何が八王子城を「日本100名城」にしたか?と考えた時、私は御主殿跡一帯の遺構の保存状態の良さだと感じた。
本丸跡や山頂に向かう山道に目立った防御施設が残っている訳ではない。
北条氏照の執政の場や居住地だった御主殿跡が今見てもリアル過ぎること、これに尽きるのかな。
曳橋を越えて御主殿跡へと入る前の石段と石垣、機能性ではなく権力を象徴することに注力している。
大手門から曳橋へとつながる古道の手前にも、曳橋と堀切があった。
真っ直ぐで平坦な古道が長く続く、何かとんでもないものがこれから現れる予感と伝えてくる。
城郭として八王子城の規模の大きさを示すものとも感じた。
曳橋と堀切が見えて、その向こうの小高い丘が御主殿跡。
最初からこんな地形だったとは考えにくいから、人力による土木建築で作ったのかな。
この曳橋が壊されたら、攻め上がる人たちはどうやってあの御主殿跡まで辿り着けるというのか。
御主殿跡の足元の石垣、わざと段々にしているのでしょうね。
御主殿跡の門前から曳橋を見る、これでは訪ねてくる客人は八王子城の威厳に出鼻をくじかれてやってくることになる。
この石段を上がって、私もそう感じた、最初からアウェイ感、ちょっとした敗北感を持って御主殿の門をくぐった。
御主殿内は平地が広く続いている、その奥の方から御主殿の入り口の門を見たところ。
整列した石は建物の礎になっていたもの、その数が多く、保存状態がとても良い。
この石も当時そのまま、手を当てて往時に想いを馳せた、八王子城は廃城されたままの姿でずっと残っていたのだ。
御主殿の案内看板を読み、空想しながら歩くとなんだかリアルに当時の人々の営みを感じることができた。
これだな、この感覚が他の城址と比べても優れている、遺構の良好な保存状態こそ八王子城の魅力。
御主殿で感動に包まれたあと、本丸跡を訪れようと八王子城山へと向かう、445mの低登山だ。
途中の金子丸跡、ここを曲輪として守備を固めていたのだろう。
城山としては規模が大きいのは感じたけど、特にはっきりした遺構が残っているわけではない。
山頂付近で一気に視界がひらけて、スカイツリーまで見渡すことができた。
関東平野を見渡すことができる要地にあった八王子城。
八王子神社のあたりは曲輪になっていて虎口や門で固められていたのだろう、狭いながらも標高が高いから攻めるのは大変。
八王子城の本丸一帯、ちょっとした平地があるのみ。
滝山城と違って、明らかに城山の山頂にある本丸だから、守る方は上から鉄砲や矢で攻撃できるし、守備に適した城なのは分かった。
滝山城から八王子城に移る理由が「万を超える大軍に攻められた時、平山城の滝山城では守りに適さない」だから
山城で、高地から守れる八王子城が有利だったことを感じることができた。
やはり御主殿跡を歩いて感じることができた当時のリアルな感覚が、八王子城最大の魅力だよ。
八王子城山に、当時の山城らしいものはほとんど残っていなかった。
この一帯全てを八王子城と総称するから、その規模感の大きさには圧倒された。
八王子城合戦で、北条氏照の本隊が乗って籠城していたら、八王子城の防衛力を活かした結果はどうなっていたのかな。
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