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2020年7月16日
三千院門跡は10年ぶりの再訪になるのに、紅葉時ではなく、また青もみじ時になった。
まだ梅雨の明けきらぬうちに、この苔と木々に溢れる京都大原の寺院から、緑色の写真を貰いたくて。
前回から自分の写真撮影技術が上がっているかを確認したいこともあった。
下にある古い写真と見比べると、使用しているカメラやレンズ画角の違いもあるものの、
今は年齢が上がった分だけ余裕があって、余白を上手に使っている感じ。
主役の被写体をどーんと真ん中に据えていた写真は、今の写真にはない。
京都市内の寺社と異なり、郊外のんびりムードの三千院門跡、さすがは隠棲の地・大原。
僕にとって三千院の青もみじ写真は今日が最後だ、最高品質の作品を残すのだ。
次来ることがあれば秋の紅葉時。
そのぐらいの心意気で、カメラマンとして勝負を賭けてやってきた大原三千院。
書院からの庭園は素晴らしい、贅沢言えばもっと陽の光が弱く、雨上がりとかだったら良かったのだが。
フルサイズ一眼レフカメラの最高峰・NIKON D850と、2.8mm 1.4E単焦点レンズで撮ると、明るい明るい。
C-PLフィルターを回して、草木と苔への陽の反射具合を見極める。
「三千院って、いつ来ても境内中が緑色なのね」と真面目に思った。
前回は5月、今回は7月、それは季節の問題なのですが。
足元は一面の苔、木々が紅葉色になっていたら、また風情が異なる一枚になるのだろうな。
新型コロナウイルス影響で、今でしかありえない空き具合の大原三千院門跡。
カメラマン目線だと撮影好機にしか思えないが、そう言うと世間様に不謹慎。
新緑の中で、温かい微笑みを続けている石仏、この方はどんな境地に達している?
もう一体、仏様の心が背後の青もみじの美しさに映っているかのような。
青もみじは単焦点レンズの開放値に近い明るいところで撮るに限るね。
フラットモードで全体をさらに明るくしつつも、編集で暗めにいじる。
京都の2大撮影チャンスは、桜と紅葉で不動だが、
青もみじは3番手に食い込んでいる、ライバルは積雪だが滅多にないし。
2020年の京都大原・三千院門跡での撮影写真たち、忘れ難き思い出よ。
2010年撮影、大原三千院門跡の写真
有名な小石仏、可愛らしい表情のキャラクターを見つけると、誰もが写真を撮っていた
苔の中に住む小さな優しさ、そのラブリィな存在にはカメラを向けずにはいられない
京都のあらゆる文化を覗いてみたいと思っている
京都市内のお寺や神社は一通り回ったから、次は郊外の名刹へ
北の大原地区は昔の別荘地だろうから、興味があった
ベストシーズンが紅葉だと知っていても、新緑の美しさも格別だろうと信じて
京都も少し郊外に出るだけで、普通の田舎風景になるんだな
三千院の参道からして、どうも京都市内の大寺院とは雰囲気が違う
宇治や長谷寺のような郊外型のんびりムード
腰をおろして、三千院の庭園を眺める
新緑の眩しさに目を覆いたくなるほど、5月半ばの緑は活き活きとした光を放っている
修行のお寺という感じはなくて、典型的な別荘寺院だなぁ、ここ三千院は
歩けば至るところにモミジがあるのが分かるし、しかもその数が際立って多い
紅葉の季節の美しさは、想像だけも事足りるほど、約束された美だろう
新緑の葉も、足もとの苔絨毯、春満開に咲いている数々の花
美が陳列されている三千院で、先人たちは何を想って暮らしていたのか
鎌倉時代以降の不動明王が多く残る三千院、修行よりも美の研鑽のイメージが強い
多くの春モミジからの木漏れ日、緑濃い苔と重なって、三千院は輝いている
昔は京都市内から1日かければ、歩いてここまで移動できただろう
京都から一番近い本格的な山の中、もはや華やかな都とは別世界だよね
しかし文化だけは京都一流のものがこの三千院に反映されていると思うよ
宝物館には仏像や絵画の不動明王がいくつもあった
背景のかるら炎が、炎の鳥になっている不動明王は初めて見た
三千院門跡ははっと見返すぐらいの美しさ
大原の山中に潜む美の存在、それが三千院だって
次はここで秋の紅葉を、燃えるように見る機会に恵まれるかな