写真(お城) 詩的日記

イオンモール八王子IC北、2026年春オープン/テナント

つまりイオンモール八王子インターチェンジIC北は、八王子市一帯の調和主になるということか。

言い換えればイオン八王子城主、時代は滝山城からイオン八王子城へと移っていく。

2026年春にオープン予定のイオンモール八王子IC北。

もはやイオンモールに求める最優先はスーパーマーケットではない。

AEONのブランドを冠した商業施設に、一体どんなお店が入るのか、その集合体を楽しむ場所。

それに加えて、イオンモール八王子インターチェンジIC北のオープンニングコンセプトには下記がうたわれている。

  • オンライン    → 既存イオンモールのように、実店舗の楽しみ
  • オフライン    → デジタル化による宅配サービス 英国オカドグループと提携し、次世代型オンラインスーパーマーケットを開発
  • 地域との連携 → 道の駅「八王子滝山」や障害者スポーツ対応施設と連携

イオンモール八王子インターチェンジIC北

次世代対応のイオンモールを構築するにあたり、選ばれたのは八王子IC北という土地。

お目が高いとしか言いようがない、八王子市のポジションは失敗リスクが少ないのだ。

  • 東京都内というブランド(一応、八王子市は東京都内!)
  • 八王子市の人口は57万人もあって大都市相当(兵庫県姫路市や栃木県宇都宮市より少し多い)
  • 程良く田舎があり、大学がある(若者がいる)、しかも都内からの週末観光客が超絶狙える

イオンモール建物

一帯の地域インフラを圧倒的なイオングループパワーで盛り上げようとしている。

この野心的な挑戦が成功すれば、そのノウハウを他イオンモールに流用することで、

大都市部の郊外出店戦略は着実に成功するだろう。

成功ポテンシャルの高い八王子という土地に目をつけたイオンネクスト。

難しさはあるだろうが、順当に行けば狙いが達成できそうな予感はする。

イオンモール八王子インターチェンジIC北

国衆というのは戦国時代、地域を牛耳った「地域のお殿様」。

イオンモール八王子インターチェンジIC北の近くにある滝山城には、

大石氏という国衆(元は武蔵国守護代)がいて、一帯を支配していた。

これからは、大石氏の滝山城が、イオンモール八王子インターチェンジIC北に変わるのかな。

滝山城とて時代の推移で手狭になったから、近くの八王子城に引っ越した。

イオンモール八王子インターチェンジIC北が、新しい地域像を描くといいな、

いっときは2025年春とされたオープン、その後2026年春にオープン延期されて今に至る。

時間はかかっても開業して欲しい想いは変わらないよ。

滝山城の写真、遺構が良く保存された連郭式丘城の傑作、北条氏照

堀や馬出など土の城郭遺構は、写真を見てもさっぱり分からなくて、自分の目で見ないと伝わらない。

とはいえ、滝山城の良好な遺構保存状態、そして要塞化された丘城は、後北条氏(北条氏照)の築城技術が伝わる。

大手口と推測される天野坂からの堀底道が、もう恐怖の始まり、こんな所を進軍させられたら両脇の上から狙撃される。

コの字の土橋、これも恐怖の側面攻撃を受ける、それが実感できる保存状態だった。

千畳敷の広さ、平坦さ、ここは役所的な機能として使われていたとか。

千畳敷すぐに角馬出がはっきり残っていた、角の型式とっているのが北条流築城術でしたね。

二の丸こそが滝山城の最重要防衛要塞でしたね、3つの虎口全てに馬出があった。

滝山城の写真

二の丸から本丸への大堀切には引き橋という木橋があった、敵が押し寄せてきたらこの橋を壊せば本丸に入れない。

土と木の地味な滝山城、主役の存在がこの引橋(ひきはし)。

滝山城の写真

尾根続きの本丸→二の丸だから、大堀切と引き橋で防衛機能を作ったのか。

本丸入り口の枡形虎口、冬で下草が少ないこともあって、まぁはっきりと形跡が目視できた。

滝山城の写真

滝山城址本丸は、そんな広くない空間に平坦なスペース、この迷宮のような要塞のゴール。

本丸の神社、こんな場所にも神を呼ぶのが日本人の心。

神社から本丸を見る、北条氏照(北条氏康の三男)がきっとここにいた。

搦手口から一帯を見る、この滝山城の丘陵が小高くなっており、城を構えるにはうってつけ。

二の丸の東馬出のあたり、今でもこの深さと幅の堀なのだから、当時はもっとだろう。

大馬出の広さ、なんだかとても機能的な防衛施設に感じる。

恐るべし滝山城の城郭施設とはっきりと感じた、こんなに計画された大規模な城郭、落城させるのにどれだけの損害が。

東京都八王子市にある滝山城、流石の続100名城、中世城郭の最高傑作と言われることに納得でした。

八王子駅前ランニング写真、幼少期の記憶巡りで走る

いつか、死ぬまでに、必ず1度だけ試そうした八王子駅前ランニングを現実にしたという奇跡。

幼少期、きっと9才までこの八王子で育った私、ところどころに記憶があるが、それを振り返るランニング。

八王子駅前ランニング写真

駅前の丸井跡は他よりすっかり小さなビルになっていた、往時は一番大きいビルだったのに。

周囲をぐるぐる歩いてみたが、OIOIの文字や名残は一切見当たらず、だってもう40年以上前のことだから。

八王子駅前ランニング写真

ここら辺だろうな、階段の先に家族寮があって、屋上にも上がれて、今となっては駅前の一等地ということだけ。

はっきり記憶の残っている幼稚園は現存だった!

日曜日のキン肉マンのテレビとかぶっていて、行くのが嫌だった教会、一人で帰ってきてしまった通園路?

八王子駅前ランニング写真

カマキリとスカート、女子に囲まれていた写真、何故か記憶に残っていることの多い幼稚園。

八王子駅前ランニング写真

小学校前の横断歩道橋はそのまま残っていた、走って会いに行きました。

ほぼ記憶残っていない小学校、温度観察の白い木箱と、逆上がり補助機は当時からあったような。

八王子駅前、当然ながら変わりすぎていて、もう何も残っているものはない。

八王子駅前ランニング写真

友達の牛乳屋さん、記憶のある角だけど、それはもう変わりすぎています。

みの生まれた病院が残っていた、この辺りの地理/距離感覚は正しく残っている。

先進的だったセブンイレブンと町の感覚、今もイメージは変わらず。

父がナマズヒーローだった浅川まで最後は走って行った。

八王子駅前ランニング写真

二度とはこないと思うけど、幼少期の記憶に触れることができた八王子駅前ランニング。

もうずっと昔のこと、45-40年ほど昔のこと。

八王子城の写真スポット・御主殿跡の石垣、遺構保存の良さ

何が八王子城を「日本100名城」にしたか?と考えた時、私は御主殿跡一帯の遺構の保存状態の良さだと感じた。

本丸跡や山頂に向かう山道に目立った防御施設が残っている訳ではない。

北条氏照の執政の場や居住地だった御主殿跡が今見てもリアル過ぎること、これに尽きるのかな。

八王子城の写真1

曳橋を越えて御主殿跡へと入る前の石段と石垣、機能性ではなく権力を象徴することに注力している。

大手門から曳橋へとつながる古道の手前にも、曳橋と堀切があった。

真っ直ぐで平坦な古道が長く続く、何かとんでもないものがこれから現れる予感と伝えてくる。

城郭として八王子城の規模の大きさを示すものとも感じた。

八王子城の写真1

曳橋と堀切が見えて、その向こうの小高い丘が御主殿跡。

最初からこんな地形だったとは考えにくいから、人力による土木建築で作ったのかな。

この曳橋が壊されたら、攻め上がる人たちはどうやってあの御主殿跡まで辿り着けるというのか。

御主殿跡の足元の石垣、わざと段々にしているのでしょうね。

八王子城の写真1

御主殿跡の門前から曳橋を見る、これでは訪ねてくる客人は八王子城の威厳に出鼻をくじかれてやってくることになる。

この石段を上がって、私もそう感じた、最初からアウェイ感、ちょっとした敗北感を持って御主殿の門をくぐった。

御主殿内は平地が広く続いている、その奥の方から御主殿の入り口の門を見たところ。

整列した石は建物の礎になっていたもの、その数が多く、保存状態がとても良い。

この石も当時そのまま、手を当てて往時に想いを馳せた、八王子城は廃城されたままの姿でずっと残っていたのだ。

御主殿の案内看板を読み、空想しながら歩くとなんだかリアルに当時の人々の営みを感じることができた。

これだな、この感覚が他の城址と比べても優れている、遺構の良好な保存状態こそ八王子城の魅力

御主殿で感動に包まれたあと、本丸跡を訪れようと八王子城山へと向かう、445mの低登山だ。

途中の金子丸跡、ここを曲輪として守備を固めていたのだろう。

城山としては規模が大きいのは感じたけど、特にはっきりした遺構が残っているわけではない。

八王子城の写真1

山頂付近で一気に視界がひらけて、スカイツリーまで見渡すことができた。

関東平野を見渡すことができる要地にあった八王子城。

八王子神社のあたりは曲輪になっていて虎口や門で固められていたのだろう、狭いながらも標高が高いから攻めるのは大変。

八王子城の本丸一帯、ちょっとした平地があるのみ。

滝山城と違って、明らかに城山の山頂にある本丸だから、守る方は上から鉄砲や矢で攻撃できるし、守備に適した城なのは分かった。

滝山城から八王子城に移る理由が「万を超える大軍に攻められた時、平山城の滝山城では守りに適さない」だから

山城で、高地から守れる八王子城が有利だったことを感じることができた。

やはり御主殿跡を歩いて感じることができた当時のリアルな感覚が、八王子城最大の魅力だよ。

八王子城山に、当時の山城らしいものはほとんど残っていなかった。

この一帯全てを八王子城と総称するから、その規模感の大きさには圧倒された。

八王子城合戦で、北条氏照の本隊が乗って籠城していたら、八王子城の防衛力を活かした結果はどうなっていたのかな。