着くのではなく、武人と共に先陣にいたい。

名より実。

抜かれることもなく、ずっと腰に付いているだけの宝剣なんて我慢ができないんだ。

一方で、曹操という英雄はこう言い張る。

「でもね、倚天の剣。俺みたいな英雄は他にはいないよ?

俺から離れたら、一介の凡人に持たれるかもしれないけど、それでいいの?」

難しい選択だな。

英雄の腰飾りか、凡人の実践的な武器か。

光栄を優先する?

いいや、違うな。

俺は常に戦の現場にありたい。

一長一短なのだろうが、ないものねだりでも、青釭の剣みたいになりたい。

そう言って倚天の剣は戦場で振るわれる武具としての道を選ぶのだろう。

青釭の剣と趙雲

青釭の剣、倚天の剣。

伝説の名剣だが、僕には1つの疑問がある。

宝の双剣を、あの曹操が持っていたのは納得。

でも、もう1つを持っていたのは誰?

あの曹操と、双剣を二分する大した男がいたの?

夏侯恩。

三国志でほとんど無名であり、ただ青釭の剣を奪われるだけのキャラ設定。

小さな男のはずがないじゃないか、敵将が趙雲とはいえ、易々と討ち取られるはずがないじゃないか。

だって、あの青釭の剣の所持を許されるの才覚を曹操に認められた誰かだよ。

そう考えていくと、その男は夏侯覇でないかと思えてきた。 

誰が青釭の剣を持つのに相応しいか?

夏侯氏の若手、 それも実力を見込まれた男こそ、その役を当てられるはず。

これは仮説だが、その将の従者が、青釭の剣を持っていたはず。

だって当時の戦いで名のある将は騎乗していたはずし、馬ならば槍を持っていたはず。

夏侯覇が何か目を離した偶然の時間に奪われたのが青釭の剣ではないか?

趙雲の息子がそう語っていたよ、そのぐらい混乱の最中だったのだ、あの長坂の戦いは。

-雑記雑文