B1よりも H1Bが上で、
H1Bよりも L1が上で、
L1よりも Blanket L1が上で、
Blanket L1よりも E2が上で、
E2よりも E1が上?
マックスウェル弁護士はよくそんな笑い話をする。
アメリカビザセミナーで、企業担当者連絡会で、もう何度口にしただろう。
この話が飲み込めればビザの世界もよく理解できるんだ、と言っていた。
人の上に人なく、人の下に人なし。
そんな当たり前の考えを当てはめてみると分かりやすい。
ビザの世界はステータスじゃない。
どんなバックグラウンドを持って、どんな目的のために
アメリカに住んでいるのかを示すのがアメリカVISAのカテゴリーだよ。
アメリカで仕事なんかしたくないのに、就労ビザを取る人がいるか?
どうせ最長7年で本国に帰ってしまう企業内転勤者L1 workerと、
片道キップで退路を断ちながら働くH1B workerのどちらが一体本当に仕事をするのか?
E1とE2は親企業の業務内容で大使館が勝手に決め付けたカテゴリーだけど、
2より1が良いなんてイメージの根拠は何?1万円と2万円はどっちが得だい?
怖いのは偏見と勝手な空想だよ。
噛み砕くように言うマックスウェル弁護士の表情がニコニコ笑っているから誰もが妄想、
自分の思い込みの愚かさに気付いてくれるんだ。
動物の世界でもクマ、シカ、ネズミ、
それぞれが生態系におけるそれぞれの役を担って生きている。
クマは生態系の頂点に立つけど一番偉いわけじゃない。
一見派手に見えるけど、土を、緑を育てているのは
もっともっと小さな微生物の力によるところが大きいんだ。
少し話がずれちゃったけど、アメリカビザの世界も同じでカテゴリーでの優劣なんて有り得ない。
じゃぁ質問だよ!
ホオジロザメとジンベイザメはどっちが偉い?
L1ビザとE1ビザはどっちが偉い?
そこまで話した後で子供のようなイタズラな顔をしてみんなに聞く
マックスウェル弁護士のこと、なんて優しい人なんだ、と思った。
優しい?そう、優しいんだ。
無知による認識違いを分かりやすく解いてあげる、それはやっぱり優しい行為だよ。
「ケン、君のところでは駐在員がE2よりE1が良いと思い込んでいた、
という事例があると言っていたね?」
急にマックスウェル弁護士がわたしに話を振ってきたから、
少し動じつつもわたしも話を合わせようと焦った。
「そう、そうなんです。E1駐在員が他拠点のE2駐在員にビザシールを見せてE1の方が上!
なんて言っていたシーンを目にしたことがあります」
そう言うと周りの参加者たちがかすかに笑う素振りをみせた。
これだね、この反応だよ。
マックスウェル弁護士の顔を覗くと、「Ken, good job !」と言いたそうなスマイルが
こっちを向いていて、なんだか面白いセッションができたな、と我ながらおかしかった。
「toko, LビザとEビザの違いが明確に言い当てられるかい?」
ケンにそんな難しい質問をされて、わたしは困った。
「ムリです、よく分かりません」
どうせダメだと思って、即答でそうギブアップすると
ケンがにっこりと微笑んでこう言った。
「正解!それでいいんです!」
「なにそれ?!からかってるぅ?」
ちょっと馬鹿にされたカンジがしてそう反抗すると、
やっぱりケンはマジメな顔で続けてくる。
「いや、本当に。LとEはね、僕も実は明確には違いが分からない。
多分誰もはっきり区分けはできないと思うんだ」
「そうは言ってもお客さんにも説明しないと困るでしょ?
じゃぁ、ケンの理解でいいから教えてよ。分かる範囲でいいからさ」
そこまで譲って逆質問すると、ようやくケンが教え始めてくれた。
「Lってのは企業内転勤者ビザ、つまり世界中の同グループ内での転勤さ。
転勤だから一時的なものでね、最初は3年のビザ、最長で7年しかない」
「はい。それは分かるんだ。転勤者ね。分かりやすいよ」
「Eでしょ、問題は。Eは投資家のビザだよ。
簡単に言うと日本の企業がアメリカに投資をする。
お金を投資して、アメリカに自分の子会社をたてる。
その子会社を育てていくのはもちろん大切だよね。
その過程で、日本の企業なのだから日本人の社員をアメリカに派遣するのは当然だ。
それは投資家としてしっかりと影響力を保ち子会社を経営してゆく、という目的があるね。
この目的のための派遣されるビザをとる人がEビザの申請者なんだ」
「うん、そっちも分かった。個々は分かるんだけど、
実際、駐在員を出すときはどう判断すればいいのかな?
転勤っていえば転勤だし、投資っていえば投資。そこが分かんない」
「あはは、実は僕も分からないんだ!」
あっさりとケンも言ってのけた。
「だからそこを教えてよ!ケンが分からなくちゃ、誰も分からないよ!」
「まぁね。だから曖昧なんだ。LでもEでもいい。
アメリカで役員クラスのトップマネージメントに就く人がEビザであったほうがいいのは、
投資という面からはっきりしているよね。
でも彼らだってLでダメなことはないんだ。
実務担当者はLのほうがいいけど、日本のやり方をアメリカで
ゼッタイに徹底するのが経営の基本、ということだったらEビザとしてでも考えられる。
要は答えはないんだよ、やっぱり」
「なるほどねぇ。そこまで考えての答えなしなら納得しました。もういいです」
わたしはそれ以上の答えはいらないと思った。
線引きできないものも世の中にはあるよ。
それにこだわっていても、明日が見えてこない。
曖昧なものを残すのも、将来に繋がる永遠のミステリーさ。
だからケンも答えを出せないこと、それはそれで正解だと思ってよ。
「じゃぁ、ブランケットLを取るのが一番じゃない!」
僕がアメリカビザの種類を説明しているとtokoは「わたし、分かりました!」という表情をしてそう叫んだ。
「そうだよ、ブランケットLが取れるなら一番いい」
何か気にしておかないといけないこととかあるの?
EやノーマルLと較べて申請が難しいとかあるとか?」
面白いと思った。
まだアメリカビザを勉強中の彼女がEやLという言葉を操っている。
「唯一、ブランケットLは追加で500ドルも収めない、といけないというルールがあることぐらいかな。
お金の問題。あとは申請条件さえ満たしていれば何の支障もない」
「条件!その条件を教えてください。知っておかなくちゃ」
こんな時尋ねてくる彼女の表情はスポンジみたいに吸収しそうというか、
すごく知りたいんだな、という顔をする。だから僕もいくらでも教えたくなるのか。
「細かくは沢山規定があるけど、重要なのは、そうだな、
最近3年の間に最低1年はその日本の会社で働いた実績がないといけない、ということかな」
「1年。普通に考えれば大丈夫ね。どういう場合がダメなの?」
そうだよ、その言葉の奥まで気にする気持ちが大切だ。
彼女はよくそれを分かっている。
「例えば、転職してきたばかりでいきなりアメリカの子会社に派遣させようとしてもダメだ」
「あ~なるほど。でも会社がギャランティーするから良さそうなものだけどねー」
「いや、問題はLが企業内転勤という性質を持っているってことさ。
一時雇用のHとの違いを考えないといけない。
Lは同グループ内での転勤という信頼性で成り立っているから、
いきなり入ってきた人間をLでアメリカで働かせるわけにはいかない」
「なるほど。合理的なアメリカビザルールだもんね」
tokoはこの合理的なという言葉をすっかり気に入ってしまったようだ。
教えたのは他でもなくこの僕なのだが。
「ケン、他には難しいことはないの?」
「あとはね、そのI-797にリストアップされた会社の中での異動が対象であって、
グループ会社といってもリスト外の会社はダメってこと。
例えばインハウスのウチの会社は親会社とまったく職種が違うから
ブランケットLでのグループ会社として認められることはない。
僕がアメリカに行こうとしてもLは取れない」
「うん、うん。ノーマルLでもブランケットでもダメね」
「ダメだ。あとは、一度Lの上限、L-1Aの7年、L-1Bの5年に達したら
次にLを申請できるのは日本に帰ってきて1年以上しないとダメ、ということ。
これも覚えておこう」
「えぇと、長くアメリカ駐在していた人が日本に帰任して
またすぐにアメリカに行こうとするパターンかな。そんなのあるの?」
「まずないけどね。そういうルールも全部がアレだよ、ほら、アレ?」
そう振るとtokoは楽しそうな笑顔で言う。
「合理的なアメリカビザだから、ね?」
こういう教え方なら覚えてくれるのもすぐだろう。
ルールをルールだけじゃなくて理由立てて教えなければ人の頭の深いところにはいってゆかない。
「質問があります、ケン先生」
「気持ち悪いな。toko先生、どうしましたか?」
我ながら仲良さそうに教えてる、って会社の周りから思われてるんだろうなぁって思った。
「ビザ申請前に1ヶ月とか2ヶ月とかアメリカに出張しちゃったらどうなるの?
その1年ってこのルールにはどう適用されるんですか?」
「おお、さすがは優秀な生徒。いい質問です。でも答えはやっぱり合理的なアメリカビザの中にある」
「ダメなの?まさかカウント外とか?」
「そう。海外出張の期間は1年の中にカウントされないよ。
そんなつまらない抜け道を作るわけないじゃないか、あの移民法が」
tokoはわたしが作ったアメリカブランケットLビザのマニュアルをじっくり読み返し始めた。
わたしは次の質問がいつ来るのかと内心楽しみにしながら彼女の横顔をちらちらと窺う。
・・・それにしても。
tokoの勉強熱心ぶりは嬉しいものだな。
いずれ僕のこのマニアックな知識も誰かに引き継がなくてはならない。
一生この就労ビザ担当ばかりをするわけにもゆかないだろう。
今まで僕が一人で貯めこんできた知識を経験を
この勉強態度ができるtokoに伝えられる、というのはとても幸せなことだ。
多くを僕は求めない。人だから短所はあるものだ。
そんな細かくはこだわらず、ただ、人に聞く姿勢というものがこんなにも大切なんだな、
ということをtokoというまだ若いこの女性の存在で僕は改めて知らされた。
アメリカの就労ビザなんてもの、普段の生活にはまったく接点がないもの。
だけどそれにも興味を出して学ぼうとするtokoのひたむきな姿勢に、僕は惜しまず全てを彼女に残そうと思った。
ほら、またtokoがこっちを向いた。わたしまだ納得していません、
という意志の強い表情に、知的好奇心が丸出しだ。
教えてあげるよ、ほら、僕のすべてを伝えてあげる。
「ケン、これはどうなの?どうしてI-129Sって書類は3部作るの?」
「あぁ、それはね・・・」
「B1 in lieu of H3というビザカテゴリーがある。
これはほとんどお目にかからないが、とある企業の研修生でアメリカの提携先に
研修に行く際にそのビザが発給されたことがあったな」
「in lieu ofってことは、B1商用ビザだけど、H3研修の代わり、っていうことでしょ。
トレイニーのH3ビザとの違いは何なの?」
「toko,じゃぁ仮にあなたがそのビザ申請者だとしよう。
研修だから就労ではないね?
それと、Hビザは現地企業からお金を貰うビザじゃないか。
すると、H3ビザは当てはまるかい?
当然、研修なんだから提携先からはお金はもらわないよ。
逆にお願いして勉強させてもらうんだ。お金は日本の親会社が払う」
「ダメね。そう言われるとH3じゃない。
就労じゃないからLでもEでもないし、あとは商用のBビザしかないわねぇ」
「だろう?でも普通のB1で事足りるかな?
Bビザは企業の打ち合わせが該当だよ?」
「打ち合わせ、ではないわね。
ふぅん、本当に一番いいビザカテゴリーがないじゃない。
あとは留学ビザはどうなのかな?
でも米国の会社に行くんだからI-20ABとかDS2019なんか発行されるわけないか。。。。
ダメだね、この線も」
「そうなんだ。こういう企業研修生のケースは思い切って金や勤務場所の問題を
棚上げにしてL1にするかH3にするかにしないと解決できない。
まともに目的や事情を説明して発給されたのが、このB1 in lieu of H3という新しいカテゴリーなんだ」
「でもこのビザって完璧じゃない?
B1だからお金は日本側で払うし、H3としてはっきり書かれているから目的も明確だし。
あとはアメリカビザにはそもそもそんなカテゴリーないってことが問題ね」
「そうだよ、toko。いずれは淘汰されてしまうビザカテゴリーだと思うな。
こういう稀なケースのことも頭に入れておくともっとビザの知識が膨らんでゆくよ」
そう言ってケンが笑う。
その膨らんだ豊かな知識を元に教えてくれる先生のように、わたしもいつかなれるかな。
でも、日常生活ではこんな特殊な知識使わないと思うけどね。。。。
ビザって、どんな小さな企業でもアメリカに投資さえしていればいいの?
企業の大きさとかは関係あるのかな?」
そう言われてわたしは困った。
tokoの指摘は毎回的を得ている。
わたしの知識不足のせいだろう、充分に答えられない時もあるのだから。
「数字として、何万ドル以上ってのはないよ。
ただ言えるのは、アメリカに相当額の貿易や投資をする企業ってこと。
つまりね、自分の所得だけのためにアメリカに会社を立ち上げたとしても
それは投資や貿易とは見なされないからEビザの適用外だ、ってこと」
「あー、分かりました。
自分ひとりとか、家族経営の企業とかで生活費ぐらいしか利益を期待していないのに、
これがアメリカへの投資だっ!って言ってもEビザはおろしてくれないのね?」
「そうだよ、そういうこと。
それは僕だってアメリカに投資して有限会社Ken LLCでも作ってEビザを取りたいけど、
そんな小規模の会社じゃぁEは取れない」
「わかったー。わかったー。よくわかったー」
そう言ってtokoは自分の仕事を続け始めた。
ほっと胸をなでおろすわたし。
アメリカビザのことは、この実務担当者の立場からだけでも分からないことだらけ。
弁護士、移民局、ビザ申請者、他色々な立場から勉強しないと
ちゃんとした答えができるものじゃないから。
「ビザの世界は本当にややこしい。
僕らのような実務的な話なんて小さいもので、大局を見れば政治的なもの、
経済的なもの、そういうものが根底に流れている」
ケンとマックスウェル弁護士が話している内容はいつも難しい。
楽しいランチタイムに話すことじゃないのに?とも思うけど
きっと二人にとってはこの上なく楽しい話題なのかな。
他の男の人たちがスポーツの話をするように、
女の人たちが昨夜のテレビの話をするように二人は楽しんでいるのかな。
「ケン、聞いたかい?マイクロソフトのビルゲイツ会長が連邦議会で
発言した内容のひとつにH1B発給数上限を廃止して欲しい、ということがあったようなんだ」
「それは聞いてなかったね!なんか凄く説得力のある話じゃないか」
顔を高揚させてケンが口を開く。
「そうなんだな。
我がアメリカは移民の国だから外国からの優秀な人材を獲得することは
最重要項目のひとつだと思う。
まぁ、これは日本も同じだと思うけどね」
「2006年のH1Bビザ発給は65,000でこれは毎年4月に
スタートした途端にすぐにいっぱいになってしまうね。
アメリカで働き、暮らし、そして税金を払いたいという外国人はいくら優秀であっても、
一年もの時間を待たないといけないんだ」
「あぁ、アメリカの大学で修士号を取った人や、すでにH1Bを持っている人の延長申請は
その枠外というルールはあるにしても、実際その枠は狭すぎると思うよ」
「だろう?それはねぇ、国内失業率のことや国際競争力だとか政治的・経済的、
それに軍事的な大局はあるにしても、やはりひずみが出ていたんだな。
それもビルゲイツ氏のような発言力のある方が言うのだから余程のことなんだよ」
「ビザの世界は知ったつもりだったけど、
我々の知らないところでアメリカビザの問題があったっていうことか」
「そうだよな、安全で優秀な外国人はいくらでも歓迎するべきなんだ。
それを政府が一律のルールで発給上限数を決めてしまうのは
政治的な側面からはよしとしても、経済の停滞を引き起こしかねない。
H1Bを発給されるような人物であれば
何万人アメリカに来ようがアメリカの国益を損ねないんだ」
アメリカ大使館近くの虎ノ門の焼鳥屋さん。
頼んだ焼鳥丼が出てくる間に、そんな濃いことを話して二人は
わたしのことをすっかり忘れてしまっているみたい。
ダメね、二人とも。
実務面から、学者面からばっかりビザを見ているから
彼らにだって気づかないことだってあるでしょ。
ビルゲイツ氏の言葉になんだかショックを受けているみたいだ。
「そうよ!」自分の知らない角度っていくらでもあるものでしょ!」
たまには二人に小言を言おうとわたしが口を挟む。
「そのH1Bビザのこともそう。
例えばね、H1BとかH3とか暗号みたいな言葉ばっかり使って
マニアな世界で遊んでいないでもっとシンプルな言い方、一時就労ビザとか
追加ビザ申請書とかもっと普通の名称にしたほうがいいと思うけどね!」
そう言うわたしの横で店の人が
「Cランチお待たせしました!」
と元気よく言うので、つい、わたし
「は~い、焼鳥丼と鶏ガラスープのセットですね!」
とコード化せずに言い直したらケンとマックスウェル弁護士が
難しそうな顔をして苦笑いを浮かべていた。
「ケン、これは昔のことだよ、今現在の話じゃない」
溜池山王駅の改札を出てアメリカ大使館へと向かう長い地下道、
隣で歩くフレディが思い出したように話しかけてきた。
「大阪に住む知り合いの弁護士から電話が入ってね。家族のL2申請で、
ちょっと変わったことが求められたケースがあったんだ」
「ほう。変わったこと?」
「そう。よくあると思うが、夫が渡米した後に入籍した妻だけがL2を申請するパターンだよ。
ケンはいつも何か婚姻関係を証明する書類をつけているかい?」
「結婚したばかりの夫婦の場合もそうだけど、戸籍謄本を僕が英訳してサインしているな。
それは毎回やっているよ」
「ケン、それが正解だ。まさかパスポートの名前を直しただけでもう家族関係が証明できたと思い込んではいないだろう。
ところがね、それ以上のものを要求されたケースを聞いたんだ。
それはね、入籍してから一夜でもひとつ屋根の下で共に過ごした事実関係が
あるかどうかの確認を求められたという」
「フレディ、そいつは聞いたことがないな。ひとつ屋根の下での一夜?
なんだかどこかエロティックな感じもする言葉でたまらないね」
「ははは!本当だよ、ケン。なんだから事件の匂いがプンプンする言葉だな!
これがな、どうやら偽装結婚ではないことを証明するための方法らしい。
ひとつ屋根の下での一夜、イコール、夫婦関係がある、と」
「なるほど。でもそれは証明が難しいな。すでにアメリカに駐在している夫は
入籍後に一晩でも新妻を夜を明かさないといけないってことか。
それは誰でも喜んで受け入れられる話だろうけどな」
「ケン、もっとすごいのはこうだ。もしも一晩でも共に過ごしたことがない夫婦の場合は
最初からL2はおりずにB2が発給され、米国で夫婦としての生活の実態を作った後に
I-94をL2ステータスに切り替え、その後米国外でL2を申請して再入国する、
という説明があったらしいんだ」
「おぉ、なんだかえらい話になってきたね、フレディ。
それはなんていうか、ルールに忠実すぎる運用だと思うけど、まぁ理屈としては分かる気がするよ」
そんな面白いネタで盛り上がっていたら、13番出口が見てきた。
あそこから上がるとアメリカ大使館はもうすぐだ。
「偽装結婚とは日本ではあまり聞かないフレーズだし、
ましてや我々のように大企業のビジネスマンを相手にビザの話をしていると、なんだか宙に浮いたような奇妙な話だろう?
でもねケン、世界中ではそういうケースもあるということなんだよ。
立場を変え、視点を変えて見てみるときっと他にもそんな話が転がっているかもしれないね。
また面白い話があったらお聞かせするよ」
地下鉄駅から地上にあがって、角を曲がるとあのアメリカ大使館が見えてきた。
あそここそモンスターボックス、色々な文化も問題も、何もかも呑み込んだ大きな存在だ。
「ある時、とても不思議な事件が持ち上がったんだ」
推理小説の探偵さんみたいな口調でケンは語った。
あれは横浜の港が見える丘の、とある領事館に行った帰り道、バス待ちの時間のこと。
「まだバスが来るまで10分はある。
ここに来たらやっぱり港が見える丘からの景色を見ないとね」
と言ってケンはバス停からバラ園を歩き、港が見えるという公園までわたしを連れ出した。
「えっ、あなたアメリカ人だったんですか?って事件だったんだよ。
僕も驚いたが、相手はもっと驚いていた。
まさか自分がアメリカ人だってこと知らなかったんだから」
「?????」
「普通のL1ブランケットを申請したらね、出生地がアメリカなのは気になっていたんだけど、
もう30歳だったから国籍の選択も済んでいると思ったんだ。
ある日、そのお客さんから電話があってね、お客さんも不思議そうな声で、
今アメリカ大使館から電話があって、あなたはアメリカ国籍を持っているから
ビザは発給できないのでアメリカのパスポートを取ってください、と言われた、
と彼は言ったんだ」
「二重国籍、ってヤツかな。よく知らないけど」
「tokoも知らないだろう?いや、これは誰も知らなかったよ。
二重国籍って大人になったら国籍を選択するものだと思っていた。
実際、日本はそうなんだよ。二十二歳で選択だ。でもね、アメリカは違う。
アメリカは二重国籍を認めているんだ。
そして、日本も大人になっても国籍選択をしなかった者に対して
日本国籍をすぐに剥奪、ということはしていない。
場合によっては日本国籍を失う、とは言っているが強行することは余程ないだろう」
「へぇ~。そんなことがあるんだ~。それで?ビザはどうしたの?」
「これが会社ともめたよ。アメリカ国籍を放棄してアメリカビザを取得するか、
もしくはアメリカのパスポートを取得してアメリカ人として赴任するか。
結局はね、アメリカのパスポートを取った」
「それって問題とかゼッタイあるでしょ???」
「そう。つまりはアメリカ人だからね、急にアメリカが徴兵制になったら
アメリカ人として徴兵されるだろうし、
アメリカ市民として裁判の陪審員に招かれるかもしれない
会社の人事が動いたけど、結局は日本国籍の放棄まで強制させることはできなかった」
「なるほどね。本人はさぞびっくりしたでしょうね。
まさか自分がアメリカ人だっただなんて、30歳にしてやっと分かった、ってことでしょ?」
「それもそうなんだけどね、もっとびっくりしたのがそのアメリカ人の奥さんさ。
自分のダンナが本当はアメリカ人だった?!
なんか不謹慎だけど、びっくりを通り越して笑えちゃうかも」
「本当ね!ね、その場合、奥さんのビザはどうなるの?」
「アメリカ人を配偶者に持つ外国人が取る移民ビザだよ!
手続きはややこしいけど、永住権が取れるんだ。これもびっくりしていたよ」
「うわっ。驚いたなんてもんじゃないでしょうね~。」
そう話している間にわたしの視界に横浜港の景色が飛び込んできた。
ベイブリッジも見えるし、港みらいのほうまでこの丘からは一望できる。
「あれは事件だったね。人生では知らないこと、意外なことが突如降ってくることがある。
運命の悪戯、人生のびっくり箱。
まさかアメリカビザ申請をしていてそんなことに出くわすとは、
誰もが想像できないことだった。面白いよ!」
港風に髪をなびかせて、ケンが無邪気に笑う。
ケンと一緒にそんなビザの世界を冒険するのも、
なかなか楽しいんじゃないかな、とわたしは心から思っていた。
――ねぇ、ケン。アメリカビザの有効期間ってどうして3年なの?
――それはね、人間の生活が3年を周期に変わってゆくからだよ。
仕事の話だと思って真面目に聞いたのに、ケンはそういう答え方でわたしを煙に巻いた。
――ちょっと!そういうことじゃないでしょ?
――いやいや、これは真面目な話。
Lビザが3年間有効なのはそういう意味じゃないかな。
何しろLは海外転勤のビザだからね、生活のタームっていうか、
人の変化の区切りを無視したつまらないビザルールを
アメリカは採用していないってことさ。素晴らしい!
――そんないきなり言われても分からないわよ。
でもEとかFは5年でしょ?Jは1年か2年で許可出ることが多いじゃない。
不思議ね、それぞれ違うなんて。
――あぁ、そうだね、toko。まぁ、不思議なようで不思議ではないんだ、
このアメリカビザの有効期限の話って。
Lは企業内転勤で、一時的な海外赴任だよ。
それには仕事以上に生活のリズムというものが意味を持つ。
人は3年単位で変わってゆくから、その区切りのひとつを
アメリカで過ごすというのはとても納得できる話だ。
3年で帰れるならば心も整理しやすい。
――うん。そう言われれば分かったような気になってきた。じゃ、5年のビザは?
――あれはまたビザの種類が違うよ。
E1/E2はアメリカへお金を投資している人たちのビザじゃないか。
生活の本拠、とまで言わないが資本を投資しているなら3年じゃ短過ぎる。
せめて最低5年、それにEビザは投資が継続されている限り無期限で延長されるからね。
お金を稼ぐのだから5年からが正解さ。
Fの留学ビザだって、大学は4年なんだし、
何かをしっかり身につけようとしたら3年じゃぁちょっと足りない。
ほら、やっぱり5年がぴったりだよ、Fビザも。
――ふぅん。上手く言ったわね。ますますその気になってきたかも。
――だろう?だから研修の意味がある交換留学のJビザの
2年か1年っていう有効期限も、あまり研修が長過ぎてもだらだらしちゃうことを
考えれば妥当だし、B1/B2に見る5年か10年っていう有効期限も、
基本的に人の生活や会社が変わらないっていう世の中の道理を考えれば、
申請者と大使館にとってはお互いに最低限の作業工数で、
かつ、最長の有効期限だと思うよ。良くできている。実に良くできている。
――なんかやけに大使館の肩持つのね!領事さんみたい!
――ははは。ホントだね、tokoの言う通り。我ながらヘンだ。
ビザルールって移民法で決められたものだけどさ、
勝手に解釈したらこんなになっちゃったよ。
アメリカって非合理的の部分が結構ある反面、
こういうところは実に合理的で、結構物分りがいい。凄いって思うよ。
――ねぇ、他の国のビザはどうなの?やっぱり同じくらい?
――いやいや、それがまったく違う。
イギリスのエントリークリアランスが5年有効なのは特例だけど、
他の就労ビザは通常1年か2年更新だ。
――なんでそんなに違うの?
じゃぁ、ケンの言う生活周期とビザってホントは全然関係ないんじゃな~い?
――おいおい、それはないよ。ビザの有効期間と人間の生活って、
互いに切っても切れない関係で、表裏一体のものだと思うよ。
中国のZビザのような1年更新のもののほうが不自然っていうか、
人間の道理を分かってないっていうか、無用な手間を互いに痛み分けしているな。
だってさ、働く環境が1年で変わると思う?
転職じゃないよ、同じ企業に勤めていながら1年で何かが急激に変化するとは思えない。
更新の意味が分からないよ。
――ちょっと!わたしにも言わせてよ。
そこはケンみたいにわたしにも偉そうに語れる!
1年とか2年っていう割合短期間しかおりない労働ビザはアジアに多いと思うけど、
あれはあれで更新を受け付ける側の仕事として成り立つから、
雇用供給のためにはいいんじゃないかな?
1年に1回と、3年に1回じゃ、労働局のスタッフも3倍違うってことでしょう?
どう?わたしのこの意見は?
――素晴らしいね。tokoのおっしゃる通りで正解だと思うよ。
就労ビザって一口に言っても、それぞれの国で違う事情がある。
その中で一番合理的な制度を取っているのはアメリカだと思うけど、
他もそれぞれで理由があるんだろうね。
ビザの有効期限の意味の深さっていうのも、
なんていうか不思議っていうか、奥深いものだな。
――本当ね。ほら、わたしたちのこのビジネス上の関係も3年持つとは限らないし。
恋人や夫婦の関係も3年か5年更新だったら面白いのにね!あはははは!
――その考え方って怖いなぁ~。でも真実かもしれないね。
ビザの有効期限の数字から読み取れることって結構あるみたいだ。
考えれば考えるほど、面白いものだと思うよ。
――ホント。なんかこんな会話をしている間に、ビザの有効期間の数字の裏に隠された、
人間の生活の様を旅しちゃったみたい。結構面白い話だったかも。
――あぁ。決められたはずの移民法も、詩的な解釈をすればこうなる。
こういう考え方も面白いと思うよ。
ほら、なんだか身近に感じてきただろう、アメリカビザの有効期間って。
「日本から見た外国人、アメリカから見れば第三国人だね、この方々の申請ほど緊張するものはないよ」
思えばマックスウェル弁護士は最初からそう言っていた。
「今回問題になったのは日本での滞在期間が3ヶ月と短かかったことだろう。
他は何も問題ないのだから」
海外から日本に企業内転勤してきた、とあるアジア人が
アメリカB2ビザを申請して却下されたケースが発生した。
実の兄がアメリカにH1B Visa Holderとして滞在しているので、
家族そろって遊びに行こうとしたが、ビザ却下されたことでその計画が頓挫した。
「分かっているさ、ケンのことだから書類は完璧だったのだろう?
英文残高証明やインビテーションレターに日程表、
日本の会社からの休暇証明書まで持かせたのかい?」
「もちろんだよ、家族関係を証明する書類もそうだし、
アメリカの兄の給与証明まで持たせた。
当然日本の外国人登録証は全員分あるよ。書類はどう見ても完璧だった」
「同じグループ企業で、アジアのローカル採用の社員が日本に転勤してきたわけだし、
身元ははっきりしている。
その申請者個人だって優秀な人物だったのだろうし、給与も安いわけでもないだろうし」
「そうなんだ、Master Degreeを持っていて、日本人と同じ給料をもらっている社員だよ。
家族だって子供連れで一緒に渡米する予定なんだ。
何もテロの要素はないように見えるけどね」
「じゃぁ、やっぱりその面接で担当官から言われた日本の在住暦が浅いことだけが原因だな。
窓口では1年といわれたのかい?」
「そうだ。アメリカビザを本国で取れないから、わざわざ日本に来て
審査の甘いところでビザを取ろうとしていると、誤解された。
日本との結びつきは確かに薄いが、会社という結びつきがあるんだけどなぁ。。。」
「ケン。そこが判断できないところだな。
昔ね、アメリカに住んでいる日本人の夫と、シンガポール人の妻がビザ延長しようとして、
日本で延長申請することにした。
問題は妻が日本の外国人登録証を持っていないってことだった。
当然だろうね、日本には住んでいないのだから」
「それはいいサンプルだな。申請は通ったのかい?」
「それがな、全く問題なくビザ発行された。Marriage Certificationだけで通ったんだ。
あとは日本の会社からのサポートレターがあったな。
日本に住んでいなくても第三国人がビザを発給された、珍しい例だよ。
まぁ、夫との結びつきがはっきりしていたからだな」
「あぁ。難しいものだな。家族関係という強力な結びつきのない第三国人は、
少なくとも一年は日本に住まないと日本のアメリカ大使館でビザ申請する資格がないかもしれないな」
「半年、という説もある。先進国の国籍なら半年で大丈夫なはずなんだ。
ここら辺は判断できないところだけどね」
「フレディ、参考になる情報をありがとう。また相談に乗ってくれよ」
「Sure!お互い様さ!」
そんなケンとマックウェル弁護士の、いつものやりとり。
「パスポートを更新したのですが、前のパスポートに残っている有効中のアメリカビザは自動的に失効するんですよね?」
そんなこと考えたこともなかった。
お客さんからの電話を受けて即答できなかったわたしが頼るのはもちろん、ケンしかいない。
少々お待ちください、と断ってケンに聞いてみると
「パスポートを必ず二冊両方もって入国するように言いましょう、
パスポートを更新しても古いパスポートに残ったビザは有効期間中は生きています」との返事だった。
お客さんに答えた後でケンに改めて聞いてみると、「よくあることだよ」と彼は言った。
「なにしろアメリカビザは有効期限が長い。他の国のように1年や2年じゃない、3年から5年、ものによっては10年だしね。
普通はパスポートが切れればビザは取り直しになるんだよ。
でもアメリカは違うな。両方持ってゆけばいい。なんていうか、合理的だよ」
「なるほどねぇ~。それは合理的でいいわ。他の国にはない制度なのね」
「唯一、オーストラリアのシールビザだけは同じルールだけど、他はみんな取り直しだね。
これはなかなかいい制度だと思うよ」
そう言ってケンは嬉しそうにしていた。
なんだかんだ言っても、ケンはアメリカビザのことが好きというか、嫌いじゃないんだ。わたしはそう感じたよ。
「21歳の誕生日の前日。
ケン、これがアメリカの家族ビザの期限なのね」
ある時、受領してきたばかりのLファミリーのパスポートを見ながらtokoがつぶやいた。
お子さんのL2ビザシールとパスポートの写真欄をじっくり見ている。
「そうだよ、21歳になったらもう一人の大人、ってことさ」
「21歳以上になったらもう自分独自のビザカテゴリーを取らない限りはアメリカにはいられないのか~。
これってどのビザでも一緒?」
「一緒だよ。21歳の誕生日の前日、ってことで統一されているね。
結構これって長いほうで、他の国では18歳とか20歳とか、もっと早い印象が強い」
「そうだよね、21歳で扶養家族なんてほぼありえないもん。
普通は学生か、もう仕事をしているでしょ。
21歳なのに何もしていないって、あんまり考えられない」
「まぁね。我々が送り出す駐在員家族は高校卒業したらFビザを取ってお子さんは留学生の身分になるしね。
だからまぁ、何も問題ないよ」
アメリカビザのルール。
それは色々なことを踏まえた上で決めている、まるで色々な人種のるつぼって言われるニューヨークやL.A.みたいに入り組んでいるよ」
そう言うとtokoは納得した顔つきでアメリカビザのコピーを取りに行った。
これで良かったのかな?
充分に教えられたかな、と毎回わたしは疑問に思いながら彼女と仕事をしている。
「今までのアメリカビザ申請で一番困ったこと?う~ん、困ったことねぇ。。。」
わたしがそう聞くとケンは腕組みをして考え込み始めた。
「えっ?あんまり困ったことがないのかな?さっすがに仕事のできる男は違いますねぇ・・・」
「いやいや、逆だよ!どれにしようか迷っちゃうぐらい、困ったことは沢山ある」
ちょっとからかってみるとすごい勢いで反論してきた。
そっちか。でもこれは是非とも聞いておきたいな。
「そうだね、一番困るのは、ちゃんと事実を教えてくれない申請者かな。しかも意図的にね」
「どんなケースがあったの?教えて」
「過去、一番話がこじれたケース。結局ビザは発給されたんだけどね。
随分前、これはまだ面接もいらなかった頃の案件だよ。
アメリカの駐在員が日本に出張に帰ってくる間にビザを更新してくれ、と依頼が入ってきた。
普通のことだからね、書類を提出して発給を待ったら、当時通常2-3週間であがってくるのに、全くあがってこなかった。
その人より後に申請した人が先に発給されてきたりして、焦ったんだ」
「うん、うん」
「困ったのはその駐在員も忙しい方だったから、当然早くアメリカには帰りたいし、
日本にいても仕事ができない。散々PUSHされて困ってしまったのは僕だった」
「やだね!典型的な板ばさみってヤツじゃない。
当然大使館に聞いてもいつ結果が出るなんて教えてくれるわけもないし、どうにもできないんでしょ?」
「そう。どうにもできない。
日本的なサービスでいうと何かしなくちゃ顧客は納得してくれないんだけど、本当にどうしようもなかった。
申請から1ヶ月が過ぎた日、受領に入ったらファイルが帰ってきたんだ。
本人出頭を要求するレターと一緒に」
「えっ?どうして?まだ本人面接のない時代だったんでしょう?」
「そう。おかしいと思ったよ。
レターには、指紋採取をする必要があるので本人が来てくれ、と書いてあった。
不審に思いながら本人に説明したよ。そうしたら、なんて言われたと思う?」
「えっと、すっごい話なんだから、
実は、わたし双子の兄弟で身代わりです、とか(笑)?」
「それはないでしょ~。それはやばいでしょ~。
その人はね、実は隠していたけどわたし犯罪歴っていうか、
飲酒運転で捕まった前科があるんです、とその時になってやっと話し出したんだ」
「飲酒運転?そういう種類の犯罪はビザ申請に影響あるの?」
「答えはYesだよ。何が問題かって、飲酒運転自体じゃない。
申請書DS156の質問事項で事実を隠して回答してしまったこと、
何らかの違法行為によって逮捕されたり有罪判決を受けたりしたことがありますか?
という質問に、故意的にNoと回答してしまった、その行動そのものがまずかったんだよ」
「なるほど。事実以前の問題で、悪意によって事実を隠して申請しようとしたって判断されたわけね」
「そうなんだ。それから本人は大使館に出頭して両手全部の指の指紋採取を受けた。
なんとその1ヶ月後になるよ、ビザが発給されたのは」
「さらに1ヶ月?申請してから2ヶ月かぁ~。それは業務に支障が出るでしょうし、
そんな自己都合で会社に迷惑かけたら何がお咎めあるかもしれないね~」
「そうだね。どうも指紋をとられてからの1ヶ月の間に、
アメリカ大使館は本国のFBIにその指紋データを問い合わせしていたらしい。
つまり、ビザを発給しても問題ないような割合軽い犯罪だったのか、それとも重い案件だったのか、って」
「なんだかすごい話になってきたわね」
「だろう?それで結局はビザ発給になったけど、
ビザシールの追記欄、Annotationのところにビザ却下には該当しない経歴、と追記されていた。
だから、これは結果論だけどね、最初から質問事項にYesと回答して、
自ら証拠書類を全て提出していれば通常の2週間でビザはおりたかもしれない。
今となっては分からないことだけど、そういう考え方もあるんだ。
何もかもがダメじゃない。逆に、スピード違反1回でその欄をYesにされても困る。
もっと思い問題の場合、ってことさ」
「なるほどね~。なんかすっごくためになるお話が聞けた感じ。
やってしまったものは仕方ないから、素直に話して判断を委ねた方がいいってことね」
「そのことがあってから、DS156を作るときの質問書はよくお客に説明して書いてもらっているよ。
軽犯罪でもいいから、何か気になったことがあれば相談してくれ、と。
黙って虚偽の申請をすることのほうが深刻な問題だ、と書いてからはその種のトラブルがなくなった。
本当に色々あるものだよ、アメリカビザ関係は」
ケンがため息をつく。
また仕事に戻りながらわたしも考えちゃったけど、このビザっていう仕事は日常生活に足を下ろしていないようで、
実は結構人間の最低限のモラルが問われることもあるんだな、と思い返していた。
「それでかわいそうなことになったのが、ブラジル人の方々だ」
そう言われて、わたしはコーヒータンブラーを持つ手を止めた。
ケンに言われるとよっぽどのことがあるんだな、と薄々感づくようになっているから。
「そうしてアメリカは全外国人に入国時の指紋採取と顔写真撮影を義務付けたよ。
この生体認証技術の導入によって、指名手配中の犯人が数千人単位で捕まった、というプラスのことはあった。
でもマイナスのことがね、まずは入国時にかかる時間のロストのことを考えれば
物凄い損失になるのだが、もっと目に見える反応をしたのがブラジルなんだ」
気が向いたから3時のコーヒーをケンにも入れてあげて、
またわたしがしつこくアメリカビザの難しい質問をしていたら、話がこっちにそれてきた。
「いい?ブラジルから日本に来るときに一般的なルートはアメリカ経由なんだよ」
「ってことは、アメリカがトランジット客もすべて入国する、というルールを作ってしまったら、
まさかブラジル人はみんな入国?まさかビザがいるの?」
「そうなんだ。ブラジル人だけじゃないよ、
南米やメキシコの方々もアメリカを経由する限りはビザが必要だよ。
ブラジルは日系人が多いから、これは深刻な問題になった」
「アメリカを通らないルートはないの?」
「ヨーロッパ経由だね。ただ、料金が高くなる。それも数万円単位で高くなるからあまり賢明な方法ではないんだ」
「それはかわいそうじゃない。ビザなんか取れるのかな?」
「ちゃんと申請すれば取れるけど、トランジットビザというアメリカビザのカテゴリーはC1ビザになるね」
「もちろん面接ありでしょ?」
「あぁ、それもかわいそうだ。時間もそうだけど、金銭的なデメリットが大き過ぎる」
「ちょっと聞くに堪えないお話ね。アメリカの言い分も分かる気はするけど」
「toko、すごいのはブラジル側の反応なんだ。
報復措置として、ブラジルに入国するアメリカ人に限り、やはり指紋スキャンと顔写真撮影を義務付けた。
これでアメリカ人だけが、入国の際に長蛇の列を作ることになったんだ」
「思い切ったわね!それもアメリカ人だけ、なんて露骨な報復じゃない」
「それにビザ料金もアメリカ人にだけ高くした。ブラジルは怒ってるんだよ。
これは僕がずっと恐れていた負の連鎖、報復のビザルールだけど、
一石を投じる意味ですごく大事なことなのかもしれない。
だって、全員が面接の上にビザを取るなんて本当に迷惑なお話なんだしね」
「でも。。。世界中に広がらなければいいね、そういう報復とか仕返しとかが」
わたしもしんみりコーヒーをすすりながらそう言うと、
ケンは机の中から美味しそうなチョコレートを出してきてわたしにくれた。
「そうだよ!・・・で、なんでこんな話になったんだっけ?」
とぼけて言う。
「だから、JL048便でニューヨークで1ストップしてサンパウロに入るケースは
アメリカに入国するの?ってわたしが質問したんでしょ」
「あぁ、そうでしたね。荷物は受け取らなくてもいいけど、入国は必須なんだ。
そうでした、そうでした。まぁ、まぁ、そのチョコレートでもどうぞ。
ベルギー帰りのお客さんからもらった美味しいやつです」
ケンはそんな感じで話を明るくまとめていったけど、
アメリカビザへの明らかな報復行為が行われている、と知ってわたしの心は暗くなった。
互いを信じる良い心なんて、現実の世界ではまだまだ先なんだと知ってしまったから。
わたしは今、デトロイトモーターショーの仕事でデトロイトに海外出張しているのだが、
東京で留守番をしてくれている旅子とはメールで仕事の連絡を取り合うことにしている。
夜、メトロ空港のウェスティンホテルの部屋に戻ってPCを空けると、
ほら、今日もやっぱりメールが入っているよ。
「ケン、お疲れ様。また分かんないのよ、
カナダへの出張者がさぁ、その人はシカゴからエアカナダでトロントに入ったんだけど、
アメリカの入国カードがまだパスポートに残っているって大騒ぎ。
もうどうしようもないよね?また2日後にシカゴにもう一度戻るんだけど、
その際に状況話してなんとかするしかないよね?これで正解?」
さぁ、どうしよう。
先にマクナマラターミナル内のレストランでディナーを取ろうかと思ったけど、やっぱり先に返信をしておくことにしようか。
「旅子、不在中のヘルプ本当にありがとう。
真冬のデトロイトは五大湖からの寒風で強烈に寒いけど、
今日はひどく風が強くて指の感覚がなくなっちゃうほどだったよ。
さて、アメリカ・カナダ間の特別ルールってやつがあってね、
アメリカからカナダに行ってまたすぐにアメリカに戻る人は、
最初にパスポートにステイプルされたI-94Wの入国カードはそのままでアメリカを出て、
またアメリカに入ってくるときはそのI-94Wがもう一度使えるんだ。
ちょっとカナダに行ってまた帰ってくるなら二度もアメリカの入国審査を通るのは大変だろう?
そこを簡単にさせようとしてこういう特別ルールがあるんだよ。
だからその方のパスポートにI-94Wが残っていて正解ってことになるね。
トロントからシカゴにフライトする時、トロント空港でのアメリカ入国審査でその入国カードをそのまま見せればいいんだ。
あと二日ばかりご迷惑をおかけしますが、不在中よろしくお願いします。ケン」
PCを閉じるとわたしは窓向こうのマクナマラターミナルから飛び立つ飛行機を眺めた。
デトロイトからカナダへ、そしてメキシコへ。
カナダだけじゃなくてこのアメリカ特別ルールはメキシコにも適用されている。
陸続きの隣国がないわたしたち日本人にはそうそう理解できないことかもしれないけど、
とても合理的で良いルールだとわたしは感じている。
と言っても入国カードルールも少々ややこしいところがあって、
便や空港、そして入国カードを回収している航空会社のスタッフによっては
入国カードをそのままにしたり、あるいは回収してしまう人もいる。
表向きにはまた帰ってくる人は回収されないのだが、相手の気分によっては回収されてしまうのだ。
そうしたらまた入国カードを書いてアメリカ入国すればいいだけのこと。
どちらでも良いよね。人生の唯一の答えなんか、求めるべくもないのだから。
表を案内すれば裏が来ることがある。裏と案内すれば表に戻るのもよくあること。
表裏いずれも情報提供してしまえば、あとはどうにでもなれ。
冬のデトロイト空港は積雪でフライトキャンセルになったり、フライトディレイが起こりがち。
航空会社職員の不意のストライキによるフライトの乱れだってあることじゃないか。
それは避けられることではないから、様々な情報を顧客に渡しつつ、
あとは問題が起きたときに十分フォローできる体制をとっておくのが我々旅行会社の仕事じゃないかな。
ノースウェスト航空機が多く離発着するこのデトロイトはメトロ空港でわたしはそんなことを考えていた。
「ミステリーがある。
カナダからアメリカへ飛行機で飛ぶ旅行者が、アメリカについてから入国審査を受けなかった、と言い張っている。
そのくせ、彼のパスポートにはアメリカ入国カードの半券がきちんとホチキス留めされている。
そのカードにはちゃんと今日の日付のアメリカの入国スタンプも押されているじゃないか。
さぁ、どうしてだ?」
・・・なによ、その問題。
勉強会って言っていたのに、いきなりクイズ出してどうするのかなぁ。
わたしは何て答えようか迷ってしまうじゃない。
「え~。え~と。VIPだからアメリカの入国審査は不要だったとか?」
「いやいや、そんな特別なケースじゃないよ。
一般人で、記憶喪失でも裏工作をした人でもない。
普通にその日の朝にカナダの空港から飛行機に乗ってアメリカにやってきたばかりなんだ。
カナダの前に滞在していたようなアメリカ再訪問者でもないし。
さぁ、ちょっと難しいかな?」
「難しいよ!カナダで出国でしょ。そしてアメリカに着いたら入国審査ってことでしょ。
アメリカの入国審査は最初に着いた空港でやるのだから
アメリカの空港でやっているはずだし。やっぱり分からないよ、ケン」
「そうですよね!こんなマニアな問題、分かるはずないですよね!
アメリカとカナダは隣国同士だ。
アメリカはメキシコとも陸続きだけど、経済発展具合がだいぶ違うから
アメリカ・カナダほど密接な関係ではない。
それはね、アメリカとカナダは全く違う国同士だよ。
でも、あんまり難しく考えなくてもいい先進国同士だから
そこには特別入国ルールが結ばれているんだ」
「特別って、カナダだけ?」
「そう。カナダからアメリカへ飛行機で入国する人は、カナダの空港でアメリカの入国審査を受けるんだ。
分かるかい?カナダにいながらにしてアメリカに入国してしまう感じだよ。
カナダの空港でチェックインして、次に出国審査を受ける。
その先を歩いてゆくとなんとそこにアメリカの入国審査場があって、アメリカの入国審査官がいるんだ。
カナダの出国審査場を出てから確かにそこはもうカナダではないにしても、
地理的にはカナダの空港内だからね。
やっぱり不思議な感覚だろう?」
「不思議~。カナダの空港でカナダ出国してアメリカ入国して。
で、アメリカの空港に着いたら何するの?何もなし?」
「そう。何もない。国内線感覚で到着さ。荷物だけ受け取って出口だね」
お話は分かるよ。ルールは分かった。
でも、なんでだろう?どうしてそんなことするのかな。
普通にアメリカの到着空港で入国審査を受けちゃいけないの?
そう言いたそうな表情をわたししていたのかな。
ケンがすかさず言葉を入れてくる。
「旅子さん、アメリカとカナダはそれでどんな利を得ているって聞きたいんでしょう?
そうだよね、何かあるからやっているんだもんね。
単純なことでね、アメリカの入国審査場っていつも混んでいるでしょ?
隣国のカナダから来る人の大半は何も問題ないカナダ人だし、
地理的にも近いから入国審査官をカナダに派遣してもそう苦ではない。
これでアメリカの空港での混雑が解消できてアメリカはハッピーだし、
カナダ人もアメリカでの長時間の待ち時間を回避してカナダ出国時にスムーズなアメリカ入国審査を受けられる。
互いにメリットがあるからこのアメリカ・カナダ特別ルールをやっているのさ」
ミステリーの答えは合理性だった。
そうね、ケンが教えてくれたこの特別入国ルールがあるから、
その人はカナダの出国空港でアメリカの入国審査を受けていた、というわけ。
それはアメリカでは入国審査は受けないよね。もうカナダの空港で受けているのだから。
知らなければなんか本当にミステリー。知ってしまえば当然のことね。
いい勉強になったよ、ケン!
「じゃぁ、具体的にアメリカで飲酒運転をして捕まったことがある人は
アメリカビザ申請上でどういう不利益があるの?」
あれはミヤンマー大使館からの帰り道。
バス通りまで戻る真っ直ぐの道でケンに報告がてら携帯で電話した時に話が脱線した。
「不利益!身から出た錆だけど、いくつかあるよ。
まずはね、ビザウェイバープログラムなんだけど、これは問題なく適用できるんだ。
つまり、飲酒運転だけだったらビザなしでアメリカ入国は可能。
でもね、入国カードI-94Wの裏面のB、悪いことしたことありますか?
の質問にはYesをチェックしないといけない」
「そっか!それは痛いね。でもスムーズに入国できるのかしら?」
「言えることは、アメリカだからパスポートネームでそういう履歴が全部チェックできる、ってこと。
入国審査官はすぐにデータを引っ張り出せるはずなんだ。
まぁ、その事件の書類一式を素直に出して状況説明をするんだろうね。
毎回かどうかは審査官次第だと思うけどさ」
「それから、ビザ申請の時は何かあるの?」
「もちろんあるとも!申請書DS156の2枚目、38番の質問項目ね。
悪いことしたことがありますか?に、ここもYesと答えないといけない」
「それってイコール、ビザ却下ではないって前に聞いたけど?」
「そうだよ。ちゃんと弁解する余地は残されている。
重度のことでなければきっとビザは発行されるよ。
知っているのにそこにNoと答えてしまったら後が怖いけどね」
そう話していたら、五反田から品川駅に向かう都バスの姿が見えてきて、
わたしは急いで交差点を渡った。
「ありがとうございました、じゃぁこれから帰ります」
そう言って電話を切る。バスに乗って御殿山から品川の景色を眺めていると、
いつも通りの人の数、人の山。
――きっと、そんな損なことがあると先に知っていたら
飲酒運転なんかやらなかったはずなのに。
わたしはそう思う。
知らないこと、こういうことを事前に世間に周知しておいたら、
きっと飲酒運転の最良の防止になるんじゃないかな。
人生を狂わせてしまうたった一度の過ちって本当に怖い。
すれすれのところで生きているような、
薄い人生の分かれ道だな、ってわたしは思った。
「ギリギリのルールだよ、一応表面上の理屈は通っているけど、
モラルというか、フェアというか、サービスの面では明らかに問題がある」
そう言ってケンがあまり歓迎していなかったアメリカ国内でのビザ延長申請のこと、
わたしなりに調べてみた。
アメリカビザ自体の延長申請は現在アメリカ国内ではできないけど、
アメリカ国外の米国大使館・領事館ではできる。
推奨されているのは母国でのビザ申請だけど、
アメリカ国境線沿いの大使館や領事館、例えばカナダやメキシコでも申請は可能なの。
それと、これは以前にケンによく説明してもらったので理解しているんだけど、
アメリカビザのルールでいえば、ビザの有効期限と滞在可能な期限は異なる。
ビザは入国時に有効であればよくて、一端アメリカに入ってしまったら、
I-94(入国カード)に手書きで書かれた日付までが合法的な滞在可能期限で、
アメリカ国内でもI-94の延長申請はできる。
ビザは失効してもアメリカ国外に出ない限り
I-94さえ延長していれば不法滞在にはならない。
だから問題ないみたい。アメリカ国内でビザ延長できなくても、最悪は問題ないよ。
「でもねtoko、よく考えてみようよ」
わたしが覚えた限りのことを口にするとケンは残念そうな表情でこう返してきた。
「それにtokoが今言った通り、理論的にはちゃんと説明がつくね。
昔はアメリカ国内でも延長申請ができたんだけど、まぁ2ヶ月も3ヶ月もかかっていた」
ケンはちらりと視線を落として、
「今後は国外で申請してくれと言われたのはちょうどアメリカビザ制度変更の真っ只中で、
本面接時の指紋スキャニングが導入された2004年だよ。
アメリカ国内ではその設備がないから延長申請はできない、と説明を受けた。
だからといって、I-94さえ延長すればいい、という話にどうして結び付けられるのか、
僕にはどうも納得がゆかないんだ」
と言った。
「アメリカを出たら一週間ぐらいかけてビザ申請をして
新しいビザシールを受け取らないといけない。
それは時間がある人はいいよ。でも忙しいビジネスマンに本国に戻った時に
わざわざ大使館まで出向く時間、一週間もの時間を捻出させるのは酷であると思うよ。
やっぱり、他の方法はあるべきだと思う。
アメリカ国内での延長申請という選択肢も残すのが人道的だと思うんだ。
それはね、自分がアメリカという外国に住んでいる一外国人だ、
という意識がきちんとある人にとっては難なく受け入れられる話かもしれない。
そのくらいの工数がかかっても海外に住むためには当たり前のことだとも言えるけどね」
「ケン、他の国ではどうなの?」
「どこも国内延長はできるよ。
一部の発展途上国では申請に時間がかかり過ぎたり、
賄賂をせびられたり、短いビザしか出してもらえなかったりすることもあるから
日本に帰ってきて申請するところもある。でもそれはごく一部だ。
標準は自国内でできるんだよ。
国内にいる限りはI-94さえ延長しておければいい、という話は
ギリギリの薄氷というか、最低限のラインだね。
税金を払う非移民者、アメリカで生活をしている人に対しては
その扱いは弱すぎると僕は思うんだ。
もっと選択肢があってもいい。もっと厚くカバーする方法があってもいい。
このルールには大反対というわけではないけど、いつ思い返してみても
この国内延長のことは残念なルールだなぁ。やっぱり悲しいことだよ」
そう言って目を逸らすケンの背中はすっかり丸まっていて、
わたしは「改善を求める人の声が集まれば時間の問題でまた変わってゆくよ!」と
励ましてあげたかったけど、どうやら今は声をかけてあげられないみたいに思えた。
1年後。
アメリカビザの再申請において、この1年という数字がキーになることが見えてきている。
例えばLビザだ。
駐在員が帰任して、またLビザを新たに申請しようとすると日本に1年滞在した後でしかできない。
それ以前の申請では以前のビザの延長申請として扱われる。
そこで言われている「1年」はルールとして明言されているから知っていた。
それ以外で見かけた大使館コメントとしての「1年」がある。
ひとつは日本に来たばかりの外国人がB2ビザを申請したら、日本にアメリカビザを申請するために来たとみなされて申請却下され、
日本に1年住んでからまた申請しに来てください、と言われた案件がある。
もうひとつは父親の仕事の関係で子供の頃からずっとアメリカの学校に通っていた子供が、
父親の帰任の後にもなんとかアメリカの大学に行こうとFビザ申請をしていたのだが、
何度か申請でもめた挙句、「アメリカに移住する意志があるとみなします。
日本に1年住んだ実績を作って再申請してください」と言われたケースがある。
この話を総合して、わたしは「1年」という期間がビザ再申請のキーになると分かった。
でもね、一年なんていう時間は馬鹿にしたもんじゃない。
人の人生を一年間待たせることはなんていうか、大変な件だよ。
一年待たせて「やっぱりダメでした」では通用しない。
これは難しいよ、一年待てばなんとかなる、というものでもないし。
一年。一年。
この数字と今後も戦い、悩み、苦しんでゆくのだろうな。
「あれはわたしがこの会社に入ってきてまだ1ヶ月も経っていない頃。
隣の席に座っているケンが朝から嬉しそうだったことは感じていた。
接客ブースに呼ばれて行くと、一人の白人の男性がケンと楽しそうに談笑しているところだった。
「フレディ、紹介するよ。彼女は僕とこれから一緒に仕事をしてくれることになったtokoさんです。
toko-san、こちらはフレドリック・マックスウェル弁護士で、アメリカ移民法がご専門だ。
つまり、アメリカビザのスペシャリストでいらっしゃる」
ケンがそう紹介するとその品の良さそうな弁護士は握手を求めてきて、わたしにこう言った。
「お会いできて嬉しいです。
ケンとはいつもビザの話題を共有しているグッド・フレンドです。
今、ケンにスペシャリストと言われたけど、ケンもアメリカビザの実務は私以上のスペシャリストですよ」
彼らの会話はすべて英語で、わたしも英語に不自由しない能力を買われてこの会社に入ってきたから英語で話を続けることにした。
「ミスター・マックスウェル。わたしもお会いできて光栄です。
まだ入ったばかりでビザのことは素人ですけど、ケンに色々教わって頑張って覚えてゆきます。
スペシャリストが二人もいらっしゃるなら、アメリカビザのことは心配要りませんね!」
「ははは!あぁ、そうですね。
直ぐにあなたが三人目のアメリカビザ・スペシャリストになるのでしょうからますます安心だ!」
マックスウェル弁護士はそう言って楽しそうに笑った。
「お二人はいつからお仕事を一緒にされてるんですか?」
軽い気持ちでわたしが聞くと二人は顔を合わせた。
「えっと、なんだか随分長く一緒に仕事している気がするけどよう、実際は9.11以降の付き合いですね、僕たちは」
ケンの話にマックスウェル弁護士が頷き、遠い目をして語り出した。
「本当、だ。9.11以後の様々なビザルールの変化を情報共有してきたからかな、
随分と深く長い付き合いの気がしているけど、あれからまだ5年しか経っていない。
5年一昔と言うが、実に感慨深いものがあるね、ケン」
「本当だ。あれからだいぶルールが変わった。
僕たちの歴史は、アメリカビザと入国ルールの変化の歴史かもしれないね」
そこから二人は昔話をするようにアメリカのビザルール変更について語り始めた。
「まず変わったのが、申請書だったね。
OF-156がDS-156になり、DS-157が追加され、さらにDS-158もできた。
あれは仕事量増に直結したからさすがに困ったよ。
わたしは自分で作らないからいいが、ケン、君のところは大変だったろう?」
「あれは辛かった。今はすっかり慣れたからいいけど、当時はかなり時間が余計にかかったし、
だからと言って顧客に手数料を上増し請求もできるわけじゃないし、旅行会社いじめかと思ったよ。
でも、あれは制度変更の前兆であって、本題はそれからだったね」
「本当だ。2003年の8月だったね、本人面接制度が導入されたのは」
「あぁ。ついにアメリカが動いた、と思った。
あれはまだ僕が取り扱うLやEのビザ申請者が面接対象のカテゴリー外だったから影響は少なかった」
「今も世界中で本人面接を必須にしている国は本当に少ない。
だからあの本人出頭の話がウワサで持ち上がってきた時はわたしも耳を疑ったな。
飛躍し過ぎだって思った。しかも国籍に関係なく、この日本人までが対象と言うのも驚いた。
イギリスと日本ぐらいは対象外になると思ったのに。アメリカは本気だったね」
「それから翌年の1月にビザ保持者の入国時の指紋採取・顔写真撮影のルールが始まった」
「あれも本気の一環の始まりだったね。
インクでなくデジタルでの指紋スキャンだからまだ良かったが、
もうビザシールの写真だけでは本人確認としないという新しいルールの幕開けだった」
「それからついにその年の7月、LやEビザ申請者に対しても本人出頭が義務付けられた。
実質、外交・公用目的以外の全員が出頭対象になった。
申請時に本人の指紋を登録させるのためだ。
僕はあれが一番大きな転機だったと思っている」
「あの夏が暑かったことをわたしは覚えている。
導入直後は門の外に1時間以上も並ばされてね。
脱水症状になる人もでた。ニュースや新聞にも取り上げられたな。
過渡期の混乱の最たるものだった。
確かにそこからアメリカビザ申請は劇的に変わっていった」
「この時に面接者の指紋スキャン制度が導入されたけど、
あっけなく終わる面接とあのわずかな瞬間の指紋スキャニングのためだけに
時間を金をかけて遠路はるばる大使館まで行くのか、ということでまた議論が持ち上がった」
「ケン、議論は今も続いているよ。
アメリカはテロを防ぐっていう一通りの成果を収めたのだから時期を見て順々に面接を止めてゆけばいい。
だって今はとりあえず全員大使館まで来い、というスタンスだろう。
本出頭の面接を続けてそろそろどこが面接必要でどこが不要なのかも分かったはず。
今のまま全員が全員なんてことはもういらないはず。
それは国籍でも差別とか経済が絡むえこひいきとか色々問題があるにしてもそろそろ手をつけるべきだと思うよ」
「僕も同感だな、フレディ。少なくとも日本の人たちには必要ない。
仕事のための仕事、必要ない建前は取っ払うべきだ」
「指紋のスキャニングの問題は拡大していった。
2004年の9月からだよ、ビザ免除プログラムでの渡航者に対しても、
入国時の指紋採取・顔写真撮影を義務付けられるようになったのは」
「あれは思ったよりも混乱しなかったね。
僕もすぐにアメリカ出張をつくって自分の目で見てきたけど、事前に恐れていた遅延はほぼ起きなかった。
そのあたりの対応は評価したいな。
本人特定の方法が変わるのは仕方ないにしても、
乗り継ぎの時間に間に合わなくなるほど時間を食っていたら大変な問題だ」
「そのもっと以前からかな、機械読み取り式旅券とか非機械読み取り式旅券という、
普段耳にしない新しい言葉がでまわるようになった」
「そうでしたね。本当は2003年の10月26日からだったのに各方面からのクレームがあったのか一年間延期されて、
2004年の10月26日からその機械読み取り式旅券でなくてはビザなしの入国を認めないというルールが導入された。
これは全世界的な動きになると思った。
もう冊子に写真を貼り付けただけのパスポートではグローバル社会に通用しないってね」
「加えてちょうど1年後にはデジタル写真ではない旅券のビザなし入国を
認めないことになっただろう。徹底したかったんだな」
「以前からアメリカはIC旅券にこだわっていたしね。
デジタル写真や機械読み取り式旅券のことも、従来からのシンプルな旅券を使った
偽造パスポート入国をなんとか止めたかったようで、次世代のIC旅券を導入することに躍起になっていた。
これもなんどか延期されたが、2006年の10月26日からはIC旅券でない旅券でのビザなし渡航を拒否した」
「さすがにこの件ばかりは日本外務省の動きも早かった。
一年ぐらいの準備期間があったと思うが、早々と2006年の3月からIC旅券を発行開始したからね。
やればできるじゃないか、とわたし思った」
「本当だ。まぁ良かったのは2006年10月以前のパスポートでも、
機械読み取り式でかつデジタル写真の旅券であれば、
IC旅券を取り直ししなくてもアメリカに入れる、ということに落ち着いたことだな。
これが全員IC旅券を取らないといけない、というルールだったなら
どれだけ旅行業界が、いや、世界が混乱していたことだろう」
「ケン、我々はいい時期にアメリカビザの仕事に向き合えたのかもしれないね。
2001年の9.11から2006年の10月26日のIC旅券ルールまでの5年間で、
一通りの制度変更は終わったと思うよ。
これからは、一歩立ち止まってビザ申請する側に対するサービスを考える時代に入ってゆくと思う。
なんていうかな、その過渡期にビザルール変更の推移を目の当たりにすることができて光栄だったね」
「そうだね。中でも一番光栄だったのは、フレディ、この5年の変化を共有できる君という友人がいてくれたことだよ」
「それはいよいよ光栄だね!わたしも同じ思いで一杯だよ。
ケン、この5年の間に何度かこの質問をさせてもらったが、今改めて聞かせてもらえるかな。
9.11以降ビザの世界は進化したと思う?
それとも退化してしまったのだと君は思うかい?」
マックスウェル弁護士は口元に笑みを含みながら、悪戯な表情でケンに聞いていた。
「いや、進化だと思うよ!それはフレディ、君の考えと一緒さ。
いつかは変わらなくではいけなかった。
それが9.11という事件が起きて、世界が一変するのと同時に行われただけ。
制度変更でやりづらくなった点は多いけど、以前は2-3週間かかっていたビザ受領が
面接導入によって確実に1週間以内にできるようになった、という進歩もあった。
要は考え様だと思うけど、僕は進化だと思うね」
「ありがとう、ケン。わたしも移民法の弁護士としては複雑な意見もあるが、
一人のアメリカ人、ひいては一人の人間として、この変化は進化だと思っている。
インターネットの普及、情報過多のこの時代では悪事を働こうとすればより簡単にできるようになってしまった。
この5年の変化は一見、善良な市民に対する嫌がらせのような観があるにしても、
その裏で、公平な審査を早く、確実にできるような制度ができあがった。
つまり、もう世界はなぁなぁの関係ではいけないってことさ。
それを良くとらえるひともいれば、悪くとらえる人もいる」
「これからのビザの世界はどう動いてゆくのだろうね。世界がアメリカを追随するか。
それとも他国はアメリカの先例を否定するか。
今はまだ、アメリカだけが一人でずっと先に行ってしまっている状況だ」
「本当だ。世界は、人間はどっちに行くのだろうね。
善悪説を取ってのアメリカか、善良説を取っての他国か。
ビザの世界のルール変更からは今後ますます目が離せないな。
フレディ、これからまた君と話す機会が多くなりそうだね!」
「歓迎だよ、ケン。これからtokoもいる。楽しくなりそうだ。
まずはいっぱい話して喉が渇いた。
そろそろアメリカ大使館に行く時間だろう?
今日ぐらいはいつもの赤坂のカフェで紅茶でも飲みに行こうよ」
アメリカビザなんて小難しい話題を楽しそうに語っているケンと、
マックスウェル弁護士を見て、わたしにはこの二人の5年間に色々なドラマがあっただろうことが手に取るように分かった。
これからこの会社で色々仕事をしてゆくなかで二人から話を引き出してみるのも面白いな、
と思いながら、ジャケットを取りに席を立った。
米国政府の主な発表
2003年08月01日
ビザ本人面接制度を導入 (ただし、面接免除対象あり)
2004年01月05日
ビザ保持者に対して入国時に指紋採取・写真撮影の義務付け
2004年07月01日
実質上、全ての申請者に対して本人面接制度を導入
本人出頭の際に指紋のスキャン制度を導入
2004年09月30日
ビザ免除プログラム渡航者に対して入国時に
指紋採取・写真撮影の義務付け
2004年10月26日
機械読み取り式ではない旅券でのビザなし入国を認めない
2005年10月26日
デジタル写真ではない旅券でのビザなし入国を認めない
2006年03月20日
(日本政府はIC旅券の発行開始)
2006年10月26日
IC旅券ではない旅券でのビザなし入国を認めない
ただし、以前に取得したパスポートで機械読み取り式/デジタル写真の
旅券であれば、 日本人はビザなしでの入国が可能)
飛行機の中でずっと席に座っていると物思いが進む。
新幹線でも車の運転中でもそうなのだが、とりわけ乗客たちが眠る薄暗い機内は時間が止まったかのようで、
わたしの物思いは際限なくぐるぐると回ってゆく。
アメリカ移民法改正についてのセミナーを終えて、トウキョウへ変える今日のフライトでのテーマはこうだ、
「世界平和とビザの簡素化」
トウキョウでアメリカビザの仕事をしてもう十数年、
思いがけずすっかり長く続いているがある旅行会社へのコンサルティングの中で、
印象深い日本人としばらく前から仕事をする機会に恵まれた。
その日本人はアメリカビザ業務の経験が長く、今更基本的なことを
わたしが教えるまでもなかったのだが、実務的なことを離れてもっと広い視野、
世界を取り巻く時代環境の中での、現在のアメリカビザという観点から話ができる貴重なわたしの相談相手になってくれた。
当初はわたしの弁護士事務所と彼の会社としてのビジネス契約だったのだが、
それも彼のスキルからしてすぐ不要だということが分かり、わたしは彼の上司に話をして契約こそ継続しなかったのだが、
今ではわたしとその彼個人が純粋な「友達」として互いに就労ビザや留学ビザの情報交換をする間柄にある。
そんな彼、名前はケンといいシアトルに留学経験のあることから英語も堪能な紳士なのだが、
先週彼から届いたニューイヤーメールが強烈に印象に残った。
「Dear Mr. Maxwell, 明けましておめでとうございます。
昨年は有意義な情報交換をさせてもらって感謝しています。
変わってゆくアメリカビザを互いに今年も追ってゆこう。
願うのは世界平和とビザの簡素化さ。今年もよろしくお願いします。2003年元旦」
ケンのメールにはそう書かれていた。感謝しているのはこちらもだが、
わたしが心を打たれたのは「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」の言葉だ。
全く賛同するよ。ケンの肩を叩いて大声でそう呼びかけたい。
このビザの世界で仕事をしていて、9.11から始まった一連の
アメリカビザ制度変更の話はわたしに移民法弁護士という職業上の立場を越えて、
一人のアメリカ人として、いや、一人の人間として世界の動向を考えさせるものだった。
わたしが思うのはアメリカ西部開拓時代の原生林のことだ。
アメリカ東部に定住してきた我々ヨーロッパ人の先人たちは独立以後に新天地を求めて西へと向かって行った。
その開拓の過程で先人たちは原生する自然を野蛮として、
それを開拓して西洋文明の光を入れることこそが正統だとして原生林を伐採した。
森林が、アメリカバイソンが、リョコウバトが人に追われ、
豊かだったアメリカの原生林風景はこの四百年ですっかり貧しくなってしまった。
そんな歴史がわたしのアメリカにはある。
ビザの話とどう結びつくのかと言えば、その原生林を切り開くという行為が
当時の社会では善しとされた、人々の意識の中で当然とされていた、ということだ。
「当たり前」「仕方ない」と考えた先人たちのしたことは時代を経た今からすれば大きな過ちだった。
そういう過ちの連鎖を防ぐためのキーワードに、このケンの言葉は成りえるとわたしは思ったのだ。
テロリストからアメリカ人を、アメリカで住むあらゆる人々・生物・無生物を守る
という大義名分を掲げれば、なるほど、ビザの厳格化も仕方ないものと
誰もが思うことだろう。しかしそれは「アメリカを開拓することこそ善」とした19世紀初めの意識と共通するものがないかな。
ビザを厳格化したところで、本物のテロリストなら必ずその上をゆく。
さらに厳格化してもやはりさらにその上をゆかれるだけだろう。
先人たちは富を求めて西へと向かった。
アメリカは安全、もしくはその裏で同じように
石油の利権や国内経済成長という富を求めて次のステージへ向かおうとしている。
本当の世界平和のために解決をするのではなく、
既に富める大国・アメリカが自国の利益を最大限優先させようとする範疇での交渉が進められているのだ。
アメリカビザは世界を先駆するのだろうか。
いや逆に、他国の貧困を優先させたアメリカの行動の方こそが、世界の評価を獲得する意味あるものではないのだろうか。
数百年後、このアメリカビザのセキュリティ格上げという決断が
どう世界に受け止められているのか、それをわたしは遠い天国から見ていたい。
わたし個人の訴えがアメリカを、世界を変えられるとは思えない。
それでもやはり、このケンの言葉のように可能な限り伝えてゆくのもわたしの使命だと考える。
「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」
ケンとともにそう言葉を発して、今のアメリカビザに向き合いつつ人の心が闇に傾かないよう見守ってゆきたい。
ケン、君の言葉は至言だと思うな。
明かりが灯り、人が起き出す。わたしは回想から覚めて頭を上げた。
CAが朝食をサーブし始めた。トウキョウ到着はもうその先だ。
ナリタエアポートのイミグレーションで各国からの人々が並んでいる光景を目にする。
それは世界中どの空港でも変わらない。
今はそれなりに上手く流れているような気はするが、これがいつか不信に不信が対峙する、負の連鎖にならなければいいと思う。
わたしの番が来る。
リエントリーのページを開いてパスポートをオフィサーに渡す前、一言心の中で祈りを捧げた。
「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」
ケン、やっぱり君の言葉は至言だと思うな。