代理愛人〜狂気の性愛、恋愛のフルコースを求めて

小説「代理愛人」

――掲示板にそう書き込みしたら、たくさん返事が来た。

最初に会ったのは、やりたいだけの男。

「昔付き合っていたさやかってコが忘れられないかな~。

やっぱり失恋を忘れさせてくれるのは、新しい出会いだよ。会えない?」

「さやかを愛してくれるの?」

「もちろん!超~愛してあげる。俺、今でもさやかが好き。会おうよ。いっぱい愛してあげるし」

「――さやか?返事なくて心配だよ。会いたい。愛し合おう」

「愛してたから、もう一度さやかを抱きたいんだよ。お願い、さやかになって欲しい」

しばらく無視していても熱心にメールしてきたから、そいつを選んでやったのに、

会うとしつこいぐらいにわたしの名前なんか聞いてきたし、

強引にホテルに連れ込まれるのは、なんか求められているカンジで良かったけど、

結局イク時もそいつはわたしの名前を呼んだ。

「美夜子――」

あれだけ言っておいたのに。さやかの名前なんて全然出てこない。

こっちも全然「ケン」って呼べなかった。

大体、本名なんて使うわけないじゃない。

「美しい夜の女」なんて、キャバ嬢にでも付けたらいい名前だけどね。

そんな男に興味はないから、すぐに切った。やらせて損した。

それから男は慎重に見分けることにした。

次に会ったのはマジメ男。

メールでも律儀に「優」って呼んできたし、

会っても「優ちゃん」を連発されるのはそれっぽかったけど、

どうやらそれは実際に愛した女の名前じゃないみたい。

「――優ちゃ~ん。優ちゃんはホント、カワイイね~。

カワイイ優ちゃんをいつも僕だけが守っているよぉ~。

ずぅ~っと僕だけの優ちゃんだよ~。

優ちゃんのためなら何でもしてあげられる~。

優ちゃんをいっぱい飾っておきたいなぁ~。

優ちゃんはもうさみしがる必要ないからね~」

「優」はアニメの中のアイドルだった。

せっかく名前を連呼してくれる男が見つかったと思ったのに、いい笑い草。

ブ男だったけど、外見なんてどうでもいい。

現実の女を愛せない男なんて話にならないし、すぐに切った。

やらせる気にもならない。女を神に祭り上げないで。

空でも雲でも愛していればいいのよ、ああいうオタク男は。

次の男も勘違い野郎。

どうやら身体が目的じゃなくて、このわたしと恋愛をしようとしているみたい。

「歪んだ想いをお持ちなんですね。

俺でよければ叶えてあげるけど、君のことが心配だよ。

もっと普通の恋ができる女の子にしてあげたいな。

身体で愛し合うのもいいけどね。足りないものは俺が満たしてあげる。

ケンって呼んでくれていいよ」

「ケンは何て呼んでくれるの?」

「まつみ。とても好きだった人。いい、まつみ?」

大人過ぎる男。

会ったら会ったで、ホテルに誘いもせずに、こんなことを言う。

「俺もいくらかでも気持ちがなくちゃできないから、まずは話をしよう」

わたしの心を覗こうと、優しい会話でコミュニケーションを図ってくる。

でもわたしは、表面で適当に話を合わせているだけ。

心なんて、通わせられるわけないじゃない。

「オマケでもいいけど、次は恋愛対象の一人として君に会えないかな。

心がなくてセックスしてもきっと虚しいよ。

とか言って、本当は今すぐにでもホテルに誘いたいんだけどね~。

あとで後悔しそ~。ははは~」

別れ際、そう言って男は一人で笑った。

――このわたしと恋愛?

違う違う、そんなのじゃない。ホント笑っちゃう。

優しい心なんて求めていない。

説教じみたことは止めてよ。見当違いもいいところね。

わたしはそんな普通の女じゃないから。

優しい人だったのかもしれないけど、アイツ、カッコつけやがって。

善人ぶっても、最後はホテルに連れ込む勇気がないだけのくせに。

あんなのいらない。もう会うこともない男。

最悪。また失敗作だよ。

今求めているのは、わたしのことを昔に愛した女の代理として愛して欲しい、っていうことだけ。

狂おしいぐらいに、愛を注がれたい。

わたしには興味を持たないで。わたしはただの代理でいいの。

誰かが誰かを心から愛する気持ちの、熱い抜け殻を感じたい。

わたしの耳元で別の女の名前を、本当に愛した女の名前を叫んで、イって欲しい。

その女の名前を、わたしの身体の奥底まで注がれたい。

その愛憎を、その後悔を、その再会を、わたしの子宮に叩きつけられたい。

ただそれだけ。

目指す男はなかなか見つからない。ヘンなメールは山ほどくる。

小説「代理愛人」

小説「代理愛人」

小説「代理愛人」

だから、やりたいだけの男じゃ、お話にならない。

代理で愛してくれるなら別にやらせてあげてもいいけど、心の中に本物の愛はあるの?

それも激しい愛でなくちゃ。

わたしの身体が切り刻まれるぐらいの必死の想いなら、いつでもどこでも抱かれに行くのに。

物足りない男どもに失望しながらも、わたしはまた別の掲示板に書き込みを続ける。

流れてくる欲望の残骸を摘み上げては、ニオイを嗅いでみる。どれも偽物ばかり。

小説「代理愛人」

ある時メールを交わした一人の男。

随分と沢山の男とやりとりしたけど、この男こそ本物だと、わたしはすぐに直感した。

「有美香」と呼んで、誠実な文章を書いてくる。

「有美香。逢いたかったよ。ずっと待ってた。もう一度、あの日のように愛し合おう」

最初のメールからこんな調子。

おかしいでしょ?

「ケン。わたしもよ。また愛してくれるの?」

わたしもわたしで、やっぱりおかしいメールで試してみる。

「うん。有美香の名前を呼んでまた愛したい、ってずっと思ってた。

他の女と寝ても、有美香を抱いている姿ばかり想像していた。

心の中ではいつも有美香を呼んでいた。

有美香、やっぱり有美香しか愛せないって、ようやく気が付いた」

「ケン、ありがとう。わたしだってそう。

どんな男に抱かれていても、いつもあなただけ、ケンのことだけを想っていたんだから。

また愛して頂戴。いっぱい愛してよ、ケン」

「有美香、あぁ、有美香。昔と変わらずずっと愛しているよ。

今までの空白を取り戻そう。有美香ともう一度愛し合えるなんて。

愛したい、今すぐにでも愛したいよ、有美香――」

馬鹿な会話。でも、ちゃんと「お約束」を分かっている。

この男だろう。きっと間違いない。だからすぐに会うことにした。

「――有美香、さん?」

「ケン、さんですよね?」

郊外の小京都、名刹の石段下で、わたしはケンと待ち合わせた。

「有美香」とデートした思い出の場所だと言って、ケンは真っ先にここを指定してきた。

眉をひそめて歩くわたしには木々の春色が眩しい、とある昼下がり。

「――はい。有美香、さん。逢いたかった」

あんなメールを交わしていたから、さすがに最初は気まずい。

「――ありがとう。わたしもよ、ケン」

真面目そうで、優しそうな男。

ルックスだって悪くないし、普通にモテそうなのに、

なんでこんな男があんなメッセージにひっかかってきたのか。

なんかおかしい。でも、狂っている男なら誰でもいい。

「有美香、さん、あまりお互いのことは聞かない方がいいかな?楽しいことだけ話しましょうか?」

「うん、そうしましょう、ケン」

足並みを合わせてゆっくりと再会の石段を上がってゆく。

桜も紫陽花も季節外れの寺に人影は多くない。

わたしはお化粧も薄目に、地味な黒のワンピ。

可愛さは残すけど、自分を消してどんな女でも演じようと思って。

「ケン、わたし嬉しい。また一緒に歩けるなんて」

試してみる。そう言ったら、どんな反応をするのか覗いてみる。

「僕もだよ、有美香。こんな幸せ、また来るとは思わなかった――」

しみじみと、噛み締めるようにしゃべる男。

静かなのに、物言わせなくさせる、その浮いた壁、犯せない空気。

ピンクや黄色の花道が、なだらかなカーブを描いて二人を導く。

風が揺らし、大木が音を放つ。歪みのない庭園の絵。

こんなに奇妙な二人なのに、こんなに辺りは妙。

「有美香」と呼ぶ時の、真に迫った声色。

決してわたしと目を合わせないまま会話を続けようとする。

そのくせ、声が異様に優しい。

こんなおかしな状況でも、理性で自分をコントロールしている。

歪んだ感情、こいつは狂っている。

どちらからともなく、指が合わさる。

言葉もないまま、まだ遠慮がちに弱く絡ませて、途中の竹林に道を外れるとベンチに腰掛ける。

気泡の中に入ったかのような逆転の感覚。

だから口が進むのか、ケンはわたしの手を取り、両手でわたしの手の平をそっと撫でながら言う。

「ずっと後悔してきた。有美香と別れてから、僕は考え事ばかりして暮らしてきた」

「そうなの?」

「うん。本当に考え事だけの毎日。

有美香がいなくなったら、途端に毎日が破綻して僕は駄目になった」

温かい手。嘘のない言葉だって、その温もりで分かるよ。

「どうして別れちゃったの?彼女から?」

「そう。もっと好きな人ができたって言われた。

だったら、しばらく距離を取って友達に戻るのでも構わないのに、

彼女は彼女らしい潔癖さで僕とはもう一切連絡を取らないって撥ねつけてきた」

「厳しい人。それから彼女とは一度も?」

「そう。一度も連絡を取っていない。こんな馬鹿なことってあるのかな。

あれだけ愛し合った二人なのに――」

「それじゃやり切れないでしょう」

「――やり切れない。ずっと後悔している。

彼女のその真っ直ぐなところ、厳し過ぎるとも思うけど、そこが僕の愛した彼女でもあったから。

あの時、僕が形振り構わず何とかしようとしていたら、きっと今頃、別の二人でいられたはずなのにな」

吐き出すようなケンのセリフ。目を閉じて、噛み締めるように言葉を発している。

「彼女は今?」

「分からない。そのもっと好きだっていう男とも別れた、

というところまでは周りから聞いたけど、それ以上は聞かないようにしている」

なんだかもったいない話。それじゃ、お互い厳し過ぎるよ、もっと楽に生きてもいいのに。

「なんかまた二人は付き合えそうに聞こえるけど?」

「それはないよ。今更どうにもならない。

縁が二人から離れていったんだよ。それも必然だったのかな」

諦めが良過ぎること。それでこんなに後悔しているって、どうなのかな。

「今でも愛しているのね」

「……愛してる。とても愛してるよ」

ケンの指先に感情が宿るのを感じた。わたしの手がケンの両手に強く挟まれる。

動きを無くしていた竹林をざわざわと鳴らす、通りすがりの風。

仮初の愛情が色を帯びてくるのが、わたしには聴こえた。

さぁ、今からよ。

「――いいのよ、ケン」

もう一方の手でケンの頭を強く引き寄せ、肩の上で包んであげる。

「ケン、みんな受け止めてあげる、みんな許してあげる。

ずっと側にいるから。もうわたし、どこにも行かないよ、ケン」

それから両手でそっと頭を抱くと、ケンは黙ってされるがままにしていた。

さぁ、ケン、帰ってきて。わたしの元に戻ってきて。

「――いいのよ、ケン。もういいんだよ――」

ケンの耳元でささやく。優しく訴えてみる、仕掛けてみる。

「ごめん!ごめんよ、有美香!ずっと悔やんでいた。

なんであの時、もっと有美香に執着しなかったのかって。

僕と付き合ったことで、君の人生を台無しにしちゃったんじゃないかな!

最後まで付き合えないなら、君と愛し合うんじゃなかった!

君は僕とのことを後悔しているんだろうな。

悪かった、有美香、許して欲しい。どうか許してください」

精一杯の声。爆発的なケンの独り言。

――馬鹿な男、馬鹿な懺悔。みっともないし、ホント下らない。

でもそんな正直なケンが愛しいから、わたしは優しく受け入れてあげる。

「いいのよ、ケン。もういいから――。もういいんだから。

愛してね。これからまた、たくさん愛してね――」

急にケンが激しく抱き締めてきた。男の強い力に抱かれ、わたしは瞳を閉じる。

――あぁ、この感じが欲しかったの。わたしも抱かれている、きっとあの愛しい人に。

「――有美香。有美香。有美香!」

痛いぐらいの抱擁。

たまらずわたしの唇は「ケン」の唇を求めた。冷たい空気の中での、熱いキス。

遠く瞳を閉じて、「ケン」の想いを全身で感じ取る。

殻を破って溢れ始めた情熱に、わたしの身体も震えてくる。

「有美香」と別れたことを大後悔しているこの男。

「有美香」への真っ直ぐな愛情と、自らへの後悔の深さが同居していて、

その二つが醜く血を流し合いながら葛藤を続ける様が、とてもキレイ。

この男となら、きっとこの男となら、互いに違う人の名前を呼びながら激しい愛を重ねられる。

――わたしは遂にわたしのケンを見つけた。

それから男はCrazyになっていった。

執拗なまでに「有美香」の名前を呼び続ける。

メールで、電話で、男は「有美香」を何度も何度も繰り返した。

「有美香、有美香。君に逢えたからもう迷わない。何を捨てても有美香を愛し抜くよ。

今度こそ、形振り構わず有美香に愛を注ぎたい。

有美香、受け止めてくれ。愛させてくれ、有美香!あぁ――」

「有美香が欲しいよ、毎晩有美香が欲しい!」

「この身体一杯の情熱で有美香の中を動きたい。

上下左右、浅く深く、有美香を愛したい。あぁ、有美香、有美香!」

「俺はもう有美香に帰ろう。有美香の中に帰りたい。有美香の中へ、あの熱い有美香の中へ!」

「有美香、この強い想いをぶつけたい。

有美香、有美香はもう俺のものだ。有美香のために俺がいる。

俺で有美香の全てを埋め尽くすよ!」

わたしはその様から、メスを捕らえた野生のオスの雄々しい肉体の躍動を連想した。

強いオスに求められるメスの本能で、身体が疼いた。

そしてケンに「有美香」の身体を与えた時、男の狂気は頂点に達した。

部屋を真っ暗にしてベッドに入る。互いの顔は必要ない。

「――有美香――」

ついにケンがわたしをそう呼ぶのを聞いた。

メールや電話はともかく、直接面と向かっては「さん」付けで遠回りに接してくるだけだったのに。

これでようやくわたしはケンに抱かれるの。

さぁ来て、ケン。わたしを求めて。

「有美香」の名前を呼び続けながら、情熱的に、執拗に、ケンはわたしの身体を愛した。

身体の上で幾度も呼ばれる「有美香」の名前。

優しく激しく、豊富で的確なケンの愛撫にわたしはつい乱された。

性愛の花が開き、わたしは非現実の海に堕ちる。

「――有美香、有美香、……あぁ、ゆみか……。ゆみか……ゆみか」

ひときわ深い「ゆみか」を求めに合わせて、ケンが果てるのを膣で感じる。

――あぁ、呼ばれたわ。そうよ、ケン。わたしが「ゆみか」。

ついに呼んでくれたのね――。

――「ケン」――!

咽喉の奥から、そんな音が湧いてきた。

あぁ、わたしもようやくこの愛しい名前を呼ぶことができるのね。

あぁ、「ケン」、お願い、そのままわたしの中でイって。わたしも今、一緒にイクから。

名前の世界は、心と身体の扉を開くキーワード。

漢字が硬いなら、仮名に崩して呼ぶと、もっと近くに感じる、もっとあなたを感じる。

そしてわたしはあなたの元にイクの。身体を抜けて、今だけ「ケン」、あなたに重なるわ。

……「ケン」!……「ケン」!!

小説「代理愛人」

強い体液を注がれた後、熱の残る身体を重ね合わせていると、頬に冷たい筋を感じた。

それはきっとケンの涙。

暗闇の中でケンの胸板は喜びに満ちている気がした。

いいえ、虚しさに震える涙なのかもしれない。

でもわたしには関係ない。そんなの興味ない。

「ケン」の愛さえ感じられたのなら、わたしはそれでいいのだから。

一度だけでは終わらない。果てるとすぐにケンが求めてくる。

異常なぐらいに回復が早い。病気のように、またあの名前をささやいてくる。

「――ゆみか、ゆみか、やっと愛したぞ。

もっと愛させろ、愛させてくれ、ゆみか。

どこにも行くな。ゆみか、いいな、ゆみか。

愛するぞ、愛するぞ。愛させろ、ゆみか、愛させろ。

ゆみか・ゆみか・ゆみか――」

変わらぬ激しさ、止まらぬ名前。また性愛の開花がやってくる。

凄い男。本当に狂っている。

結局、ケンは一晩中わたしの身体を離さなかった。

長い夜が明け、カーテンの隙間から細い朝日が漏れ入ってくる部屋。

ケンは疲れ果てて眠っている。

「ゆみか」を存分に愛した、ケンの満足そうな寝顔。

――ケンに深い愛情が宿ったことを、わたしは確信した。

従順に愛されるままの女の身体に、この男は陥ってしまったのでしょう。

わたしではなく、「ゆみか」でもなく、我がままな熱情を受け入れてくれる、ただの生身の女。

顔のないセックス、玩具みたいな代理愛人。

ところがそれはわたしの望むところ。

ただ狂おしく求められればいいって、最初からわたしも割り切っている。

それから時々、このケンとホテルで夜を過ごすようになった。

ケンの誘い方は次第に強引になっていった。

不思議とわたしもますます従順になってゆくのが分かる。

どうしてか、ケンの誘いが断れない。

性で愛を紡いでいるだけ、愛情もどきのすり込みだって分かっている、分かってはいるけど。

いつも激しいケンの愛撫。そのくせ丁寧に女の芯を突いてくる。

だからどこにも逃げられないの。

抱かれる時は、二人が叫ぶ数え切れない名前の花で、ベッドの上が埋まる。

愛しい名前を引き金に、わたしはいつも頂点に押し上げられる。

それは一種の麻薬のように、わたしの身体を汚した。

女の身体の惨めさをわたしは初めて知った。

わたし個人への愛情がなくても、

「ゆみか」への本物の愛情がある性愛だから、身体は身体で勘違いして濡れてくる。

わたしは美しい夜に跪く女。

女の身体は、本物の愛情には反応する。

例えそこで愛すべき相手が入れ代わっていたとしても。

「ゆみか」に対するケンの愛情は、真実以外の何物でもなかった。

小説「代理愛人」

――ある日わたしは突然、姿を消した。何の前触れもなく、何の説明もせずに。

狂ったようにケンがメールを送ってきた。

「ゆみか、金曜の夜はまた来れるよな?たっぷりと愛させてくれ」

「――ゆみか?返事下さい。都合悪いなら土曜の朝からでもいいし」

「ゆみか?メールの返事ないから留守電残しておくよ。連絡頂戴ね」

「ゆみか?!どうした?全然返事ないから俺、おかしくなっちゃいそうだ!

ゆみか、連絡くれ!早く連絡くれ!」

ゆみかからの連絡がなくなったケンは、

ますます狂気じみた執着の態でわたしを追いかけてくる。幾度も名前を呼んで、形振り構わずに。

「ゆみか!オマエはもう俺から逃げられないんだぞ!

たっぷり愛してやるから、早く連絡くれ!

分かったから、何か嫌なことがあるなら何でも言うこと聞く。

もう分かったから。ゆみか、だからお願いだ、

電話くれ!メールでもいい!何か言ってくれ!頼む、ゆみか。

ゆみか!ヘンになりそうだ!ゆみか!?ゆみか?!」

「ゆみか、オマエは俺を捨てるのか?!俺はもういらないのか?!

分かったよ、本当に分かったからもう勘弁してくれ!

ゆみかのために何でもする!本当に何だってするから頼むよ、ゆみか!

頼む、俺を殺さないでくれ!ゆみか、お願いだ、ゆみか!

あぁ、死にそうだ、狂っちまいそうだよ、ゆみか!ゆみか!!」

でも、わたしが返事することはない。

決して何も伝えず、何も与えず。電話番号も黙って変えてしまう。

これでケンはもう二度と「ゆみか」を愛せない。

――これでいいの。これは、過去にわたしを捨てたあの男への復讐。

遠い昔、わたしの純粋な心を奪い去って行った男。

この「ケン」をわたしは盲目的に愛して、愛して、愛したのに、

「ケン」はそ知らぬ顔でどこかへ行ってしまった。

わたしの気持ちをかき乱すだけかき乱し、身体を中途半端に弄び、

女の喜びに火をつけたままにして。

だからわたしはずっと「ケン」を恨んでいた。いつか復讐しようとじっと待ち続けていた。

これでようやく心の整理がついた。わたしはケンから必死に追われた。

ケンが愛したのはわたしじゃないことは良く分かっている。

結局、ケンは「」の幻を愛しただけ。でもあの悲鳴は偽物ではない。

「」を追う時のケンの必死な表情が、今のわたしには容易に想像できる。

わたしはケンに必要とされた。

その事実だけでいい。それでわたしの心は充分に満たされる。

「ゆみか」を愛したケンへの裏切りは、わたしを捨てた「ケン」への返事。

わたしの中の狂気を、わたしは知っている。これが、わたしなりの最高の愛情の返歌。

小説「代理愛人」

一度愛を失った時、本物の愛が見えてくる。それこそ恋愛のフルコース。

結ばれるだけじゃない。失うだけでもイヤ。

愛して、別れて、そして想って、またいつか出逢いたい。

もう、あの「ケン」だけとは限らないよ。元々あんな男じゃなかったんだ。

ただ心から愛を開放させられる本当の居場所、これから愛すべき本物の男に出逢いたい。

苦しさがないままの愛なんて、一生は続かない。汚れを知って、清らかさを知る。

若い日の愛はただの動物的な勢いだけ。端的な感情や、身体だけでつながる貧しい愛。

さみしさに負ける愛。ひとりではいられない愛。いつも誰かとつながっていたいための愛。

愛の奥深さも知らずに、表面の華やかさだけで、愛を愛していた。

心を形なす、深い愛とはかけ離れた、ひどく浅い場所で。

だから今こそ、あなたにこの愛を捧げたい。このどこまでもピュアで、狂喜的な愛を。

今すぐ逢って、もう離れたくない。

今のこのわたしだから、もう永遠にあなたを愛することができる。

わたし、ようやく本当の「愛」を口にできるよ。どこまでも純粋に。いつまでも終わりがなく。

――あなた。本当に愛すべき、まだ見ぬあなた。

わたし、今こんなに純粋にあなたのことを愛している。

この本物の気持ちを、わたしは手に入れたかったの。

今なら、あなたを心の底から愛せる。

理想だけじゃなく、現実も知った愛よ。人の細かい醜さも笑って許すことができる。

この純粋な心で。何の打算もなく。

――今こそ、この愛を見て。わたしに愛させて。




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まつきよ

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