詩的日記

イエローストーン・グランドキャニオン観光、見習い芸術家の冒険5話

8月27日(火)

  目覚めた瞬間に天気の悪さを感じた。これは困る。朝からいきなり困る。今日は冒険の他にウエストイエローストーンまで帰らないといけない。マウンテンバイクを返す期限は今日だ。今日の冒険目的地イエローストーングランドキャニオンまでの往復84kmに加え、ウエストイエローストーンまでの23kmで合計107kmの道のりだ。今日も昨日同様にハードスケジュールだ。

  テントの外を覗くと本当に天気が悪かった。雨は降っていないが、太陽が出ている気配がない。いつか雨になってもおかしくないような雰囲気だ。出発前にできる限りの帰り支度をしておくのが得策と判断して、今日の支度を手早く済ませると、テントに残す荷物もある程度まで整理をしておき、帰ってきたらすぐにテントをたためる下準備をした。食事も取り準備は万全、あとは冒険あるのみ。キャンプ場を出て走り出すと結構いい天気になってきた。あれ、心配することなかったかな。今日も変わらずイエローストーンの大自然は僕の味方だ。

  まずは昨日と同じ道をノリス分岐点まで進む。1時間ちょっとかけてこの疲れる道を制覇し、北と東に別れる分岐点を昨日とは違う東方向へ取る。

  さぁ、今日は一体どんな道が僕の相手になってくれるのかな。昨日マンモスホットスプリングスで究極の坂をクリアしてしまった僕だぞ、そこら辺の程度の知れた坂では相手にもならない。余裕を持って乗り込んだ僕だったが、これまた意表を突く道が現れたではないか。

  角度は大してないくせに、妙に長~い登り坂。本当に長~いヤツで、僕は40分間もそれをず~っと登り続けることになった。この攻撃にはさすがの僕も閉口した。こんな攻め方があったのか。身体を負かす前に心を挫けさせようとしている坂なのだな。

君の攻め方は全く正しい。だが僕だってそう簡単には負ける訳にいかないんだ。ここは一気に突破させてもらおう。君が劣っているのではない。ただ、冒険に対する僕の気持ちが特別不動なものだったということだ。僕の心は決して折れることなく、40分間の連続攻撃を当たり前のように耐え抜いた。

  そうはいっても、登り終える頃にはかなりの消耗を感じていた。道がようやく下りになったのを見て、たまらず一休みする。道路脇に座り、落ち着いて辺りを見渡すと、マウンテンバイクの上からでは気付かない景色が広がっていたではないか。

     朽ちてもそびえる枯木たちは

       未だに捨てられぬ野性の証明

                 ~1988年の火事の後、今も残る木たちに

  痩せた森はノリスから続いていた。ふと、その枯れ木たちが野性という意志を発していることに気が付いた。昨日も一昨日も似たような景色を見ていたのに全く気が付かなかったのが不思議なぐらいにはっきりした野性がそこの森から主張されているのだ。

  山火事で不毛の土地にされながらも、決して野性を忘れることのない連中がいる。葉が全滅し、多くの枝を奪われても幹はまだしっかりと命をつないでいる。どう見てもこの燃え尽きた木に未来はなく、その下からわずかに芽を見せている低木にこそ未来がある。しかし、この枯れ木たちは未だに野性を捨ててはいない。そのことに初めて気が付いた。

  彼らは小さな緑に自分たち一族の未来を託し、今の彼らにできる精一杯のことをしている。緑という財産がない彼ら一人一人がばらばらでいても何の効果もないことを知ってか、黒ずみのようになった身体を寄せ合うようにして黒い林を作っている。ライバルたちが近くにひしめき合っていれば、当然栄養も限られた分しか自分の幹に行き渡らないことだろうに、この枯れ木たちは自分を犠牲にしても次世代の緑たちに未来を託そうとしているのだ。

 彼らには突風から小さな緑を守る役目もある。彼らは葉を持たないから太陽の光は下の緑まできちんと行き渡るだろう。黒い長老たちは今までで蓄えた長年のノウハウを後進に伝え、一族を絶やさないように務めているのだろう。

  その意志の強さ、団結力の強さに僕は心を打たれていた。森村誠一さんの「野性の証明」とはまた方向性が違うとは思うが、言いたいことは大体同じだと勝手に判断して「野性の証明」という言葉を拝借させてもらった。枯れ木たちの無言の主張を肌で感じてすぐに浮かんだ言葉だ。自分の道が閉ざされたら、他の誰かに希望をつなげ、そのサポートに全精力をつぎ込む。若い僕にはまだ分からないが、誰にもいつかはそんな役目が回ってくるのかもしれない。忘れてはならない教訓だと思った。

  登りが終われば下りが待っている。坂の頂上からはなかなかのスピードを出すことができて楽しかった。マディソンから2時間半。枯れ木の所でつい興に乗り30分以上も休んだから実際は2時間とかかっていない。さぁ、今日の冒険の場所であるキャニオンビレッジに到着したぞ!

  イエローストーンにもグランドキャニオンと名付けられた大峡谷がある。アメリカの国立公園で最も名前が知られているアリゾナ州のグランドキャニオンと同じ名前だ。アリゾナ州のグランドキャニオンはアメリカを代表する景色として様々なメディアに紹介されている。そのグランドキャニオン国立公園も何日か後に冒険をする予定だから、今日はその前座だと思えばいい。

このイエローストーンで見たかった場所は一昨日のオールドフェイスフルと、昨日のマンモスホットスプリングスの2つだ。正直、今日行けそうな所が距離的にここしかないから来たまでだ。ガイドブックを見る以上余り期待はしていない。アリゾナ州のグランドキャニオンへ行った時により感動をするための布石を敷いておくぐらいの気持ちだ。

  インスピレーションポイントという大層な名前の付いた場所がまずは登場してきた。下り坂を流れるように進み、駐車場でペダルを止める。あぁ、でもどきどきする。周りのから観光地特有のうきうきとした空気が流れてくるのだ。期待していなかったくせに、僕は今日の冒険に心を踊らせ始めていた。

  きっと、初めの一目に感動が凝縮されるのだろう。そう思ったので僕はなるべく前を見ないようにと下を向いて歩いた。あぁ、でも我慢できないものだ。視界の隅に景色が映ると誘いに負けて顔を上げた。するとそこには思いがけない感動があった。

  ――感じている感動の種類が分からない。それがどんな感情なのかが分からない。即答できない感動。僕はつい考え込んでしまった。

  あぁ、大峡谷とはよくも言ったものだ。僕の常識をあざ笑うレベルの景色がそこにあった。山が何かに引き裂かれている。不動のはずの山が何かに削り取られて谷間があいている。仕掛け人は谷間のずっと下で蒼く流れる細いイエローストーン川だ。この景色の主役は山と谷で、川は脇役に過ぎないはずなのだが、飾りであるはずのその川が主役の谷を削り取ったようなのだ。

  やはり形の無いものは無敵だ。まずはそう思った。しかし、これはその程度の言葉で片のつく問題ではない。今日はその一歩先の解釈に到達したい。

  この風景は、力の王道をいっており圧倒的有利であるはずの山が、奇策・一点集中の川に完敗しているという大敗の様なのだ。これは、戦略の尊さを世に説いている景色なのか。ソフトはハードを超える、という教訓なのか。はたまた、常識は常に常識で有り得ない所が常識だ、という理を叫んでいるのか。

  無形。一芸。一点集中。それがこのイエローストーン川の特性を示すキーワードだ。それにしてもこの無限の空間があのちっぽけな川によって生み出されたとは驚き以外の何物でもない。あの川は自分の大きさの一体何倍の仕事をしているのだ。

  さっきまで期待していなくてごめんなさい!まさかこんなに素敵な方だとは思ってもいなかったのです。己の不明を認めるから、どうか許して下さい!

昨日までの延長線上で自分なりに川の能力を解析していた僕。あぁ、人生は広い。次の瞬間にはまた違う世界に激しく魅せられている僕がいたではないか。それは本当に意外なことだった。まさかこんな所で、まさかこんな相手に対して感じる感情だとは絶対に予想できないことだ。神ですら予想出来ないこと。僕は、恋をしていたのだ。

  指を伸ばせば、対岸の谷肌に触れてしまいそうな気がする。いやいや!目を凝らして現実を見てみよう。あの崖は一体何km先にあるのだ。計り知れない空間が僕と対岸の間にはある。あぁ、これは偉大な存在だ。何もない空間ではない。何かがある。それがすぐに分かった。見た目には空白のようだが、ここには大きな教訓が幾つも漂っている。

  この空間になら吸い込まれてしまってもいい。理由もなく飛び込んでゆきたい。空間は魅力たっぷりの誘惑で僕を手招きしていた。あぁ、そうだね。もしもここからDiveしたら、僕の未来は失われることだろうが、一瞬の究極の快感を得ることができるだろう。

その快感はきっと凄いぞ。長い時間をかけて創り上げられたものを一瞬で破壊する時のような、危ない快感以上だろう。暴力・SEX・トライブの快感では比較にならないはずだ。ジェットコースターが落下する瞬間の快感をより濃くしたようなものなのだろう。程度の知れた快感を、もう快感とは思わせない程のものだろうと想像できる。

空から飛び降りて死ぬのは、余りの快感に身体が受け止められる快感の限界を超えてしまったからだと思う。物理的な衝撃によるダメージで人が死ぬ訳ではない。数字を超えた快感のせいなのだ。新説のように聞こえるだろうが、きっとそれが本当の理由なのだよ。

  僕の両目は空間に釘付けだ。今までを思い出してみれば、この冒険旅行で出逢った一見無に見えたものたちの多くが、実は有の中身を伴っているものだった。そうだ、油断してはならない。この空間には何かがある。何かが、あるんだ。これが冒険旅行だ。内面では矛盾になっていない外面の矛盾をここでも感じることができると思う。

  あぁ、僕の心が何かを察知し始めた。空間を見続けている内に、心が、心が静まってゆく。穏やかに、優しくなってゆく。普通だった瞳もサングラスの奥でにこやかに微笑み出し、優しい光が蘇る。

  ――そこで、僕はようやく気が付いたよ。これは、あの恋の香りだった。

     遠い景色、果てしない空間、心の穏やかさを取り戻す。

           淡い恋の記憶、忘れかけていた心の置き場

     体の力が抜けてゆく、懐かしいこの感情

           これはあの恋の香り

                        ~インスピレーション・ポイント~

  手すりの上で両腕を交差させ頭を乗せる。僕は景色に見惚れていた。よく似ている。本当に似ている。信じられないよ、日本のあの場所とは何も関係なく、遥かに離れたこんな場所で、あの頃に限りなく近い感情を覚えるだなんて。今僕にある感情は、初めて愛した女性と一緒にいる時に感じた優しい気持ちとまるで同じなのだ。この感情はまるであの頃の恋だ。もう随分と昔の話だ。だが、今も確かにこの胸底に仕舞い込んである永遠の恋物語。――あぁ、どんな理由であなたがここにいる?どうして、ここに恋がある?

  あの日の恋よ、まだこの私を憶えていてくれたのですか?

  僕は大峡谷の空間に恋をした。久々に恋をした。こんな気持ちなんて忘れていたよ。別の新たな恋をしたのか、それとも昔の恋を再発させたのか、どっちなのだろう。そこははっきりしない。

君に逢えなくなってから、もうどれだけ感情の乏しい歳月が流れていたのだろう。人生を生き長らえていればきっといつかは再会の機もあるだろうとは思っていたが、まさかこんな場所で似たような気持ちを覚えるだなんて、まるで想像できないことだ。あぁ、この冒険旅行では僕の常識を超えることが重ねて起こる。きっとこれだけではない。これからもだ。そんな中でも僕は真っ直ぐ前だけを見て冒険を続けて行こう。

  感動する時間があれば、去る時間がある。久しぶりに見つけた大切な感情だろうとも、次の冒険のためにはそこから離れなくてはならないのだ。時間を空けたリフレインか、新たなフレーズか、本当に分からなかったが僕は純粋に嬉しかった。まだこの自分自身に恋愛という感情が残っているんだ!それが確認できたのだから。

ここ数年間、恋愛感情なんて忘れていたよ。恋愛の火がもう永遠に消えているとまでは思っていないが、恋に対して僕は投げやりになっていたと思う。あんな感情を再び燃やすまでには長い長い時間が必要だろうと勝手に諦めていた。

  恋愛の情は僕の心にまだしっかりと生きている。一時でも取り戻したことを誇らしく思う。まだ死んではいない、まだ凍り付いてなんかはいない。そうだ、これからの人生でようやく本当の恋愛を体験できるのだから!

インスピレーションポイントよ、ありがとう。あなたのその空間は、僕に明るい光を吹き込んでくれた。嬉しかった、僕は嬉しかったよ。いつの日か、僕が誰かに新たな恋をした時にあなたのことを思い出すことができるだろう。その日までさようなら!その日まで僕の血肉となって見えずとも身体の中に流れていて下さい!

  恋に別れはつきもの。冒険旅行も同様だ。惜しみつつも、僕は思い切って場所を変える。マウンテンバイクに跨り、川の上流方向に走り出した。

  山の起伏が地平線の奥から波のように続いている。それが途中でぶつ切りになっている所が、この景色の気持ち良さだ。この山並みを豪快に、大胆にぶつ切りにした張本人がそれ程大きくない川だ、という事実に妙味がある。力同士の争いでは絶対的に不利な横綱に向かって、独自の奇策を繰り出して見事勝利を収めた業師を見ているかのような爽快さがある。

  それだけでも充分に魅力のある景色なのだが、ここのサービスにはまだ先がある。インスピレーションポイントから川の上流方向に視線を進めてみよう。そこにはロウアー滝と呼ばれる落差94mの大滝があり、このグランドキャニオンにまた独特の興を付け加えている。

 僕は上流へとマウンテンバイクを走らせた。しばらく行くと、ロウアー滝を絶好の位地で眺めることができるルックアウトポイントという場所があった。

  ロウアー滝も、一人の偉人であった。これ程見事な統括力を発揮しているヤツはなかなかいないだろう。インスピレーションポイントからでは分からなかったが、ルックアウトポイントまで来て滝を間近で見ていると彼の芸術的な仕事ぶりにすぐ気が付いた。

  彼はこれ以上ないという程、地の利を得ていた。上から流れてきた大量の川の水を、山肌が天然の水門の形になっていて囲い込みをしている。その囲いから狭い口が自然に造られていて、川の水が吐き出されている。正に天然のダムだ。これは凄い。抜群の才能だ。彼は混乱を防ぐために己の命を張っている。

誰だって、誰かから忠告されない限り自分自身は正しいものだと思い込んでしまうもの。ロウアー滝は、上流から流れてくる水たちに対して一旦冷静になれ、と注意を促しているのだ。水の勢いを考えればリスクの大きい行為だ。水を制止しようとする前に、己の身体が削り取られてしまうことを覚悟しなければならない。彼の身を呈した訴えに心を動かされ、川の水は冷静さを取り戻す。あるいはイエローストーン川の逆鱗に触れ、ロウアー滝の想いは届かず、水の流れは怒りで増幅してゆくのかもしれない。

ロウアー滝下流の水の色を見れば、結果はすぐに分かる。滝から落ちる水たちは濁りのない白色になっていて、滝壺からの流れは穏やかに再スタートさせていた。冷静になった川の水は美しいのだ。

  川の守り神はロウアー滝だけではなかったようだ。更に上流に、落差33mのアッパー滝という兄弟がいたではないか。この兄弟滝は効率良く仕事を分担していた。

激流となって下ってきた川の流れにまずアッパー滝が全身でぶつかってゆく。アッパー滝の役割は激しい勢いを軽減することにあり、アッパー滝一人で川の流れをコントロールしようとしているのではない。ただし、アッパー滝によって勢いを弱められた水の流れなら、ロウアー滝がしっかりと受け止めることができる。アッパー滝と同様、ロウアー滝一人だけでも川の流れはコントロールできない。アッパー滝とロウアー滝、両者がしっかりとそれぞれの働きをすることで、川の暴走を見事に食い止めているのだ。

  2つの天然のダムが織り成す絶妙な技に感心して、僕はしばらくルックアウトポイントで時間を過ごしていた。滝ばかりに気を奪われがちだが、このイエローストーン大峡谷の岩壁もまた壮絶なものだ。山を露骨に削り取って、谷底へ急角度で下っている。正に絶壁、正に地獄への滑り台。場所場所によって色の違う岩肌は美しいのだが、全体から受けるイメージは地獄だ。人間のみならず、自然界のどんなものでもここで足を滑らしたが最後、原形を留めることは不可能だろう。天下の険、ここに極まる。

斜めに切り立った岩壁の途中の土地など何の未来もない僻地のはずだろう。しかし、そんな場所にも針葉樹が生きているのが見える。グランドキャニオンも凄いが、自然も凄い。生命力の眩しさに僕は脱帽する想いだ。

  イエローストーンの名の由来は、この大峡谷の肌の色だと聞く。谷底を流れるイエローストーン川が15万年の時間をかけて峡谷を浸食し続けた結果、このイエローストーングランドキャニオンが出来上がった。東西38kmに及ぶ黄色い絶壁。川から発生する硫黄混じりの熱水と蒸気により岩壁は黄色に染まったのだが、昼の日差しを受けた壁は薄いピンク色に染まっているようで、黄色には見えない。いずれにしろ尋常な色ではないことは確かだ。

  このグランドキャニオンのことをもっと知りたい。僕はそう思っていた。今いる場所はノースリム側だが、この反対側のサウスリムにはアーティストポイントという、なんとも僕を誘うかのような名前のポイントがある。アーティストポイントと名付けられた場所があり、そして見習いではあるがアーティストが同じグランドキャニオンにいる。これは、同じアーティストの義務として、幾ら時間がかかろうとも行くしかないでしょう!

  対岸に行くには更に上流へ進んで、橋を渡らなければならない。マウンテンバイクにとっては辛い山道だ。それでもアーティストの一言にとりつかれてしまった僕だ、アーティストポイントが僕にとって本物であれ偽物であれ、アーティストの名を冠する者同士、対面しなくては一生悔いが残る。僕を走らせる、アーティストの名。あぁ、それにしてもなんという気ままな冒険旅行なんだろう。やはりツアーを捨てて良かった。僕は改めて実感するのだった。

橋を渡り、下り坂が続く山間の道を軽快に飛ばした。アーティストポイントの駐車場でマウンテンバイクを降り、僕はワクワクしながら歩き出す。ノースリムからは見ることができなかった崖、つまりノースリム足元の崖はここからでしか見ることができない。サウスリムから見ることで、芸術家の豊かな創造力を思わすような色に見えるのだろうか。きっとそうだからこそアーティストポイントという大層な名前が付けられたに違いない。ここからは何が芸術的なのだろう。ロウアー滝だろうか。全く別の何かだろうか。まだ想像がつかない。見習い芸術家の期待は膨らむばかりだ。唯一間違いのないのは他の観光客のためにある場所なのではなく、見習い芸術家であるこの僕こそが挑戦するべき場所であるということだ!

  しかし!実物にお目にかかるもそれ程の感動はなかった……。インスピレーションポイントのあの感動と比べれば感動とは呼べない代物だった。おかしいね、確かにこのアーティストポイントからのノースリムの崖は見事に美しいピンクに染まっていて、ロウアー滝とは真正面から堂々と向き合うことができるのに。そんな場所でも何故か僕には大して感動のない時間だった。

きっと僕にとってはインスピレーションポイントが大き過ぎたのだろう、と自分に言い聞かせてみる。そうだね、あれは久しぶりの恋だったから感動の桁が違っていたのだ。結果としてアーティストポイントの印象はインスピレーションポイントの恋に打ち消されてしまったが、久しぶりの恋情以上の衝撃がある訳がない。これはアーティストポイントが悪いのではない。仕方のないことだ。

  サウスリムからノースリムへの戻りは、登り坂のみの辛い道中となった。バッファローがそこらへんに沢山いる。危険だと聞いているが、平和そうに草を食む姿をあちこちで見続けているせいか、油断はしないがもうそんなに怖いとは思っていない。元々この動物は平和の固まりで、稀にだけ狂暴になるのだろう。なんだ、人間と同じではないか。

 1960年代にはこのバッファローが人間の乱獲により数十頭にまで激減してしまったと聞く。今はこうしてあちこちで見ることができるし、実際僕は園内で数十頭は見たと思う。人間は、自らの業の深さを反省することができる生き物なのだろうか。そう本当に信じてしまっても良いのだろうか。僕にはまだはっきりとしたことは言うことができない。

  元来た橋を渡るとインスピレーションポイントへの道とは別の道を通って一気にキャニオンビレッジまで出た。もう今日の冒険は終わりだ。最初に一番の感動に遭遇してせいか尻つぼみになってしまったが、素晴らしい冒険をやり遂げたと思う。ありがとう、イエローストーングランドキャニオン。一時だろうとも、僕の恋愛感情を呼び覚ましてくれて本当にありがとう。どの感動にも勝る、本当に今までのどの偉人たちにも勝る、大きな喜びだったよ。あなたのことは僕の血として肉として僕は心に残し続けるのだろう。これからも僕を支えて下さい。グランドキャニオンよ、さらばだ!次に恋した時に僕はあなたを思い出すだろう。

  グランドキャニオンのビレッジに着くと、まずはツーリストインフォメーションセンターでグレイラインツアーの電話番号を聞いた。明日、お隣のグランドティトン国立公園へツアーバスで行ってみる案も試してみたくてね。ダイヤルを回してみると、どうやらここからでは州を跨ぐせいか短距離通話では繋がらないらしく、あと3ドル入れて下さいとの冷たいメッセージが返ってきた。これでは1回の電話に10ドルはかかってしまう。ちょっと条件が悪い。ガイドブックで見る限りではグランドキャニオンにそんなに引かれる観光ポイントもなかったし、しかもバスツアーだし、ツアー料金もかかることだし、予約の電話も正直面倒だ。その瞬間、別のプランが決まっていた。グランドティトン行きは断念し、代わりにソルトレイクシティへ行こう。これでまた次の情熱の行方が決まったね。さぁ、これでまた冒険ができるぞ。

  今日の冒険も終わったし、明日からするべきことも決まったし、気楽に食事でもしよう。ビレッジ内のセルフサービスレストランでハンバーガーを食べていたら、僕の汚い格好に同情したのか、店員のお姉さんは僕が飲んだ2杯目のレモネードを忘れたのかわざとなのかレシートに書かなかった。僕は当たり前の顔をしてキャッシャーの別のお姉さんに2杯飲んだ旨を告げ、しっかり2杯分払う。サービスしてくれたお姉さんの好意を踏み躙った訳でもなく、僕自身にも嘘がない。傍からは変な行動に見えるだろう。イエローストーンの堂々とした景色に影響されたからか、僕は堂々としたい気分だったんだ。

  僕にとってはこのグランドキャニオンがイエローストーン国立公園の中で一番印象が強い場所だった。恋愛感情を久しぶりに取り戻せたから、という個人的な理由だったが、とにかくとても素敵な場所だったと思う。最後の冒険の地で、大して期待もしていなかった場所で最大の感動を得る。この冒険旅行は何でもありのサバイバル、感動は思わぬ所に埋まっている。予想は当てにならない。とにかく自分の目で見て、頭で感じることだ。

  さぁ、テントに帰ろう。今日は帰ってからもまだひとつ仕事があるから、ここで悠長にしていられない。ありがとう、グランドキャニオン!僕は本当に感謝しているよ!またいつか逢おう!

  帰り道は楽しかった。最初だけ登りがあったが、あとはず~っと下り坂が続いたからね。気分良く坂を下っていると、今日は結構バイクリストとすれ違った。仲間なので必ず「Hello!」と声をかけ合って通り過ぎる。ここではそれがルールだ。スピードを楽しみつつ大急ぎで帰るとマディソンまで2時間とかからなかった。

  あと少しでゴールという頃に雨がちらつき出し、一度止まってポンチョを着込むと途端に雨は弱くなった。マディソンに着いてテントを片付けようとしていると本格的な雨になってきた。その時点で6時、ちなみにマウンテンバイクの返却時間は7時だ。それは僕もふっきれたよ。1日分の追加料金を取られても今夜はここに泊まってゆこう。さすがにこの雨の中ウエストイエローストーンまで帰るのはしんどい。荷物があるから尚更やっかいだし、第一危険な行為だ。次第に雨脚は強くなってくる。僕はテントの中に逃げ込んだ。

  明日はモルモン教の聖地、ソルトレイクシティへの移動だ。バスの時間は全く分からないが、朝一でここを出れば夜には着いているだろう。そして明後日一日を市内見物に使い、夜のバスでまた移動だ。ソルトレイクシティではどんな感動が僕を待ち構えているのだろう。舞台を変え、大自然から街へ出よう。街でも僕の感情は動かされるのだろうか。楽しみにしているよ、ソルトレイクシティ。

  風が強くなってきた。この小さなテントが吹き飛ばされないかちょっと心配だ。明日は晴れてくれるかな?明日のバスの時間も気になる。街に出ても本当に僕は楽しめるのだろうか。色々と考えるが明日のことは明日に任せよう。

雨音がラブソングに聴こえた。あぁ、今日のインスピレーションポイントが思い出される。雨音が奏でる甘いメロディを聴きながら僕は眠りに落ちた。




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