岡崎ビスタライン、惹かれるものがある。
3kmの直線、それは岡崎城と大樹寺を370年もつなぎ続けている歴史的な眺望。
超望遠レンズ(35mm換算で810mm)で大樹寺の境内からビスタラインを望めば、ほら、岡崎城が頭を出した。
マンションが、電線が上空に飛び出す現代でも、ビスタラインはしっかり確保されている。
地元の方々が長年守り続けてくれた伝説、今も学校にはこんな張り紙が。
眺望を遮る建築物などはビスタライン上には配置されなかった、法で強制したのではなく、岡崎市民の善意。
誰も動かなかったら、今頃とっくに高層マンションあたりに視界を中断されていただろうに、岡崎市民の呼びかけでビスタラインは守られた。
大樹寺の三門、総門を振り返れば、大樹寺の本堂が見える。
徳川家の祖先、松平家の菩提寺・大樹寺を敬う気持ち。
三代将軍・徳川家光の命でこのビスタラインは創られ、今日に至る。
上の写真のように、大樹寺の本堂前からビスタラインを見るのだ。
肉眼では見ることがちょっと難しい世界、携帯電話のカメラで写すこともムリだ。
特殊なカメラとレンズを使えば、確かにこうして岡崎城が見えてくる。
電線には遮られるとは言え、ビスタラインは現代にも健在だ。
不可思議な聖域である、神君家康公を崇める三河の民たちの願いが、ここビスタラインにある。
ビスタラインは大樹寺と岡崎城を繋ぐ線。
古の岡崎城主たちは松平家(徳川家)の祖先をリスペクトするため、
岡崎城天守閣から大樹寺を真っすぐ拝むことができる空間を確保したという。
その意味は分かったのだが、私は別のことを考えてしまう。
戦国時代に大名たちが戦での通信手段として使った狼煙(のろし)。
3kmの距離にある大樹寺→岡崎城間は短いが、5kmおきにネットワークされた狼煙の距離に見立ててみよう。
見える、視力1.0以下の僕でも肉眼でなんとか岡崎城が判別できる、電柱に邪魔されていても見える。
走っていくにはちと遠いが、ここビスタラインで狼煙を上げたならすぐ分かる。
伝えたい情報が何より早く伝わるのだ、狼煙なら。
大きく言えば、松平家の歴史ロマンとかは便宜上のこじつけであって、軍事上の情報伝達スピードを上げるために維持されたのが、ビスタラインの本来の意味であろうよ。
この感覚だ。
光通信とか望遠鏡のない時代で、自分の五感というか視覚を使う。
もう絶滅しかけた生の感覚、それがビスタラインに通じるものだと思い、私は目を凝らして岡崎城を見つめていた。
見えるよ、僕にもビスタラインが見えているよ。